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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

辺野古沖基地建設に係る埋立承認取消の代執行に関する裁判の争点について〜1

(個人的感想について:半月も待つのは、かなり辛かった。この日、この瞬間を待っていたのだよ。当初、意表をつかれた代執行の手続きだったが、ひょっとすると千載一遇のチャンスかもしれない、と思えた。国が法廷闘争を選んでくれたことに感謝したい。もしも行政不服審査法上の裁決だけであったなら、裁判に持ち込めるまでは圧倒的に不利だったことは確実だった。しかし、今回のように裁判所の判断を仰ぐチャンスを得るなら、官邸の言いなりでしかない霞が関の審査庁から出る裁決を待つよりも、ずっとマシだからだ。負けが確定するまでは、諦めないぞ。卑怯な手を用いる者たちに、法の鉄槌を下されんことを!)


この検討内容は、あくまで当方個人の見解であり、どの程度の正当性・正確性があるかは当方には判断できない。過去に書いてきた記事とも違っている部分がある(以前には気付けなかったことも多々あった)ので、お詫びして本見解に変更をお許し願いたい。



文中の文言は、次のように記すものとする。
公有水面埋立法 =公水法
・合衆国政府 =米国政府
日本国政府 =国、政府
・合衆国軍隊 =米軍
・沖縄に関する特別行動委員会 =SACO
・日米安全保障協議委員会 =SCC
普天間代替基地建設事業 =基地建設
沖縄県知事 =知事
・沖縄防衛局 =事業者



総論


1 大規模埋立工事は不可逆的である

ひとたび埋立工事を実行してしまうと、自然環境、生態系や利害得失関係などは工事以前に戻せない。条文上では原状回復が存在しており規定されてもいるが、現実には不可能である。そしてその不可逆性によって、工事完了後でさえ長期に渡る利害対立が残る原因となる。従って、事前の評価が大切であり、事業計画について慎重な検討がなされなければならないことは言うまでもない。


1)諫早湾干拓事業における教訓

埋立行政の大失敗例である。事後救済や解決方法が未だに確立されていない。平成22年福岡高裁判決により開門義務が確定判決となったが、平成25年長崎地裁による開門禁止仮処分が決定された。更に、平成27年1月には最高裁が国の抗告を棄却し、現在においても福岡高裁長崎地裁で係争が続いており、今後の解決の糸口は一向に見えない。
計画から約20年を経て昭和63年に埋立承認、平成9年には潮受堤防の締切となったものの、現在においても裁判が続いているということである。混乱と迷走の元凶は稚拙な事業計画や影響評価で実施を決定したことであり、明らかな失敗事業であった。これならやらない方がまだよかった(一方当事者だけの不満が残るだけだから)という声も聞こえよう。杜撰な埋立という政策によって、30年以上にも及ぶ争議を生み出したと言っても過言ではない。
同じ失敗を繰り返さない為にも、事前の評価、検討が重要ということである。


2)鞆の浦埋立問題

広島県知事に対し、公有水面埋立の免許をしてはならないとする旨の判決であった。

【平成21年10月1日 広島地裁判決】

『景観利益に関する損害については、処分の取消しの訴えを提起し、執行停止を受けることによっても、その救済を図ることが困難な損害であるといえる。以上の点や、景観利益は、生命・身体等といった権利とはその性質を異にするものの、日々の生活に密接に関連した利益といえること、景観利益は、一度損なわれたならば、金銭賠償によって回復することは困難な性質のものであることなどを総合考慮すれば、景観利益については、本件埋立免許がされることにより重大な損害を生ずるおそれがあると認めるのが相当である。』と判示された。
沖縄県においても、自然環境及び景観保護の観点から免許することが適切ではないという判断の一因となっているのであるから、これについて十分な検討がなされるべきであり、現時点での知事の政策判断は尊重されるべきである。また、海とその周辺の自然環境の恵沢を享受する権利は不特定多数の一般個人にもあり、当然に保護されるべき法益である。最高裁判例によれば、次の通りである。

「法律上の利益を有する者」とは,当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され,又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであり,当該処分を定めた行政法規が,不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず,それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には,このような利益もここにいう法律上保護された利益に当たり,当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は,当該処分の取消訴訟における原告適格を有するものというべきである。そして,処分の相手方以外の者について上記の法律上保護された利益の有無を判断するに当たっては,当該処分の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく,当該法令の趣旨及び目的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮し,この場合において,当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては,当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌し,当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては,当該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度をも勘案すべきものである最高裁平成16年(行ヒ)第114号,同17年12月7日大法廷判決・民集59(10)2645)。

代執行の提訴を行った国においては、この名文をしかと噛みしめるべきである。
『当該法令と目的を共通にする関係法令があるときはその趣旨及び目的をも参酌すべし』、と最高裁が言っているのである。



