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デフレ論争とは何だったのか〜無能の証明 その2

当方がデフレ問題に関心を抱くようになったのは05年からである。当時、ネット上では既にリフレと称する人々を目にするようになっていた。
あの当時から見た過去の時点での議論を見たわけだが、90年代終わり頃にあった言説の多くは、所謂「不良債権問題」と言われたものであった。日銀がどんな手を打とうが、銀行の機能不全状態が続いているのだから、効果が得られない、といったようなものだった。

不良債権が解消されないとデフレは抜け出せない、と主張していた人々は、その後絶滅したらしい。何故なら、メガバンクなどが空前の利益を生む状況下になっても、やっぱりデフレのままだったからだ。

不良債権問題」というのは、マスコミを賑わすには都合のよい言説であったのだ。90年代半ばから、ずっと幾度となく同じことを言い続けてきたわけである。何故なら、大蔵解体と監督官庁の分離、金融機関や保険会社を弱体化させるのには、まことに都合のよい説だったからだ。


日銀や日銀擁護派の中でも、デフレを解消できないのは日銀のせいではなく、金融システムとか銀行機能といった「トランスミッション問題」として、言い訳の理由に用いるのに便利だったのだろう。エンジン=日銀には責任がない・政策上は何ら問題ない、ということを主張したかったのだ。あくまでトランスミッションとかそこから先の問題なのだ、と。

デフレは、そういう理由ではなかった。にも関わらず、金融庁検査の厳格化と称して、更なる貸し剥がしが行われたというわけである。あの、悲惨な02年をもたらした、ということである。


結果的に、不良債権説はほぼ全敗に近かったのではなかったか。にも関わらず、マスコミでも政府内や金融カンファレンスなどでも、そういう主張をしていた学識者たちは大勢いたのである。これら妄言を吐いていた連中は、自らの誤りについて反省などしていないのであろう。


拙ブログでは、06年時点でのデフレ原因というものについて、一定の見解を書いている。中でも賃金要因について、それまで主流であった説よりも重視する立場を取っている。


06年>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c640ecd176eedbab5497ec396510067a

06年>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/dc1a1ab02f8b84677dd1c719df392dd5

(再掲)
ただ、今までの幾つかの記事にも少し書いてきましたが、社会全体の現象で見れば、
・賃金水準は97年以前とそれ以後で異なり98年以降低下
・非正規雇用が拡大
・ULCは98年以降低下(連続でマイナスに)
・企業の借入残高は減少傾向
・設備投資の減少
ということが観察されるので、当たらずと言えども遠からずなのではないか(笑)と思います。
なので、価格上昇圧力をULCの低下などで吸収してきたのではないか、ということです。何故価格転嫁しないのか、というと、消費者達の求める「低価格達成」とか、競合他社との価格競争に勝つことが「企業の生き残り戦略」だと信じていたから、などであり、世の中全体に「もっと価格は下がるだろう」という期待予測が醸成されていったからではないか、と思うわけです。
物価の下落期待というのがこれほどまでに定着したキッカケは、中国製品輸入であった可能性があるのではないですか、ということです。多分、あまりに刺激が強すぎたのかもしれません(笑)。

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こうした輸入物価の低下は、デフレ要因の一部になっていたのではないかと述べたら、多くの自称「経済学通」?的な人たちは、一般物価と間違っているだとか、輸入依存度は低いから関係ないとか言っていたはずでは。
だが、昨今の円安局面では何と言っているのだろうか?


輸入物価が上がった―殊に原油LNG価格上昇―という影響で物価上昇をもたらしている、といった説明は珍しくないのでは?
「りふれは」の言う輸入物価なんて関係ねーという言説は、現実世界においてどうなのか?


確かに輸入価格水準がダイレクトに物価に反映されるというものではないかもしれない。けれども、企業のプライシングにおいては、無関係ということはないはずなのだ。それを全く無視するかのような姿勢というのは、やはり自省すべきなのではないのか。



日銀を批判していた「りふれは」と称する人々は、実際に具体的解決方法などを提示できていたかと言えば、そうでもなかったろう。


まず、「りふれは」たちの言い分は、殆どが「インタゲしろ」ということだけだった。反対派がそれを見て、「宣言しただけで物価が上昇するのか」とツッコミを入れていた。
しかも量的緩和というのは、流動性の罠で「無効である」と盛んに日銀を攻撃していたのではなかったのか。日銀の当座預金残高を増やしても意味がない、と言ってきたのは、「りふれは」ではなかったのか。


それが今では、マネタリーベースを増やせ、とか言い分を変えたのではないのか。「ケチャップでも買え」ということの意味合いについて、本当によく考えたのか?いくら日銀券を増刷しても、金庫の中に眠っているだけでは何ら変わらない、という問いに対して、きちんと答えていた「りふれは」なんていたか?

