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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

昭和43年最高裁判例を誤用する訟務局

先日にも指摘したが、国の訴状や釈明を書いた人間たちは、詭弁しか思いつかない程度なのであろうか。根本から間違っているとしか思えない。

争点その4>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/6285ad6c968ae5b68fe319db1ccd4eeb


また喩え話で申し訳ないが書いてみる(スマン)。

悪代官:
「お前の娘の首に短刀が突き付けられているだろう?娘の命が惜しいだろう?だったら、てごめにされることを受け入れればいいのだ。わかるだろう?オイ、手下1号、娘の首に刃を押し当ててやんな。ホラホラ、娘の命が危ないぞ〜〜?」

母親:
「お前のような卑劣な下郎の言いなりになどなるものか。死んでもいやじゃ」

悪代官:
「そんなことを言うていいのか〜?娘が苦しんどるぞ?娘の命とお前の体、どちらが大事なんだ〜?娘の命がなくなってもいいのか〜?んん??グェグゲゲエ」


国の言い分は、まさしくこういうのに匹敵している。
不利益を比較してみよ、と求めているわけだが、娘を人質にして、母親が強姦されるか娘の命かを選ばせるという、比較するべきでないものを比較して選ばせるも同然だということ。これを、不公正と呼ばす何と呼ぶ?

解決策としては、娘の命を危うくしているものは明らかだ。「首に押しあてられた刃」である。これを取り除けば、簡単だ。娘の命は助かる。
そして、母親も強姦を選ぶ必要などない。


普天間周辺が犠牲になるか、辺野古が犠牲になるか、どちらか選べ、という設定自体が不当である。娘の命か、母親の強姦か、の択一と同じようなものだ。

しかも国は、知事には基地の配置などを審査する権限がない、と主張しているのであるから、普天間に置かず辺野古に置いた方がよいなどという比較考量はできない(すべきでない)というも同然であり、矛盾している。


https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=144163

国側の釈明の要旨を読みました。
こんなに、あれこれ主張したかったのであれば、何故聴聞の時に言わなかったのでしょうか?処分をさせてからの代執行でトドメを刺すことを狙っていたからでしょう?聴聞を拒否した挙句、代執行裁判で言うというのは、法の悪用です。


案の定、米軍頼み、ですな。
国側の作戦は、焦点をごまかすこと、何が何でも「米軍基地と日米の条約」という統治行為論の方に話を持っていこう、というものです。

沖縄県側がこれに付き合っても意味はありません。話を散漫にするのは、無駄な官僚の頭数を抱える側の基本戦術です(人海戦術と呼ぶに等しいもの)。下らない作業をいくらでもできるから、です。
(ネットの炎上戦法にも似ている。書き込み集団を持つ側は人海戦術で優位となり、少数者は作業量で追い付けない)


沖縄県答弁書ではどういう回答をしているのか分かりませんが、県側主張の組み立ての弱点を攻めてきているはずなので、大事な部分を維持するようにお願いしたいです。

まず、国の言う国防上の判断などについてですが、これは覆す論立ては難しいと思います。第三者委員会とか県側主張で、「こんなにたくさん基地があるのに辺野古に置く必要がない」というような米軍基地の是非論は、殆ど効果がないでしょう。



沖縄県側の主張としては、
ア)代執行の請求そのものが、要件を満たさず失当である
イ)憲法94条にいう「財産の管理」権限の行使である

をまず主張するべきと思います。

国は、これらについて、何らの具体的な記述がないので、ここは勝負できるものと思っています。

国は自分たちの得になる領域にしか自説を展開してこないので、そこを主たる争点として戦うのは、得策とは思えません。

原初の承認時点での瑕疵の存在、これについてですが、沖縄県側の取消処分における取消事由となっていますので、そこで示した理由全部の正当性を争うのは非常に厳しいと思います。
米軍基地の配置云々は、国のいう「専権事項(注」の主旨は向こうに分があります。原則として知事にその権限がないというのは、覆すのは困難です。環境保護措置についての検討が不十分であった、という点は維持できるかと思います。憲法92条ないし94条規定で「埋立は拒否はできる」、を言うことは可能かと思います。

(注)準備書面中で『当該米軍施設及び区域の配置場所を国防上、外交上の見地から辺野古沿岸域とすることは、専ら国によって決定されるべき事項』などと記載


仮の話ですが、取消処分そのものに一部理由の不備を言われてしまったとしても、いったん取り下げて訂正してから改めて取り消すことは可能であるので、国のいう処分が違法であるという説をまずはよく見てみる必要があるかと思います。
なので、県が示した取消理由のうち、失う部分があったとしても、それはやむを得ないと考えておく方が無難だと思います。そこを無用に頑張り過ぎても、裁判での印象が悪くなる可能性があるかと思います。


