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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

「1億総活躍社会」は人間力の焼き直し

安倍政権のスローガンというのは、当初アベノミクスを掲げていたわけだが、それが大した効果を挙げることができず、むしろマイナス成長を招く結果となっている。
経済界も総出で「成長戦略だ、政府は早く成長戦略をやれ」などという世迷言を繰り返していたわけであるが、それが無駄であるということに気付くことはなかった。官業中心の社会主義国でもあるまいし、そんなに政府に成長させて欲しけりゃ、民間企業は政府所有にでもしてもらえ、と思わないでもない。


アベノミクスの「3本の矢」とは別に、実は裏三本というか、三本柱というものがあったようなのだ。

それが、こちら
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/index.html

「選択する未来」ということで、この3本柱が
・成長
・地方
・人の活躍
なのである。

そう、簡単に言えば、パクリだな。小泉政権時代にあった、『21世紀ビジョン』と似たものだ、ということ。看板を替えただけでは。10年経っても、何らの進歩もない、ということかと。

05年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/956dec96525856f54d832bf03c3d4fc7

当時には、人間力とか政策が間違いだの、ニートと分類・呼ぶのがダメ、とか、散々批判があったものだが、安倍支持層では「転向組」も続出か?(笑)

参考:06年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b089fbe352cc9c6a3db1a8ba0879053d

対人的政策を否定していたなら、今も否定すべきではないかな。考えが変わったなら、それはそれでいいが、懺悔の告白でもしてみてはどうか。



で、成長戦略をどうこうという話は産業競争力会議だか何とかで、TPP推進だ、法人税下げろ、もっと規制緩和しろ、的に以前と変わらぬ主張が続いている、と。けれども、これといった成果なんか当然何一つなく、マイナス成長を招いているのは彼らのような「経済音痴の集まり」が考えた結果が、いつも反映されるからだろう。


第二の柱である、地方創生ってやつね(笑)。
これも、石破大臣が結果を見せることなく年数だけ経過しており、その間に地方はマイナス成長に喘ぐということだな。特に、アベノミクスでの東京一極集中効果と大企業への恩恵があった為に、他地域では軒並み打撃を受けてマイナスになるのもしかたない、というところだろう。
ただ、地方創生って一口に言っても、短期間で成果を挙げられることは難しいということはあるだろう。目覚ましい政策の一つも出てこないのに、成果など期待できるはずもないんだが。


ここまでで、成長が1アウト、地方で2アウト、ってことなんだわ。
最後に残されてたのが、「人の活躍」ってヤツで、これを多分「1億総活躍」にしたんだろうと思う。
成長担当が甘利大臣でスカ、地方が石破で凡退、「1億相」がアレ誰だっけ?忘れた。まあ、予想では、普通に3アウトチェンジ、だな。


人間力の時にも、かなり毛嫌いされてたし、総スカン気味だったわけで。今回はあの時以上に、空振りに終わる気配。こんな話が行われているようなので。

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/wg2/0903/sankou_02.pdf


一例を挙げると、
『既に多くの先進国では、教育施策のレベルで、コンピテンシー、あるいはキー・スキル、汎用的能力、ジェネリック・スキルと言われるようなものを、コンテンツと並んで一つの軸に据えた複眼的な目標論とかカリキュラム構成論を生み出して進んでいる。』
とか、
『教育課程の枠組み自体は現行で大きな問題はなく、カリキュラムの大枠を変える必要はないが、コンピテンシーの視点でこれまでの教育内容を再編成することはありうると思う。小学校ではよい取組が行われているが、中高はコンテンツ・ベイスから抜け出せずにいるので、変革を要するかもしれない。』
初等教育中等教育の頭くらいから、デザインシンキングなどをカリキュラムとして作っていくとよいのではないか。イノベーティブな人を養成する強化校のようなものを置くことも考えられる。』

みたいなことが、話されているわけですよ。何を言ってるか分かりますか?

私には皆目見当もつきませんね。
どういったことをやれば、「1億総活躍」できるのか、この流れから読み取れる人たちは、本当に凄いと思えます。
日本国民を今後、こういう方向に教育して、端的に言えば人間改造させて、国家の為に稼げる人間を育てよう、ってことですわな。その教育効果が出てくるのには、どれくらいかかるのでしょう?何十年か先なのでは?
待っていられますかねえ、現代の有権者たちが。


けど、目玉政策が完全払底してしまった安倍政権が、なけなしの知恵を振り絞って投入してきたのが、この「人の活躍」政策ってことなんだわ。これは、かなりの長期的視点での話ではないかと普通は考えるわけだが、これの担当大臣を今置いて、何をどうしようと言うのだろうね(笑)。


支離滅裂につき、全く分かりませんわ。「1億総活躍」ってネーミングがダメだな。ネットで募集でもすれば、きっとすぐにいいのが決まるのに。



そういう話ではなく、単純に「生涯現役で」って言えば、それで終わっていたものではないのかねえ。
例えば弁護士だって、定年とかないから、体の続く限り「現役」で仕事をする、というわけでしょう?仕事を継続することによって、年金にだけ頼ることが減らせるし、やりがい・生き甲斐が確保できることで、ボケや孤独といったことも回避されうるし、社会との接点が継続されるということで、良い面がふえる、ということでしょう?社会の生産活動にも寄与できるわけでしょう?

過去には、農業従事者が多かったので、皆、そうやって高齢でも自作自農でやってたんじゃないですかね。病気とかで引退する人も勿論いますが、できるだけ現役を続けたいという高齢者は多いわけですよね。
それこそが、今後の労働人口減少を補う力になるし、高齢者は仕事を通じて生き甲斐が保てるし、介護のお世話になる機会を減らせて社会保障費削減に貢献できるね、ということでしょう?

高齢者の人口がざっと約3600万人、6割が仕事をするだけで2160万人もの労働力になるわけです。
高齢女性にしても、子育て係や介護係を「老老介護」なんて言わないで、できる人がやるという社会になっていれば、収入も得られて頼りにされるなら、喜んでやる人もいるのでは?
これまでは孫の世話をする、ということだったかもしれないが、少子化で孫がいない世帯も増えるだろう。それなら、保育のお手伝いをすることで、孫の面倒をみると思えばいいのでは?


これは、遠い将来ではなく、割と近未来ではないかな。年金額が少なければ、必然的に各自が仕事をして収入を補おうとするわけで、現在でもそうなりつつあるのではないか。日本全体が貧乏になれば、必然的に働かざるを得なくなる。でもそれが逆に、結果オーライになることだってあるかもよ、と。生き甲斐があった方が、高齢者だって楽しい人生かもしれないな、と。
個人的印象だと、仕事してる高齢者は、「仕事やめたいけど、生きる為には仕方ない、辛い日々だなあ」とか思うよりも、「生きてる限りは、今の仕事を続けたい」って言う人の方が多いのではないのかな、ということです。


一方では、仕事がキツイ、と言いながらも、国民全体で就業率8割弱とか行くようになると、それはそれでいいような、悪いような、どうなんでしょう。働きたくない人も、生きる為には仕方がない、と。生産年齢の人であっても、働きたくないってことはよくあるから、どうしたものか。