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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜4

 2)自衛権放棄は9条1項から導けないというのが政府答弁


21年9月5日貴族院 憲法改正案特別委員会

南原繁君 昨日吉田外務大臣が御出席がございませぬでしたが爲に、保留して置きました問題、即ち戰爭抛棄に關聯致しまして、御尋ね申上げたいと存じます、一つは我が國が將來國際聯合加入の場合に、今囘成立すべき新憲法の更に改正を豫想するものでありますかどうかと云ふことを吉田外務大臣に御尋ね申上げたいのが第一點でございます、其の點は本會議に於ても私が申上げましたやうに、國際聯合の憲章に依りますと、其の加入國家の自衞權が一面に於て認められて居ります、其の外に重要なことは、兵力を提供する義務が課せられて居りますことは御存じの通りであります、然るに今囘の我が憲法の改正草案に於きましては、自衞權の抛棄は勿論のことでありますけれども、一切の兵力を持ちませぬが爲に、國際聯合へ加入の場合の國家としての義務と云ふものを、そこで實行することが出來ないと云ふ状態となつて居るのではないかと云ふ問題があるのではないかと存じます、處で一昨日でございましたか、本委員會に於きまして、吉田首相の御説明の中に此の憲法草案は國際聯合の場合を必ずしも直接に考へて起草して居ないと云ふやうな意味の御答辯があつたやうに私ちよつと承つたのでございます、それと併せて考へまする時に於て、將來愈愈現實的に國際聯合に加入すると云ふ場合が起つて來た場合に、さう云つた點に付て憲法の更に改正、詰り第九條を繞りまして、更に改正を豫想せらるるやうな意味でありますかどうかと云ふことを先づ吉田外務大臣に御尋ね申上げたいのであります

○國務大臣(吉田茂君) 御答へ致します、國際聯合に加入するかどうか、是は私の意味合は成るべく早く國際團體に復歸することは日本の利益であり、又日本國としても希望する所であり、又經濟的利害の上から申しましても、政治的の關係から申しましても、國際團體に早く復歸すると云ふことが政府と致しましても、努力もし、又希望も致して居る所であります、扨、然らば國際聯合に加入するかどうか、是は加入することは無論の希望せざる所ではありませぬが、併しながら加入には御話の通り色々な條件がありまして、其の條件を滿し得ると言ひますか、滿すだけの資格が滿し得ない場合には或は加入を許さないと云ふこともありませうが、然らば如何なる條件で、如何なる事態に於て加入するかと云ふことは、今日の場合に豫想出來ない所でありまして、今日我々の考へて居ります所は、國際團體に復歸する、其の前に講和會議と言ひますか、講和條約を結ぶ、此の時期を成るべく早めると云ふことに專心努力して居るのでありまして、さうして講和條約の出來た、講和條約の締結前後の國際情勢、或は日本内部の情勢等を考へて、さうして國際聯合に入ることが善いか惡いかと云ふことも考へなければならぬ、現に又加入して居らない國もございますことは御承知の通りでございます、講和條約締結後のことを今日に於て直ちに斯う云ふ條件であるとか、或は憲法を改正することを豫想するかと云ふことに付ては御答へしにくいのであります、其の時の講和條約締結後の國際情勢、國内情勢に依つて判斷すべきもの、斯う私は考へます


