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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜1

以前に拙ブログにおける個人的見解について、述べたことがある。

15年9月
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/feda7c19ca58f9dbaea3d61e47d8298b
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8f9221250dbcdb6e86f9b278b8c9fef1
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/73b14c6812d937d9b3d64e041a6c5efe


今回、改めて書こうと思った理由は、政治家たちの無知無能ぶりが目立つことと、法学に関する人々が未だに無益な議論を重ねているからである。
同時に、自分の無知を知ったわけである(笑)。まあこれは、いつものことではあるのだが。

報道などで声高に主張されることというのは、必ずしもきちんと研究してきたような人の意見ではなく、利用するのに都合のよいものが前面に出されがちである、ということはあるだろう。高村や伊吹といった自民党議員がよい例だろう。


勉強メモを兼ねて、自分なりに、できるだけ整理してみたい。


1 憲法制定当時の背景

 1)SWNCC「初期の対日方針」

ポツダム宣言受諾〜占領政策において、日本の武装解除と非軍事化が急速に進められた。その基本となったのが、この指令であった。
SWNCCとは、The State-War-Navy Coordinating Committee のことで、1944年12月の日本敗戦前に設置された部門であった。戦後処理を想定して作られていたものであり、日本の占領政策を決する実質的な機関だった。

この文書(1945年8月31日 3省長官承認、9月6日 大統領承認)では、以下のように示されていた。


第三部
(a)武装解除及非軍国主義
武装解除並に非軍国主義化は軍事占領の主要任務にして即時且つ断乎として実行さるべし。
・日本は陸海空軍、秘密警察組織、又は何等の民間航空を所有することなし。

第四部
(a)経済上の非軍事化
日本銀二力の現在経済基礎は破壊され、且つ再興を許可せられざるを要す。従って下記諸項を含む計画が実施されるべし。
・各種の軍事力又は軍事施設の設備維持又は使用を目的とする一切の物資の生産の即時停止及び将来に対する禁止隠蔽又は偽装軍備を防止する為、日本経済活動における特定部門に対する監察、管理精度の設置
・日本にとり其の価値が主として戦争準備に在るが如き特定産業乃至生産部門の除去
・戦争遂行力増進に指向せらる専門的研究及び教育の禁止
・将来の平和的需要の限度に日本重工業の規模及び性格を制限すること
・非軍事化目的達成に必要なる範囲に日本商船を制限すること


軍事的には、3軍と特務(スパイ、工作)機関的組織(=秘密警察)の解体、民間航空機の禁止だった。産業政策上でも、潜在的に軍事力となるものは禁止や制限を受けた。民間船舶も対象だった。

現代で言えば、自動車、トラック、重機は勿論、航空機産業も宇宙・ロケット産業も、電気電子産業も、造船や船舶会社も、禁止か厳しい制限が課せられたということであろう。
こういう環境下にあっては、未来の軍備のことを考える余裕など、当時には持ち得なかったのではなかろうか。今のような自衛隊の装備等の状況は、到底想像し得なかったのではないか、ということだ。


 2)SWNCC-228 「日本統治機構の改革」(1946年1月7日承認)

この文書中の諸原則が、日本国憲法の制定に影響を及ぼしたことは、文献等で明らかにされている。
(清水虎雄 『憲法9条2項の成立過程とその憲法規範的価値に関する考察』(1960) 東洋法学4,1,29-80)

顕著なのは、大臣の文民条項の基礎となった事項についての記載であった。ただ、完全なる非武装化などは書かれておらず、憲法9条の要求や、マッカーサーノート3原則の根拠ともなっていない。


 3)「日本の武装解除及び非軍事化に関する条約案」

当時日本は武装解除が実施された後であったが、これを占領終了後にも継続しようという目論見が一部にあったものである。1946年6月22日に米国がソ連、英国、中国に対し提案したものとされる。
前年12月の4国モスクワ外相会談時において、既に秘密協定として素案が出来上がっていたとされるが、その後ソ連の考えが変わり、米ソ冷戦へと進む過程で反対した為、成立しなかった。

ただ、内容としては、日本の非武装化を継続しようであり、その為の管理委員会設置と委員会機能を条約に定め、有効期限が25年とされていた。つまり、米国としては当初から、日本に軍備を復活させる気などなかったものと見られ、四半世紀は軍国主義復活を封じ込めるべく、軍備だけじゃなく産業をも制限を継続しようという目論見があったものと見てよいだろう。

この時期には、既にマッカーサー草案は公開された後で、既に審議過程に入っていた。日本政府は、米国のこうした非武装継続という裏側の目論見を知ることはなかったであろうが、状況的には薄々感じとれるものだったのかもしれない。



※要点:


※1  日本が再軍備武装化)できるような状況を想定することは極めて困難だった