怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

吉川洋東大教授の『デフレーション』について〜1.貨幣数量説

この前から、ずっと気になっていて、記事に書こうと思っていたわけだが、色々とあって書けなかった。そうしたら、インタビュー記事までもが出てしまった。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130327/245704/?rank_n&rt=nocnt


当方の立場を先に述べると、吉川洋先生のご意見には”かなり同意”である。考え方としても、割と共感できる。何より、インタビュー記事見出しにある通りに、「賃金を下げ過ぎた」という論点において、わが心の代弁者かとさえ思えたほどであった(笑)。

ミクロ経済学の相似形がマクロ経済学の論理、というものではない、とする意見には大きく頷いた。
09年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5e351804770ee91231e19a539075e8fd

12年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/df7d3aa0138ab4ad8af5571420140704

上の記事のリンク先でも挙げた「マクロとミクロは両輪」の記事で、以前から述べていた通りである。



元々記事に書こうと思った発端は、山形浩生の中々辛辣な批判を見たことだった。

コレ>http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130304


まあ、吉川先生が諮問会議の民間議員であった時代から、山形や「りふれは」なんかは散々罵倒と非難を繰り返してきていたはずだ。すなわち、山形にとっては因縁の敵、とでも言うべき存在だったのではないだろうか。ただ、書評としては、そこまで不公平ではないようだ(笑)。

当方は吉川本の解説者でも何でもないわけだが、当方なりの考え方や解釈などを通じて、山形批判に応えてみたい。

まず山形の理解の程度を、極めて単純化して言うとすれば、「残念な理解水準」ではないかな、と思う。山形自身は読んでいる本の量とか知識量なんかは、猛烈に凄いと思うし、物事の見方にしてもやくざな評論家みたいに通り一遍の表層的なものということでもない。しかし、経済学の知識をそれなりに有しているであろう山形をしても、「この程度なのか」というガッカリ感が否めない、ということである。よもや吉川批判の為に、メガネが曇ったというわけでもあるまい?
だとすると、経済学理論に対する基本的姿勢という点において、経済学知識が多くあるが故に、過信タイプに陥っているように見える。根本部分において、経済学というものへの「信頼」というものが、厚い人たちが陥る罠のようなものではないかと思う。それとも、実生活の中での「経済学的現象」の捉え方が、不十分なのではないか、ということである。

経済学の理屈がそれなりに正しいと信じているなら、それを現実世界に適用してみた時、その適合具合がどうなっているか、ということに大きな関心を払うはずだろう。そういう適合度の実感を得ようとしているとか、自分なりの「肌触り」のようなものがあれば、理屈への信頼度は変わるだろう。鵜呑みということの危険性についても、自覚的であるはずだ。


で、今回は「貨幣数量説」について、当方の感じ方を述べてみる。
結論から言えば、吉川説にほぼ近く、「正確ではない」というのが当方の意見である。

  MV=PQ

この式が、定量的に正確性を有している、とはあまり考えておらず、データとして計測するのが難しい面もある。すなわち、貨幣量を何兆円増やせば、物価は%上がる、というふうに、機械的に計算できるものではないんじゃないか、ということである。物理学や化学なんかとは違う、というのは、そういう意味である。

理想気体のボイルシャルルの法則では、次のような関係式が成り立つ。

  PV=nRT

貨幣数量説とよく似ており(nRが定数なので)、温度と圧が分かれば体積が計算で算出できる。この計算結果は、実測値とよく適合しているわけである。正確性では、経済学の比ではない。


なので、貨幣数量説というのは、考え方としては「定性的」には妥当と思うのであるが、物理化学のように正確に計算できるものではない、というのが当方の理解である。ただし、経験則的には「貨幣量を増やせば、インフレが起こる」ということは歴史的に当てはまってきたであろう、ということは言えるんじゃないか、ということだ。


昔の人たちは、例えば江戸時代の侍がマクロ経済学の理論を知っていたはずもなかろうけれども、貨幣改鋳で金含有量を減らして貨幣供給量を増加させ、デフレ(不況)を脱出したことは、経験則として妥当である、ということだ。或いは、藩札発行によって(今で言えばソブリン債政府紙幣乱発)一般政府財政赤字が悪化することで、藩内の急激な物価上昇を招くといったこともあったわけである。


こうした現実の出来事というのは、貨幣数量説をイメージすると理解しやすい、定性的には適合するであろう、ということである。また、比較的短期間での観察であると、変動要因に一時的なものやノイズ的なものの影響が出やすいかもしれないが、もっと長期的な観察期間であればそれら雑音は弱まり、要因分析中に占める貨幣供給量の割合が多くなるかもしれない、ということもある。


なので、長期的にはインフレ率というのが「貨幣供給量」に大きく依存する、というのは貨幣数量説の立場を重視したものであるけれども、計算結果みたいに正確にはじき出せるものではない、ということであると思っている。恒等式から言えることは、かなり少ない、ということである。


今後、他の論点についても、順次書いていきたい。