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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

米国債務上限延期の謎〜アベノミクスと関連?

アメリカさまの「財政の崖」とやらが、いつ来るかいつ来るかと待っていたわけであるが、今回再び延期になったということで、しかも9月までの大幅延長らしい。

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MML2KV6VDKHW01.html


ポイントは、GMS系が594億ドル返済する、ということで、期間が大幅に伸びたということのようである。しかし、これは実際どういう効果があるのだろうか?

3月単月の財政収支は約1070億ドルの赤字だった。
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE93906220130410

前年同月に比べれば減少してはいるものの、依然として高水準の赤字が継続していることに変わりはない。年度単位では12年度で約2兆ドル赤字だったものが、13年度(12年10月〜13年9月)に半減したとしても、やはり1兆ドルの赤字となるのは不可避である(半期で既に赤字額6千億ドル)。となれば、債務上限に到達しないわけがない。いくら緊急措置をとったとしても、それはあくまで「一時しのぎ」に過ぎないことに変わりはなく、1兆ドルもの赤字を「債務上限を超えることなく」隠せるはずがない。

10月の収支が1320億ドルの赤字、12年10月末日時点では、債務上限まで残り「2350億ドル」であった。そうすると、13年9月末までの財政収支赤字が8680億ドル(10月単月分を除外)であれば、6330億ドル分の財政赤字は埋められないだろう。
これを全部「緊急措置」でカバーできると?(笑)


それはウソだろう。
緊急措置で集められる資金量は約2000億ドルだったはずだ。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/843aedda70d9877ef9c0505f49755c17

しかもあくまで緊急避難的な措置なのだから、できるのは一度きりのはず。


2月か3月初めくらいまでしか持たない、と言っていたのが、何故か5月18日まで延期になったわけである。で、ファニーメイあたりが600億ドル程度を返済したところで焼け石に水状態に変わりはなく、1か月分の延長にもならない程度でしかない。



それでも上限には至らないと?
どうしてだろうか?
10〜3月までの半期の赤字額は6000億ドルだった。
12年10月1日時点の上限までの猶予額は3670億ドル。すると、


3670+2000(緊急措置で集めた分)+600(GMS系の返済分)=6270(億ドル)


となって、3月末時点で6000億ドル分は使いきり、ほぼ上限に到達する。猶予がたったの270億ドルしか残っていないのに、何故か9月までは大丈夫と。むしろ5月中頃まで残り僅かということなら、辻褄は合ってる。


どう見ても余裕が生まれるのは、解せない。
ざっと考えてみても、4〜9月までの赤字分である4000〜5000億ドルは、どこからどうやって捻出するのか?


やっぱり、計算が合わないんじゃないですかねえ。


不思議なことに、アメリカさまの「財政の崖」期限が目前に迫ってくる度に、円安が進んでゆく、ということがある。これが本当に謎。
一体全体、これほどの円売りができる経済主体というのが誰なのか、不明なのだから。生保系が外債投資に切り替えようかしら、という報道がチラッと流れてもいたが、その買越額なんてせいぜい数兆円程度ではないのか?
それに対外証券投資の統計値に現れるから、買ったなら投資額純増として目に見えるはずだろう。


どうも怪しい。
日本国内からの円売り主体がこれまでのところ全く見えない。
で、アメリカさまは円安について全く文句を言わない。まあ言える立場にはないだろうけど。
考えられるストーリーとしては、シャドーバンキングに似たような、それとも簿外取引というような、不透明な円とドルの交換ではないか、と。


具体的には、財務省の為替平衡操作みたいに表には出ないカネが、アメリカさまに渡っている、それがすなわち「円売り資金」として作用しているのではないか、ということである。
例えば、日本の財務省か日銀と、米国財務省FRBの間での間接取引、というようなことである。日本からは、円資金を貸し出す=その円を売ってドル転、すなわち円安実現、ということ。米国は見掛け上「緊急措置」とか言いながら、米国債発行を伴わない「借入」を行い、円資金→ドルに転換して受け取るわけである。その取引仲介をしているのは、IMFあたりとか?



巨額の円売り越し主体は誰なのか?
どうして、米国の債務上限は中々到達しないのか?
9月までの延期が可能になった理由とは何か?


これらに理由が存在するなら、という話である。