同9月13日

○高柳賢三君 九條の一項、二項に付きまして、第一項の字句を讀みまして所謂「ケロッグ・ブリアン」條約を思ひ出すのであります、尤も其所では國策の手段としてと云ふ文字が使つてあるのに對して、此處では國際紛爭を解決する手段と云ふ風に變つて居ります、又不戰條約では戰爭のみが抛棄されることになつて居りますが、此所では不戰條約の解釋に付て學者の間に非常な爭ひがあつた、武力に依る威嚇、武力の行使、是が所謂平和的手段、「パシィフィック・メヂャー」と云ふことが言へるかどうかと云ふことは國際法學者の間に非常に議論が分れて居つたのが、此處では其の一派の意見に從つて、それが廢棄の對象として此所に入つて居る、さう云ふことか之を讀んで感ずるのであります、此の不戰條約の後に出來ました千九百三十一年の「スペイン」の憲法には矢張り戰爭の廢棄が謳つてあり、更に「ラテン・アメリカ」の祖國の憲法の中にも同樣な規定があり、更にずつと古く遡つて言へば「フランス」革命後の千七百九十一年の憲法の中にも、戰爭を廢棄すると云ふ條項が見出だされる、それ等の意味で必ずしも戰爭を廢棄すると云ふ憲法の條項は珍らしいものではないと思ふのでありますが、併しそれ等の總ての過去に於ける憲法の戰爭抛棄に關する條項と云ふものは自衞權と云ふものが留保され、不戰條約に於ても自衞權と云ふものが留保され、而も其の自衞權と云ふものは國内法に於ける正當防衞權と違ふのでありまして、國内法に於きましては、正當なりや否やを決定すべき第三者たる裁判所と云ふものが最高の決定權を持つて居る、然るに國際社會に於てはさう云ふ第三者に自衞權の行使の判定と云ふものを委せることを、從來孰れの國と雖も承諾しなかつた、從つて不戰條約に於て戰爭は棄てられましたけれども、自衞戰爭と云ふものは棄てられない、而も自衞なりや否やは、各國の自衞權を行使する國の判斷と云ふものが最終的なものである、是は國際法の一般的に了解された國際法規でありますから、不戰條約と云ふものは大した意味はないのだと云ふのが當時の國際法學者の通説であつたのであります、唯昔は正當な戰爭と正しからざる、戰爭との區別であつたのが、侵略戰爭と防衞戰爭との區別に言葉が變つただけだ、斯う云ふことが言はれたのであります、のみならず戰爭は廢棄しましたけれども、戰力を廢棄すると云ふことは何處の國でもやらない、斯う云ふ譯でどうも不戰條約と云ふやうな條約が出來て之を基礎にした憲法が出來ても大した實際上の意味と云ふものが出て來ないと云ふことが國際關係と云ふものを研究して居る人達の十分に熟知、認識して居つた所であると考へます、然るに私共第二項を讀みますると、從來のそれ等の戰爭抛棄とは非常に違ふので、第一は戰力を抛棄する、是は何處の國でもやらなかつたことである、第二は國の交戰權を抛棄する、是で恐らくは自衞權も抛棄する、斯う云ふ意味合が出て來るのであります、さう云ふやうな意味で此の九條の第一項と第二項と云ふものを併せて讀みますると、從來の條約或は憲法の條項に於て見出される戰爭抛棄とは本質的に違つた條項であると云ふことを感ずるのでございます、さう云ふやうな意味で私は此の條項は非常に劃期的なものである、併しながら現代に於ては戰爭の分野に於て陸軍や海軍、從來のやうな意味の陸軍や海軍が何處迄役に立つかと云ふことが段段怪しくなつて來た「アトミック・ボーム」原子爆彈と云ふものの發見以來、武力の問題に付ても從來の考へ方と云ふものに革命が起つて來て居る、之に依つて從來武裝された主權國家と云ふものが殆ど「ナンセンス」になつて來たのではないか、寧ろ世界と云ふものが聯邦となつて、そこに警察力と云ふものが、何處の國にも屬しない警察力と云ふものが世界の平和を確保する、さう云ふ時代に向ふべきものではないか、さう云ふやうな意味と照合致しまして初めて此の條項と云ふものが活きて來るのである、さう云ふ世界と云ふものが來れば是は孰れの國家も此の條文のやうな條項を採用しなければならない、丁度「アメリカ」の各州と云ふものが武力を持たないと同じやうに、各國と云ふものは武力を持たないと云ふことが原則になると云ふことが世界平和確保に對して必要なことであると云ふ風になる、さう云ふ一つの將來の世界と云ふものに照して此の條項の意味があるのだらうと云ふことを總會で簡單に申上げました、さうでありますので此の規定は非常に重大だと思はれますが、併し一般の國民は此の條項の意味と云ふものを十分に恐らくは理解しないのではないか、少くも法律家でも是はどう云ふ意味合があるのであるかと云ふことを十分に理解すると云ふことはなかなか困難だと思ひます、併しそれはどう云ふ事態が來るのかと云ふことをはつきり我々の意識に上ぼせて置くと云ふことが必要なことではないかと思ふのであります、そこで數箇の點に付きまして、政府の見解を御尋ねしたいと思ふのであります、極めて具體的な點から申上げます、日本が或國から侵略を受けた場合でも、改正案を原則と云ふものは之に對して武力抗爭をしないと云ふこと、即ち少くも一時は侵略に委せると云ふことになると思ふが、其の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) ちよつと聽き落しましたが、多分戰爭を仕掛けられた時に、こちらに防衞力はないのであるからして、一時其の戰爭の禍を我が國が受けると云ふことになるのではないかと云ふこと、それは場合に依りましてさう云ふことになることは避け得られぬと云ふことに考へて居ります、武力なくして防衞することは自ら限定されて居りますからして、自然さうなります