承認時点での手続上の違法の立論ですが、若干難しいかもしれません。が、
承認後の不当を言うことはできます。後発的瑕疵の存在は示せるかと思います。


◆埋立海域の権利関係について:
・本件海域の独占排他的な米軍の使用権原について存在が証明されてない
・制限海域の設定は平成26年7月の防衛省告示で、埋立申請より後日
・日米合同委員会の合意、決定は26年6月20日以降(国会答弁で19日時点で未定と回答)なので申請時には米軍の使用に供する区域でない
沖縄返還協定文書の米軍使用条件や範囲にも一致しない

土地収用法5条に掲げる権利の消滅・制限が合法的に行われた形跡がない


◆承認時点の不当について:(違法、までは言えないかも、若干弱い)
承認以前から、国のいう「米軍施設」の立地自治体である名護市は埋立に反対していた。景観、自然環境、漁業その他産業上の利益の最大享受者である地方公共団体の議会が反対を決議し、首長が反対意見を提出しているのであるから、公共の福祉を害する工事であることは論をまたない。
埋立承認が許されるのは、こうした公共の福祉に反してもなお、優先するべき利益が存在することの証明がなされた場合のみ、である。その証明が不十分であれば、承認の処分は不当というべきである。

=承認の処分は不当であるから、取り消すべき理由がある


◆その他
・変更申請が平成26年12月に行われ承認されたとされるが、先行する埋立承認が取り消されれば変更承認は当然に無効というべき
・本件承認取消処分の提示理由にたとえ不備があっても取消は免れない
・国が法によらない手続で国民の権利を制限したり消滅させるのは許されない


審査事務に誤りがあったのは沖縄県側なんだから、それを処分の名宛人(防衛局)にしわ寄せを持ってこられても困る、という言い分はあり得るでしょう。民間人の場合ですと、行政が賠償義務を負うのかもしれません。


さて、国側の主張点の主要部分は、不利益の比較考量、というものです。
国の主張が不当であることを以下に示します。


国の主張というのは、昭和43年最高裁判例から不利益を盛んに言い募っているものであるが、その論は誤りが多い。

そもそも埋立免許(承認)というのは、今現在は存在していない土地を、水面ないし海面の場所に創出して、その土地を取得させることを許すものである。本質は、土地を取得させることであって、取消処分で生じる不利益というのは土地取得に係るものであり、国のいう米軍施設の配置がどうの移設がどうのというのは、副次的な話である。


国は、全く分かっていないようなので、例示をする。
判例に倣い、農地売買を考えてみよう。甲が乙に農地を売却したが、それを許す処分をした行政に誤りがあって処分が取り消され、乙の農地は甲に戻された。売買契約は無効となった。

さて、乙の受けた損失(不利益)は、売買契約の破棄によるものであり、乙が取得できたであろう土地で3年後には小麦をX万トン生産する予定で、その売却で得られる売上や利益というものを補償すべき損失額に算入できるものなのであろうか?

乙が土地を取得したままにしておけばこれら将来発生するかもしれない利益があり、これを喪失したことについて、取り消した行政庁が5年後、10年後の売上や利益までも賠償対象とするべきものなのか?

国の主張をなぞらえるならば、売買をしてもよい、と行政庁が認めた処分によって、取得された土地から生産された利益が自動的に乙に生じるから、これを賠償すべし、ということになろう。或いは埋立地に年30万台の自動車工場を予定しておれば、その毎年の生産額と販売利益について賠償することを認めよ、ということを国は主張するものだ。


このような主張は妥当とは言えない。
いったんは取得登記まで完了した農地について、処分が取消になって農地売買契約が無効となったのなら、土地取得に係る費用や取消時点で既に作付した農作物分やその他損害賠償は生じるというのが不利益の具体的内容であり、遠い将来時点において土地が生産するであろう農作物の損害を賠償することまで含むものではない。


土地売買の契約破棄によって、もし土地を取得していれば店舗を建設し売上がいくらあるはずだったのだから、これを賠償すべしというような論は成り立たない。また、店舗に丁度良い土地探しに20年費やし、その間の経費がいくらかかったのだから、土地売買契約破棄でそれを弁償せよ、と求めるのも不合理と言える。土地探しに5年か20年か費やしたとしても、そのコストは売買契約破棄時に請求できるものではない。5年だろうと20年だろうと、原則として契約上の同じ違約金しか発生しない。


