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白川日銀総裁の辞任表明〜さよなら「Qちゃん」

最近の重要な話題として、次期日銀総裁人事というのがある。市場関係者ばかりではなく、政治サイド及びその周辺(言論系やマスコミなども含めて)などの関心も高いことだろう。
アベノミクスとやらの変な名称がつけられているが、その重要な役割を担うのが日銀である。安倍政権が総裁を任命するわけであるから、全責任は安倍政権と与党が負うことになるだろう。勿論、結果が出ない時であっても、だ。


昨今の論調を見ると、まるで「デフレであったのは白川総裁の責任だ」というような印象を受ける。全ての責任と失敗原因が、白川総裁のせい、みたいな。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1302/08/news023.html


確かに日銀内部にいた方々には、責任はあろう。デフレのままだったという事実、結果責任も白川総裁にはある。


ただ、全ての原因や責任が白川総裁個人にあるかのような言い草は、いかがなものであろうか。特に、自民党内、或いは政府内からの厳しい意見として、「日銀が悪い」的なものが多い。過去の歴史的経緯からすると、日銀には多大な責任があった。失敗も積み重ねてきた。しかしながら、それを自民党は助長してきたか、放置してきたか、加担してきたのではなかったか。一方的に現在の日銀と白川総裁を叩くのは、筋違いだろうと思う。


白川総裁が就任したのは、08年であり、当時の時点で「デフレ」は完成していた。白川総裁就任以前の、日銀の失敗の賜物であった。それだけではない。政府の失敗でもあったはずだ。前任の福井総裁を選んだのは、小泉政権ではなかったのか。竹中が大臣として閣内に存在した時代だったのではなかったか。安倍総理は、自分が総理時代に福井総裁もいたし、経済財政諮問会議も存在していたし、機能していたんじゃなかったのか。当時から、変えようと思えば変えられたものを、敢えて取組こともしなかった、福井総裁時代の「量的緩和解除」や「利上げ」を認めてきたのは、自分たちだったのではなかったのか。


そうした反省の上に成り立って、かつての「総理時代には失敗した、その反省として今後はデフレ脱却に全力を尽くす」というのが筋なんじゃないのか。06年当時から、どうして日銀の政策に強力に反対しなかったのだ。つまりは、安倍総理が日銀と白川総裁を今になって徹底的に批判するというのは、後出しジャンケンみたいなものなんじゃないのか。それは、あまりにずるいのでは。過去の政権運営の責任を無視ないし放棄しているに等しいんじゃないのか。06年当時から政府にいたり与党にいた人たちみんなにも、責任はあるんじゃないのか。


マスコミの人たちだってそうだ。
以前には、量的緩和で「ジャブジャブ」にしてる、「それではダメなんだ」的なことを散々言ってきたではないか。値上げの度に、ニュースに取り上げて、物価上昇が庶民生活を直撃、とか煽ってきたではなかったか。それも、たったの1%未満くらいの物価上昇率で、だ。そういうことを言ってきた人たちが、今となっては白川総裁叩きに回る、というのも節操がないんじゃないのか。自分たちの責任は感じないのか。


当方から見た、白川総裁と、白川体制の日銀について書く。
まず、総裁個人についてだが、嫌いというわけではないんだけどソリが合わなそう(というか向こうもイヤかもしれんが…いやいや当方のような下衆を相手になんぞするはずもないだろうけど、笑)。気難しいそうに見えるし、話していてもつまんなそう。すまん。悪気はないよ。でも、マニアなんだろうね、やっぱ。専門知識も豊富で、頭も悪くないだろう(失礼)。いや、わたくしなんぞ、実際足元にも及ばないのは重々承知なんですがね。


で、きっと面白みのない人だろうけど、それなりに評価はしていましたよ。

愛着を込めて「ホーメイ」と呼ばせて頂いたりもした。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/41a59fe272df6094b7ff5ba160ab776a

Qちゃんと渾名される由来についての憶測も書いた。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/64d233cb4f201a377348a779c8124aa5


90年代以降、当方の知る日銀総裁の中では、最高に近い評価と言ってもいいかもしれませんな。白川日銀は、とてもよく頑張った、と言える。結果は必ずしも十分ではなかったが、これまでよりはずっと前進したと思っている。


白川さん以外―例えばリフレ派と称される人―だったら、きっとこうなっていただろう、というようなことは分からないが、同じようにデフレだった可能性だってある。
最高評価と言ったことのひとつは―最大の理由でもあるが―、100年に一度という程の巨大な経済クラッシュが起こった時期だったことである。ここを乗り越えねばならなかった。この難事は、誰が総裁であったとしても同じように苦しく、事態が好転するなどということはほぼ期待できなかったであろう。いかにダメージを軽減し、被害を最小限に留め得るか、ということだけだった。言葉は悪いが、死ななければそれでいい、くらいの、巨大なショックだったから。少しの怪我はしかたがない、ということだ。