2 現政権下における行政庁の行為は果たして法に基づいているのか

本来、行政の行為は法に則り正確に実行されなければならない。ところが、現政権への信頼は乏しく、本当に法に基づいて行政行為がなされているのか疑問である。


1)論点1:基地建設の根拠法は何か

本件のような大規模事業を一般法を根拠とし、行政の裁量権のみで実施することは、事業を円滑かつ安全に遂行する上で支障を来すことは当然に予想された。国の直轄事業として本件基地建設を行うのであるから、行政事務や手続の多くを沖縄県に押し付けるのではなく、国が大半を負うべき責務がある。公水法の承認は知事権限を尊重するのが当然としても、特別法での対応があってしかるべきである。
例えば、「公共用地の取得に関する特別措置法」や「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」では、重要な公共事業の位置づけがより明確化されている。本件基地建設が唯一の方法であって非常に重要であると政府が主張するのであるから、特別法の対象事業としての遂行が望ましく、重要であればこそ特別法の必要性が増すことはあっても減じることはなかろう。
本件基地建設が特別法の制定が必ずしも求められないとしても、政府の権限の基となっている根拠法を明示するとともに、これを説明すべきである。防衛省設置法4条12号及び各年度における予算関連法しかないのであれば、それでもよいが、あまりに無造作な根拠といえよう。


2)論点2:海上保安庁の強制排除の法的根拠は何か

海上保安庁は、作業範囲の海域に設置された浮標内に進入したカヌーや民間人を強制的に排除している。身体拘束を伴う行為が公然と行われており、これまで告発された例もある(不起訴処分となった)。海上保安庁が明確な法的根拠を提示しておらず、拘束時にも法的根拠について宣言・説明していることは皆無である。逆に問われても答えない。
海域の通航・進入制限は、どのような法的根拠があるのか不明のままであり、範囲が示された唯一の手掛かりは、防衛省告示123号(平成26年7月1日)のみである。この告示をもって海上保安庁が行っている身体拘束の根拠とすることは不可能である。海上保安庁法18条1項の適用と主張するとしても、その要件を満たしていることの立証が必要である。


3)論点3:政府の海域提供の法的根拠は何か

論点2と関連するが、政府が米軍に提供することとした海域について、前記防衛省告示123号をもって手続が完了していると考えることはできない。まるで私有地のような独占的領域として海を取扱うことは、不当である。最高裁判例では、次のように述べられている。

最判三小 昭61.12.16 民集40(7)1236)】
『海は、古来より自然の状態のままで一般公衆の共同使用に供されてきたところのいわゆる公共用物であつて、国の直接の公法的支配管理に服し、特定人による排他的支配の許されないものである(中略) 現行法をみるに、海の一定範囲を区画しこれを私人の所有に帰属させることを認めた法律はなく、かえつて、公有水面埋立法が、公有水面の埋立てをしようとする者に対しては埋立ての免許を与え、埋立工事の竣工認可によつて埋立地を右の者の所有に帰属させることとしていることに照らせば、現行法は、海について、海水に覆われたままの状態で一定範囲を区画しこれを私人の所有に帰属させるという制度は採用していないことが明らかである』

最判二小 平17.12.16】
『海は,特定人による独占的排他的支配の許されないものであり,現行法上,海水に覆われたままの状態でその一定範囲を区画してこれを私人の所有に帰属させるという制度は採用されていない』

これらから当然に一定範囲を区画して私人所有に帰属させることは不可能であり、防衛省がたとえ告示によって米軍に対する提供を決定したとしても、国会による立法措置なく特定人(本件では防衛省及び米軍)による排他的支配が無条件に認められることはない。
従って、防衛省告示123号には法的根拠を欠いており、本件海域の提供は違法である。


4)論点4:公共用物である本件海域を利用する権利は一般公衆にあり、法益もある

防衛省告示123号の存在により、米国政府及び米軍が独占的排他的に本件海域を使用する権利を獲得できる、という説明は誤りである。理由は、前記最高裁判例で尽きているわけであるが、法律の条文からでもそれはうかがい知ることはできうる。国は本件埋立に伴い岩礁破砕許可申請を行っているが、申請書には漁業権者の免許番号と補償の措置について記載されていた。もしも防衛省告示123号をもって独占的排他的支配を必然的に確立するのであれば、海域の漁業権者への補償は不要であるはずである。米軍に提供する海域を区画し指定しても、それをもって海域への進入制限を加えたり、海の利用を一方的に制限できる根拠となるものではないということである。

提供海域の主要な利用権者として、漁業権を有する者に対して補償しているが、他の利害関係者が存在する場合には、同様に補償の対象としなければならないはずである。漁業権者については、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づき日本国にあるアメリカ合衆国の軍隊の水面の使用に伴う漁船の操業制限等に関する法律」に基づいて制限と補償がなされているものであろう。