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6890b766733008cae666b26deca52197


刷ったお金を使う、ということについて、真剣に考えていたとは到底思えない。政策的にコストカットを推進したら、それは結果的にデフレ的効果をもたらす。財投資金であろうと地方交付税交付金だろうと、一般政府歳出を削れば需要減少効果となろう。だから、拙ブログでは「2相性のデフレ」と呼んだのだ。02年以降の成長率プラス期間においてでさえデフレが続いたのは、賃金低下+政策によるデフレということだったろう。


いずれにせよ、インフレターゲット政策を実施するとして、具体的に何をどうすべきか、ということを言わない限り、日銀だって政策実行なんかできないのである。

残念なことに、当方ですら約1年くらい資料を読んだりすれば考えつきそうなことを、何故か大勢の高学歴で優秀な経済学に精通している人たちが大勢揃っているのに、満足に考えたり解決法を提示したりできない、ということだった。



「りふれは」たちもまた、日銀を批判する割にはそんなに役立ったわけでもなかった。学術面で、政策実現の為に説得的な意見を出していた人は、果たして誰がいたであろうか?例えば「日銀券ルール」に対して、何かの論説で経済学理論に則った有効な意見を述べたのか?


要するに、経済学に無関心で疎い一国民の立場からすると、日銀であろうと「りふれは」だろうと、大した違いなどなかったということである。


拙ブログでは、最低賃金も段階的に引き上げるべき、という主張をしてきたわけだが、「りふれは」とかの経済学理論に精通しているという人たちは反対してきたはずだ。上限金利規制の時もそうだし、賃金水準についてもそうだ。頭から「規制はするな、禁酒法を知らないのか」といったレベルのことしか考えられないのであろう(自己破産が数百万人だか1千万人級で出るとか言ってませんでしたか?)。


09年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/99e9c190457dba2c705e38e02ca1da5a


「りふれは」とやらが主張していたことは、本当に正しかったのか?
当方には、とてもそうとは思えないわけだが。



デフレの要因として、賃金の重要性に当方ですら辿り着けたというのに、何故多くの学識者たちはもっと早くからそれを主張し続けなかったのか?

ようやく今頃になって、政府与党からも賃金引き上げを求めるようになったわけだが、デフレ期間がここまで継続してはじめて知る、みたいなことだろう?


90年代後半から始まって、あんなに口角泡を飛ばして罵り合ってきたのに、満足な答えも解決策も提示することなく、06年に拙ブログで書いたようなことが2013年になってようやく理解されるようになる、というのは、一体全体どういうことだと思いますか?


経済学無知のド素人ですら1〜2年程度で考え得ることが、知識階層や政策決定の影響力を持つエリート層に理解されるのに、これほど時間がかかるというのは、どうしてだと思いますか?


無能な人間にこそ、より大きな発言力、影響力や権限があり、そういう人間のせいで大勢の国民が被害を蒙る、ということなのだ。



そういえば、前に白川前日銀総裁の弁を書いたことがあった。

13年10月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b3eb998d5d58a417e703e758b7a50cf3


増税するのではなく、むしろ逆に「ヘリマネ」的に個人へのサポートをしておけばよかったのだ。インフレ率上昇による実質賃金低下を補う、という意味においても、だ。しかし、政府は逆のことをやった。更に個人消費の芽を摘んだのだ。
だから、失速したのだ。


愚かというのは、本当に死ななければ治らないものなのか。



上の方が揃ってバカである場合、普通の国民はどうしたらよいのでしょうか。母親が「危ないから、ストーブに触っちゃダメ」とわが子に注意を促すのと同じく、増税は危険だと言っているのにやってしまって、案の定火傷するのを見ると、これ以上どうしてあげればいいのか分かりませんね。