怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

続・リフレ?一派の暗黒史

最近来日されたらしく、ちょっと話題になっていたようなので。


via >https://twitter.com/shavetail/status/645712598051090432


http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20150921/japans_economy_crippled_by_caution

(一部引用)


これまでの疑わしい達成結果について驚くべきは、実際にはデフレと闘う絶対確実な方法が存在する、ということにある。即ち、紙幣を印刷する際、それを資産を買うのに使うのではなく、モノを買うのに使う、ということである。つまり、輪転機で支払われる財政赤字を計上せよ、ということだ。
お好みとあらば、中央銀行が古い債務を買い上げる一方で新しい債務を発行することにより、赤字財政を洗い替えすることもできる。経済学的にはそれは何ら違いをもたらさない。
しかし誰もこの明白なことをしようとはしない。むしろ世界中の先進国の政府は、財政緊縮策に取り組んでいて、中央銀行が経済の梃入れを図っている中、却って自らの経済を押し下げている。安倍氏は世界の大部分の政権よりは非伝統的であったが、彼でさえ、無分別な増税によって自分の政策プランを後退させてしまった。


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クルーグマンの論説で、紙幣印刷でモノを買う、の例示があったようである。
これは、拙ブログでも、既に書いたことがあるのをご記憶の方もおられるかもしれない。


13年3月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6890b766733008cae666b26deca52197


安倍政権誕生直後、アベノミクスで吹き上がっていた連中が大挙して観察された時期である。黒田日銀も発足したばかりで、「りふれは」達は勝利を誇り、期待感を膨らませていた時だ。


当時、拙ブログには次のように書いた。

(再掲)


③財政政策批判はどこまで妥当なのか?

金融政策の重要性を説くことは別にいい。だが、リフレ原理主義的な連中というのは、まるで「やること自体が間違い」みたいに決めつけるわけだが、本当に検討した結果なのだろうか?

また例で考えてみよう。
有名な「ヘリマネ」という話があるだろう。お金をヘリコプターから播けばいい、という思考実験的な喩え話だ。バーナンキ背理法なんかにも通じる話である。

これには必ず言外の前提というものがあるはずだ。
それはどういうことか?
「もらったお金を人々が使うであろう」
というものである。


木の葉が降ってきたら、どうするか?
箒で掃いて、ゴミ袋なんかに入れてしまうだろう。そう、そのまんま、だ。燃やしてしまう人もいるかもしれないが、木の葉を店に持って行って支払う人はいないだろう。
では、お金が降ってきたら?(笑)
まあ、普通は使ってしまう。だけど「お金の量を増やせば、物価が上がる」という直結状態ではない、という場合が存在する、ということを考慮しておく必要があるはずだろう、ということを言っているのである。


お金を貰った人がきっと使ってしまう、そういう暗黙の了解が存在していないと、ヘリマネの議論は成り立たないし、バーナンキ背理法も同じく通用しないだろう。お金を受け取った人が、ポリ袋に入れて木の葉の如く退蔵しているとか、お財布か貯金箱に入れたまんまでどこにも使わなかった場合、物価は上昇しない。だから、単純にベースマネーを増やして、日銀金庫に大量の眠らせてあっても、世の中の資金量(循環)には殆ど影響を与えない、ということがあり得るだろう、ということに注意する必要があるのではないか、と言っているのである。


「貰ったお金は必ず何かに使う」という前提が必要なのである。
お金を貰って使う立場が誰か、ということで場合分けができる。
政府が使えば、公共事業なんかの様々な政府支出となる。一般の個人が使う場合には、減税、給付金、医療費補助や生活保護費等々になるだろう。企業が使う場合というのは、法人税減税、研究開発費等補助金、中小企業対策費などである。日銀が使う(というのが妥当な表現かどうかは不明だが)場合には、各種資産買入ということになる。


ヘリマネは大袈裟な表現ではあるものの、具体的政策として考えるなら定額給付金に近いもの、ということになるだろう。そして、通常は「使わずにはいられない」ということであり、何か食べるとか買うということで、使えば需要増大が起こる。そのことがデフレ圧力を改善するはずだ。しかし、誰一人全く使うことなく保管されてしまうと「貨幣供給は増大したのに物価は不変」ということになる。


従って、お金を使う経路、というのがどういうものになるか、というのは考える必要があるはずなのだ。財政政策なしでいいという場合には、政府、個人、企業が使う立場になることを否定するわけであり、その場合には日銀が資産購入に充てるよりない、ということになってしまう

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盲信してた人たちは、経済学の御旗を掲げて、財政政策を徹底的に否定していたのではなかったか。
マンデルフレミングモデルなんかを知らんのか、と罵倒し、クラウディングアウトや円高を招くから外需減で効果がないんじゃボケが、みたいな意見を言ってなかったか?

彼らは、以前よりはるかに円安になったのに、輸出苦戦をどう説明してくれるか、財政政策の意味をどう解釈するのか、聞いてみたいものだね。


クルーグマン先生のご意見は、当方の発想とはそう遠くないようにも思えますが、うぬぼれでした、すみません。


「りふれは」は過去の反省会をやったのかな?
何が妥当性が高く、何が悪かったか、どうして言わないのだね?


自分たちの言説を振り返ることがなく、反省の弁もなく、主張の変更宣言もないとなれば、ただの狂信集団であったということになりかねないのでは?


まあ、彼らの言い分というのは、学問ではない、ということなのかもしれないね。
無能な経済学部とか、ホント無駄ではないかと小言を言いたくはないが、かなり危ないわな。まさしく存立危機事態w


参考:http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/fc25e12cbdfd9f782b223b9d4213527c