○高柳賢三君 即ち謂はば「ガンヂー」の無抵抗主義に依つて、侵略に委せる、併し後は世界の正義公平と云ふものに信頼してさう云ふことが是正されて行く、斯う云ふことを信じて、一時は武力に對して武を以て抗爭すると云ふことはしない、斯う云ふことが即ち此の第九條の精神であると云ふ風に理解して宜しうございますか

○國務大臣(金森徳次郎君) 實際の場合の想定がないと云ふと、之に對してはつきり御答は出來ないのでありまするが、第二項は、武力は持つことを禁止して居りますけれども、武力以外の方法に依つて或程度防衞して損害の限度を少くすると云ふ餘地は殘つて居ると思ひます、でありますから、今御尋になりました所は事の情勢に依つて考へなければならぬのでありまして、どうせ戰爭は是は出來ませぬ、第一項に於きましては自衞戰爭を必ずしも禁止して居りませぬ、が今御示になりましたやうに第二項になつて自衞戰爭を行ふべき力を全然奪はれて居りますからして、其の形は出來ませぬ、併し各人が自己を保全すると云ふことは固より可能なことと思ひますから、戰爭以外の方法でのみ防衞する、其の他は御説の通りです

○高柳賢三君 此の憲法に依りまして自衞戰爭と云ふものを抛棄致しましても、それだけでは右の場合に日本は國際法上の自衞權を喪失せざるものと思ひますが、此の點はどうでありますか、即ち侵略者に對して武力抗爭をすればそれは憲法違反にはなるけれども、國際法違反にはならないものと解釋致しますが、此の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 法律學的に申しますれば御説の通りと考へて居ります、元來さう云ふ徹底したる自衞權抛棄の方が正當なことかとも思ひますけれども、是は憲法でありまするが故に、其の能ふ限りに於てのみ效果を持つことになるのであります

○高柳賢三君 交戰國の權利義務に關する色々な條約、それから俘虜の待遇に關する日本の國際法上の權利義務、それ等は此の憲法の規定に拘らず、其の儘日本に存續するものと云ふ風に私は理解しまするけれども此の點は如何ですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 國際法的には存續するものと考へて居ります

○高柳賢三君 外國の軍隊に依つて侵略を受けた場合に、所謂國際法で知られて居る群民蜂起と申しますか、「ルヴェー・アン・マス」正式に國際法の要件を備へた群民蜂起の場合には防衞の爲に群民蜂起が起る、さう云ふやうな場合に、其の國際法上及び國内法上の地位はどうか、私は國際法的には是は適法であつて、交戰者は戰鬪員として矢張り取扱はれ、又俘虜になれば俘虜たる待遇を受けると云ふことになると思ひますが、國内法では國の交戰權を否認した憲法上の規定に反することになると云ふことになると思ひますが、其の點はどうでありますか

○國務大臣(金森徳次郎君) 左樣の場合はどう云ふことになりますか、新らしき事態に伴ふ種々なる法律上の研究を要すると思ひますが、緊急必要な正當防衞の原理が當嵌つて、解釋の根據となるものかと考へて居ります

○高柳賢三君 今の御答は國際法的に…

○國務大臣(金森徳次郎君) 國内法的に…

○高柳賢三君 此の憲法の條項に依つて所謂攻守同盟條約、又所謂侵略國に對する共同制裁を目的とする國際的な取決め、國際條約と云ふものを締結することは、憲法違反になると思ひますが、其の點はどうですか

○國務大臣(金森徳次郎君) 當然に第九條第一項第二項に違反するやうな形に於ける趣旨の條約でありますれば、固より憲法違反になると存じます、併し場合に依りましては、或は第一條第二項のやうなことをしなくても濟むやうな條約が結べるとすれば、其の場合には又別に考へなければならぬと思ひます

○高柳賢三君 自衞權を抛棄したと云ふ言葉は、是は自衞の名の下に所謂國策の手段としての戰爭が行はれる國際間の通弊に照して爲されたものと云ふ御説明がありましたが、其の通りでございませうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 全く其の通りでありまして、從つて第一項で正式に自衞權に依る戰爭は抛棄して居りませぬ、併し第二項に依つて實質上抛棄して居る、斯う云ふ形になります