国の主張の要点はこれらと同列であって、「処分の取消によって生じる不利益」とは、「処分の結果生じた利益が失われる」ことを比較考量の対象とするべきところ、この適用を誤っている。


本件で見れば、埋立予定の土地約160haが取得できなくなるというだけであり、土地は未だ存在せず実質的な埋立作業はなされてないから、海面から生じる利益などあるはずもなく、従って不利益は大きくない。キャンプシュワブは約2063haの面積を有しており、取消で得られなくなる土地は僅か約7.8%に過ぎない。飛行場建設が完全に不可能となったり、設計変更が二度とできない等の証明がないなら、代替手段はあるものと考えられ、その場合、わざわざ公共の福祉に反してまで埋立による土地取得が合理的であるかどうかは、疑問の余地がある。
本件申請以前には、SCC等では当初可撤式滑走路が最終3案に残されたり、2000年代以降も統合案やL字型案など、計画や設計の変遷が多々見られてきた。埋立方式となったのはここ最近のことであり、当初からの日米合意事項でなかったことは明白であって、変更不可能を言う国の主張は信頼性に欠ける。


一方、埋立工事は不可逆の変化を生じ、二度と元に戻すことはできない。このことの不利益は甚大である(自然環境保護政策は、不可逆的変化で失われる利益が甚大なればこそ実施されているものなので、これは当然である)。埋立工事が景観や自然環境の損失、海洋の自由使用を不可能とするなど、公益を害することは明らかである。



また国は、普天間基地についての危険をいうが、これも適用の誤りである。
飛行場の危険は埋立承認取消処分により生じた危険ではないことは明らかであって、これを承認後に獲得した利益(危険の除去)とし、取消により生ずる不利益とすることは不当である。承認後に、普天間基地の危険が承認前に比べて小さくなっていることを示さねば、処分の効果により生じた利益とすることはできない。

例えば、A地で操業中の工場が法の基準を超えて水質汚染をしているところ、B地に埋立地を取得し工場を移転すればA地における汚染が止まり危険が回避される、という論法に匹敵している。B地で埋立免許が得られたからといって、A地の汚染による危険度が軽減されたという利益を生じるはずもなく、埋立免許取消処分により「未だ生じてない利益」が失われる、などという不利益が発生することなど主張できない。工場が移転完了していなければ、汚染による危険の軽減利益をいうことはできない。
そもそも行政が、A地の汚染による危険を十分に認識していながら、法の基準に違反して工場の操業を許しておく不作為にこそ、A地の危険の原因があり、直ちに操業停止を実現する義務があるというべきである。違法操業工場を停止させると返還するよりないので、必然に返還が達成され、工場跡地利用による利益も問題なく進展するだろう。

すなわち、普天間基地でいえば、全面返還が日米合意事項として決定されているものであるから、これが達成できる方が望ましいに決まっている。これを否定するなら、国の論理は破綻している。


次に、国際関係上の点について。

見出し、(2)ア(ア)(3)
国家間の約束事を実現できず、今後の諸外国との外交関係の基礎となるべき、国際社会からの信頼の低下などの我が国が受ける不利益

(※もうちょっと区別しやすい見出しを使うべき。アと(ア)は区別できるが、(1)と(1)は区別できんだろ。大した話ではないけど)

国家間の約束事を実現できないことで信頼低下などの不利益を受ける、という。ならば、例えばキャンプ桑江の返還合意はSACO以来の決定事項である。平成18年5月には全面返還が合意されているにも関わらず、これが未だに達成されていない。38haが返還されてから何年も経っており、しかも近年新たな施設を次々と供給しているものである。残り返還予定の100ha弱は合意が守られていないことは確実である。
それでもなお、米国が信頼低下を招き、例えば日米間の約束事ができなくなったなどという具体的不利益の存在は証明されていない。



沖縄県の負担軽減措置について、埋立地が取得できないと、これができなくなるとも述べる。

(4) 普天間飛行場に比して大幅に規模の縮小した本件代替施設等を辺野古沿岸域に建設するという計画が頓挫することによって、沖縄県の負担軽減を進められなくなる不利益

前記の通り、違法かつ危険な普天間基地を直ちに運用停止し、これを返還するならば、必然的に負担は軽減される。これが不可能であることの理由がない。


経済的損失額云々を言うのも、以前の記事で書いた通りである。承認以前の支出は無駄。承認後の執行額と契約解除による違約金等は損失が発生するであろう。
例えば国立競技場の無駄になった金額とまず比較するべき。



国の主張は、代執行請求を確実に正当化できるものは、何もない。

唯一、米軍が公益なんだ、ということのみだな。