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医薬品のネット販売に関する最高裁判決〜場当たり司法の歴史3

前の続きです。
今回は、最高裁判決にほぼ同意できる判決例を挙げています。



4)最高裁二小(H12.9.22)


・概要:

背部痛主訴の急患来院したが鎮痛剤点滴を行ったものの、急性心筋梗塞から心不全に陥り心停止して死亡。モニター装着など行わず、狭心症〜急性心筋梗塞の徴候を見逃したことにより不法行為責任を負うものとされた。


・判示:

『疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるからである』


・ポイント:

本件最高裁判決はほぼ妥当なものと考えられる。救命可能性について、高度の蓋然性があるとまでは言えない場合であっても、当時の医療水準から逸脱している場合には賠償義務を負う、ということである。

(そもそも背部痛や肩痛などの主訴がある場合、最も疑うべき最初の疾患としては、狭心症ないし心筋梗塞であることはほぼ常識的であり、モニターなどの装着をしてさえいれば容易に判明し、最高裁が指摘したようなニトロ舌下投与などの初期治療を実施していれば、救命可能性はあったはずである)

この最高裁判例は、医師の行う医療行為に限定されるものと考えるのは妥当性を欠くものと思われる。すなわち、薬剤師の医薬品販売・投与行為が当時の医療水準に適った投与が行われていれば、重大な結果を回避できていたという相当程度の可能性が証明されるなら賠償義務を負うべき、ということである。医薬品販売・投与について「通常の医療」と同等程度の水準が維持されていれば回避できていたであろう、重篤な結果については投与した側に責任があるものと考える。

買いたいという希望者に対して、安易にいくらでも自由に薬物を販売授与できるというネット販売制度が仮に存在しているとして、その結果副作用等で問題が発生するなら、その責任は販売授与した側が負うべきである。到底妥当な水準にはない投与であることが証明されれば、直接の因果関係が証明されずとも副作用に伴う治療費も当然負担すべきということも考えられよう。




5)最高裁二小(H14.11.8)


・概要:

18歳男性陸自隊員が「もうろう状態、病的心因反応」の診断にて、ジアゼパムニトラゼパムトリアゾラム、フェノバールを外来通院で投与され、6日後より入院加療となった。入院後にテグレトールも追加となっていたが、約1カ月後くらいから発疹等見られテグレトール起因の薬疹疑いにて同剤中止するも他薬剤は使用継続(ハロペリドールなども使用)。皮膚症状は続き転院、眼症状出現となりほぼ失明状態となった。薬剤(フェノバール原因と推定)によるスティーブンス・ジョンソン症候群(SJS)にて、薬剤を中止しなかった過失があるものと認定された。


・判示:

①『本件添付文書に記載の(1)の症状は,「過敏症状」として「ときに猩紅熱様・麻疹様・中毒疹様発疹などの過敏症状があらわれることがある」とするが,文意に照らせば,「猩紅熱様・麻疹様・中毒疹様発疹」などは直ちに投薬を中止すべき症状の例示にすぎず,副作用としての過敏症がそこに掲げられたものに限定される趣旨とは解されない』


②『本件においては,3月20日に薬剤の副作用と疑われる発しん等の過敏症状が生じていることを認めたのであるから,テグレトールによる薬しんのみならず本件薬剤による副作用も疑い,その投薬の中止を検討すべき義務があった。すなわち,過敏症状の発生から直ちに本件症候群の発症や失明の結果まで予見することが可能であったということはできないとしても,当時の医学的知見において,過敏症状が本件添付文書の(2)に記載された本件症候群へ移行することが予想し得たものとすれば,本件医師らは,過敏症状の発生を認めたのであるから,十分な経過観察を行い,過敏症状又は皮膚症状の軽快が認められないときは,本件薬剤の投与を中止して経過を観察するなど,本件症候群の発生を予見,回避すべき義務を負っていたものといわなければならない』


・ポイント:

事例2)のTENとも共通するが、重篤な副作用としてアナフィラキシーや本件SJSがあるので、それが疑われる病状があった場合には投与中止などの判断を適切に行うべき義務が存するものと考えられる。
添付文書中の文言は厳密性を問題とはされず、文意から判断すべしということである(①)。初期の皮膚症状などからSJSを想定することがそれほど困難であったとは思われず、過失否認の高裁判決に対して破棄差し戻しとした最高裁判決の方が望ましいものであったものと考える。


18歳男性の「もうろう状態」に対して、外来通院でこれほどのベンゾジアゼピン系薬剤投与が必要であった、ということの医学的妥当性そのものに疑問を感じざるを得ない(が、診療担当医師の判断であったので当方があれこれ言えるものではないことは承知している)。しかも皮膚症状発現後においても、テグレトールを中止してはいるものの他薬剤は使用を継続しており、中止のデメリットと継続のメリットの比較考量という点でも、必要性がよく理解できない。



かなり広範な薬物において、これらSJSやTENといった副作用が生じるわけであり、「被害が存在してない」などといった暴論で、安易な使用を自己責任において行わせるというネット販売の全面解禁論は、同意することが極めて困難である。


一般用医薬品の副作用について、正確な追跡調査が行われたかどうかも疑わしく、報告の存在が明らかではないことをもって「安全」であるかのような認識としていることも、先のネット販売を認めた最高裁判決の大きな問題点である。