悪いながらも、過去の悲惨な経験に比べれば、例えば97〜98年や02〜03年に比べれば、ずっと少ないダメージで済んだ(成長率の下落はそんなもんじゃなかったけれど)。実生活への大打撃とか、倒産件数や負債総額、不良債権額なんかの部分では被害が軽微に留まった。


もう一つは、東日本大震災であった。
08年のリーマン・ショックから傷も十分癒えぬ11年3月、再び日本を大惨事が襲うこととなった。こんな短期間で2度も大打撃を蒙った日銀総裁は、戦後いただろうか?かてて加えて、福島原発事故と電力危機だ。
それでも、白川総裁以下、日銀総力を挙げて経済復興に取り組んだ。この2つの大規模な危機、日本経済にとっての死活的な試練を乗り越えることは、誰が総裁であったとしても極めて困難だったはずだ、ということ。これを乗り切り、経済悪化の波及をそれなりに食い止めることができたのは、称賛に値する。


これまで、事あるごとに白川総裁や日銀への批判をしてきたわけであるが、白川日銀はかなり頑張ってきたんだ、ということは評価している。曲りなりにも、「理解」から「目途」公表へと前進した、ということもあったしね。


白川新総裁体制が発足間もない頃、若干の期待を込めて書いた記事である。

08年5月4日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6cf3810ba72c688cbd49b9eda3162a51
早いもので、あれからもう5年か。


また白川日銀は、これまでにないくらいに世界に知られる存在となったかもしれない。やはり世界経済危機の影響で、”watch BOJ”といったような雰囲気があった為だろう。加えて、バブル崩壊の経験が豊富(笑)な日銀ということで、
Nichigin the'central bank'
として再評価する動きが高まったのかもしれない。


そうした流れを受けて、白川総裁は国際的評価が総じて高く、理論家としてのバックボーンもしっかりしていたことと相俟って、BIS副議長に任じられるほどになったわけである。


白川日銀は、デフレを終わらせることはできなかったものの、危機を封じ込めることには尽力した。金融政策面においては歩みがほんの少しで、ちょこっとしか前進しなかったかもしれないが、方向性はそんなに間違ってきたわけではなかった。
過去の「乾き」が著しかった為に、しかもデフレ気質が粘着的になってしまっていることもあって、そうそう簡単には脱出できなかったし、おまけに危機が重なったことが一番大きかった。それは白川体制の日銀のせいばかりではなかった。


政治的にも、民主党政権交代となって、政策的な一貫性も失われた中で、政府に対応してこなければならかった。そもそも、民主党は政権発足以前から「親デフレ」的金融政策を言ってきていたわけで(例えば量的緩和国債買入に反対、などという素人談義レベル)、これ以外にも、金融政策以外の財務省サイドの意向だの、経済界からの悲鳴だの、赤い系国会議員からの反緩和発言・国会質問だの、「値上げ・賃上げは悪」教団の信者たち(一般経済人や大衆など)の批判だの、頭を悩ませることは少なくなかったであろう。


一方では、当方のような日銀批判派もいるわけで、どうやって運営していたとしても、当事者にとっては全部非難されることになったであろう。これを思えば、当方からすると、日銀は頑張ってきたんだ、と認めてあげる部分はあるよ、と。
白川総裁のご高説を拝聴できなくなるかと思うと、それはそれで寂しい面もあるかもしれないですな。


白川総裁が辞任すると言ったのは、新体制として(新執行部みたいに)やる上で、同じ時期に交替した方が組織としては都合がいいだろう、ということでしょう、きっと。元々は、総裁選びの時の、民主党が無駄に「全部ダメ」という無用の頑張りをしたせいで、白川総裁の就任時期が大きくズレ込んだことが理由だったわけで。そうじゃなければ、3月で交替していたはずだったんですから。

そういう点においても、白川総裁が「無理矢理アベに落城させられて、ご立腹で僅かな反抗心でも見せるべく辞任してやるぜ」的な発想を抱くというようなことではないんじゃないかと思いますね。白川総裁は、そういう「つまらないこと」にはあまり関心を持ってないんじゃないかと。政治的野心とかが、あんまり似合う人ではないからね。



この激動の期間、竹中平蔵あたりが総裁だったら、どうなっていたことか。白川日銀で、まだマシだったんじゃないかと思うわけです。


Qちゃんは優れた理論家であり、経済理論に通暁し、日銀の実務もよく知っている銀行家だ。ただ、惜しむらくは、デフレを抜けられなかったこと。ピッチが届かなかった。もっともっとスピードアップが必要だった。10年以上に谷となってきたことが、想像以上に深い谷となっていた、ということだろう。谷を抜け出すには、時間が足りなかった。そういうことは、ホーメイ辞典にも書かれていなかった。必要なのは想像力だった。理論には解決が難しい領域だった。