また、土地収用法5条3項は、『土地、河川の敷地、海底又は流水、海水その他の水を第三条各号の一に規定する事業の用に供するため、これらのもの(当該土地が埋立て又は干拓により造成されるものであるときは、当該埋立て又は干拓に係る河川の敷地又は海底)に関係のある漁業権、入漁権その他河川の敷地、海底又は流水、海水その他の水を利用する権利を消滅させ、又は制限することが必要且つ相当である場合においては、この法律の定めるところにより、これらの権利を収用し、又は使用することができる』と規定している。「海水その他の水を利用する権利」は、漁業権以外の補償対象となるべき法益として存在し、その権利を消滅又は制限するには土地収用法の規定に基づく手続が必要なのである。

つまり、土地収用法という法律に則った手続が正当に行われた場合にのみ、制限が可能となるということである。本件においては、そうした手続が実施されていないことは明らかであって、国が違法でないという合理的説明があるなら、それを提示する義務がある。論点2、3と合わせて、整合的説明ができなければならない。

更に、「防衛省における自衛隊施設の取得等に関する訓令」では、4条(1)で『施設とは、自衛隊の用に供する土地、建物、立木、その他土地に定着する物件及び土地収用法第5条に掲げる権利をいう』とされ、(2)において、施設の取得等とは、『土地収用法第5条の権利の消滅又は制限』が含まれている。すなわち、土地収用法5条の権利は国民に存するものであり、この権利の消滅又は制限は、土地収用法による手続や本施設の取得等に関する訓令の手続によらねば許されないということである。この訓令4条の除外規定として、「自衛隊の訓練等に必要な制限水域の設定及びこれに伴う損失補償に関する訓令」があるが、これは制限水域が自衛隊の「施設の取得等」には該当せず、単に漁業権者への補償を行うに過ぎず、この場合土地収用法5条に掲げる権利の消滅又は制限を主張することはできない。本件での制限水域の正当性をこの訓練等に必要な制限水域と主張する場合であっても、漁船以外に制限を課すことは違法である。


海ではなく河川に関する重要判例では次のように判示される。

『公水使用権は、それが慣習によるものであると行政庁の許可によるものであるとを問わず、公共用物たる公水の上に存する権利であることにかんがみ、河川の全水量を独占排他的に利用しうる絶対不可侵の権利ではなく、使用目的を充たすに必要な限度の流水を使用しうるに過ぎないものと解するのを相当とする(大審院明治三〇年第四二二ないし第四二四号同三一年一一月一八日判決、民録四輯一〇巻二四頁、同院大正五年(オ)第六二号同年一二月二日判決、民録二二輯二三四頁参照)』

海の利用についても、独占排他的に利用しうる絶対不可侵の権利を約するものとは解されず、使用目的を充たすに必要な限度の使用を許容するに過ぎないと解するべきである。次の判決文も参照すべきである。

【昭和55年1月31日 東京地裁判決】

『そもそも海や海岸は、何人も他人の共同使用を妨げない範囲で自由に使用できる自然公物であり、海水浴もこの公物の自由使用として普通地方公共団体による海水浴場の開設を待つまでもなく、自由にできる行為である』
(注:当時には海岸法の規定がなかった為、海と海岸が併記されている)

海の独占排他的な利用の権利を証明できる法的根拠は、存在しない。
仮に防衛省告示第123号で使用を宣言したとしても絶対不可侵の権利ではありえず、海は何人も自由に使用できる自然公物であり、自由使用が当然に認められているものであって、遊泳や釣りなどは自由にできる行為である。


【昭和35(オ)676, 昭和39年1月16日判決(最判一小)】

地方公共団体の開設している村道に対しては村民各自は他の村民がその道路に対して有する利益ないし自由を侵害しない程度において、自己の生活上必須の行動を自由に行い得べきところの使用の自由権民法七一〇条参照)を有するものと解するを相当とする』
『通行の自由権は公法関係から由来するものであるけれども、各自が日常生活上諸般の権利を行使するについて欠くことのできない要具であるから、これに対しては民法の保護を与うべきは当然の筋合である。故に一村民がこの権利を妨害されたときは民法不法行為の問題の生ずるのは当然であり、この妨害が継続するときは、これが排除を求める権利を有することは、また言を俟たない』

使用できる利益を有するに過ぎず固有の権利を有していない者、すなわち、反射的利益を享受し得るに過ぎない者てあっても、第三者の行為によって利益享受が妨害された場合には、第三者に妨害排除を請求する権利を有する、とされた。通航の自由権や海を使用する権利は、自然公物の自由使用として認められていたものであり、この権利を妨害する本件区域での海上保安庁の強制排除等の行為は明らかに不法行為である。


(つづく)