○高柳賢三君 共同制裁を目的とした戰爭への加入と云ふものを封じて居ると云ふことは、共同制裁と云ふものを目的とする、戰爭も矢張り國策の手段として行はれると云ふ弊害に照してなされたものと見て宜いか、即ち自衞權或は共同制裁と云ふやうな名目の下に戰爭が行はれるのであるけれども、それは名目であつて戰爭其のものがいけないのである、戰爭其のものが人類の福祉に反すると云ふ根本思想に此の規定は基くのではないか、其の點を御説明願ひたい

○國務大臣(金森徳次郎君) 是も實際の具體的な形を想定しないと正確には御答へ申し兼ねるのでありますけれども、普通の形を豫想しますれば御説の通りと考へます

○高柳賢三君 國際聯合の憲章と云ふものは、是は自衞戰爭、それから共同制裁としての戰爭と云ふものを認めて居るのでありますが、此の改正案は其の孰れを斷乎拜撃せむとするのである、從つて國際聯合憲章の世界平和思想と、改正案の世界平和思想とは、根本的に其の哲學を異にするものであると云ふ風に思ひますが、其の點はどうでありませうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 國際聯合の趣旨と此の條とが如何なる點に於て違つて居るか、同じであるかと云ふことに付きましては、必ずしも一括して之を解決することは出來ないと思つて居ります、此の案は國際聯合の規定して居りまする個々の趣旨を必ずしも批判することなくして、日本自身が適當と認むる所に於て限界を定めて規定をした譯であります、衆議院に於きましても、其の關係に於きまして御質疑があつて、國際聯合に入る場合に於て、何處かに破綻を生ずるのではないかと云ふやうな御尋がありました、政府の只今の考へ方は、自分達の見て正しいと思ふ所に規定を置きましたから、それより起る國際聯合との關係は別途將來の問題として必要があれば研究すべき餘地があると思ひます


○高柳賢三君 次に第三國の間に戰爭が勃發した場合に、日本の中立の問題が起りますが、中立國と云ふものは中立國としての義務がある、例へば一方の交戰國の飛行場を日本に作らせると云ふやうなことをしてはいかぬ、或は海軍根據地を提供してはいかぬと云ふやうな義務を中立國として當然負ふことになると思ひますが、日本は武力を全然抛棄した場合に於きましては、此の中立國の義務は、實質上に於て履行すると云ふことは出來なくなり、從つて他の交戰國は一方の交戰國に對してさう云ふことを許したと云ふので、同樣なる行爲を報復的にやると云ふやうな状態になつて、其處で日本が戰場化すると云ふやうな危險が相當濃厚ではないか、其の點を一應御説明を御願ひ致します

○國務大臣(男爵幣原喜重郎君) 一言私の意見だけを申上げます、是から世界の將來を考へて見ますると、どうしても世界の輿論と云ふものを、日本に有利な方に導入するより外仕方がない、是が即ち日本の安全を守る唯一の良い方法であらうと思ひます、日本が袋叩きになつて、世界の輿論が侵略國である、惡い國であると云ふやうな感じを持つて居ります以上は、日本が如何に武力を持つて居つたつて、實は役に立たないと思ひます、我等の進んで行く途が正しければ「徳孤ならず必ず隣りあり」で、日本の進んで行く途は必ずそれから拓けて行くものだと私は考へて居るのであります、只今の御質問の點も私は同樣に考へて居るのぢあります、日本は如何にも武力は持つて居りませぬ、それ故に若し現實の問題として、日本が國際聯合に加入すると云ふ問題が起つて參りました時は、我々はどうしても憲法と云ふものの適用、第九條の適用と云ふことを申して、之を留保しなければならぬと思ひます、是でも宜しいかと云ふことでありますれば、國際聯合の趣旨目的と云ふものは實は我々の共鳴する所が少くないのである、大體の目的はそれで宜しいのでありますから、我々は協力するけれども、併し我々の憲法の第九條がある以上は、此の適用に付ては我々は留保しなければならない、即ち我々の中立を破つて、さうして何處かの國に制裁を加へると云ふのに、協力をしなければならぬと云ふやうな命令と云ふか、さう云ふ註文を日本にして來る場合がありますれば、それは到底出來ぬ、留保に依つてそれは出來ないと云ふやうな方針を執つて行くのが一番宜からう、我々は其の方針を以て進んで行きますならば、世界の輿論は翕然として日本に集つて來るだらうと思ひます、兵隊のない、武力のない、交戰權のないと云ふことは、別に意とするに足りない、それが一番日本の權利、自由を守るのに良い方法である、私等はさう云ふ信念から出發致して居るのでございますから、ちよつと一言附加へて置きます

○高柳賢三君 能く分りました、最後に此の條項は國に關する規定でありますが、國民に付ても此の同じ精神で、例へば他國間に戰爭がある場合に於て其の一方の國の軍隊と云ふものに入つて戰爭をやると云ふやうなことは之を禁止する、丁度「イギリス」の「フォーレン・エンリストメント・アクト」と云ふのが千八百七十年でしたかの法律でありますが、それと同種類のやうな法律と云ふものを拵へて、日本人が外國の軍隊に入つて外國の武器を使つて戰爭をすると云ふやうなことをもしないやうにすること迄國内法的に徹底させると云ふことが此の憲法の精神の上から必要であると思ふのが、其の點に付てどうでせうか

○國務大臣(金森徳次郎君) 今御示のありました處は全く同感でありまして、必要に應じて機宜の措置を法律的に設けることは心掛けて居る處でございます




○佐々木惣一君 私の戰爭抛棄と云ふ午前に御伺ひしましたことは實は時間上非當に端折つてやつたのですが、併し只今高柳さんからの質問及び之に對する御答辯で實は私が言はなくても宜かつたと云ふことをはつきりしましたが、唯此の戰爭抛棄の問題は一面外國、詰り國際的と、それから一面國内的と兩面に亙りますから非常に複雜な問題が起るのであります、それで實は今私が午前に御尋ね致しましたのは、詰り目下國際聯合と云ふやうなこととの關聯に於て日本が何かそれに對して働き掛ける、意思表示をすると云ふやうなことがないかと云ふ風に申上げたのは、結局入つても入れないことになる、入つても役に立たないですから、共同制裁の戰力に加入すると云ふことが出來ないことになりますから、それは併し今幣原國務大臣の御答辯でさう云ふ事情を言うて、と云ふことになりまして、それは非常に宜いですけれども、其の事情を言ふと云ふことが、併しながら前以て言ふのですか、國際聯合に入るとか入らぬとか云ふことが具體的に問題になつた時に至つて言ふのであるか、さう云ふやうなことはまだ問題として殘つて居ります、それは例へば今の、詰り外交關係に日本が認められるやうになつてから言ふのであるか、それ前に今でも言ふのであるかと云ふやうなことがまだ殘つて居りますけれども、それはまあ御尋ね致しませぬ、それよりも一つもう一點御尋ね致したいのは、詰り外國から不當に戰爭でも日本に挑んで來ました時に、それでも今の不戰條約に依ると云ふと、さう云ふ即ち「セルフ・デフェンス」の手段としての戰爭抛棄は是は決して許されぬのではない、牢固として殘つて居るんだと云ふ意味であるやうであります、さう云ふ許された客觀的に誰が見ても許されるやうな「セルフ・デフェンス」と考へられるやうな時でも、日本は國内的にはどうも今の憲法の規定があつて戰爭することが出來ないと云ふ状態に今置かれて居る、私は其の時に、今度國際關係でなしに國内の國民がさう云ふ場合にどう云ふ感じを持つであらうかと云ふやうなことも懸念をして晝前御尋ねしたのでありますが、其處迄言ふ時間がなかつた、そこで誰が見ても客觀的に日本が攻められることが不當である、日本を攻めることが不都合だ、許されることではない、從つて日本から言へば「パーミシブル」に許された「セルフ・デフェンス」と云ふ時でも、尚憲法の規定に依つてじつとして居らなければならぬと云ふ、さう云ふ場合が出て來ると云ふことは考へられるのですが、國民はどう云ふ感じを持つだらう、斯う云ふことをちよつと御尋ね致したいのであります、晝迄の問題に關係するから金森國務大臣に…さう云ふ時に果して國民はそれで納得するだらうかと云ふやうなことですが

○國務大臣(金森徳次郎君) 此の第二章の規定は實は大乘的にと云ふことを繰返して言ひましたし、本當に捨身になつて國際平和の爲に貢獻すると云ふことでありますから、それより起る普通の眼で見た若干の故障は豫め覺悟の前と云ふ形になつて居る譯であります、從つて今御示になりましたやうな場合に於て自衞權は法律上は國内法的に行使して、自衞戰爭は其の場合に行ふことは國内法的に禁止されて居りませぬけれども、武力も何にもない譯でありますから、事實防衞は出來ない、國民が相當の變つた状況に置かれるやうになると云ふことは、是は已むを得ぬと思ふ譯であります、併し其時に國民が何とか考へるであらうと云ふことは、今から架空に豫想することは困難でありますが、國民亦斯くの如き大きな世界平和に進む其の道程に於て若干の不愉快なことが起つて來ることは覺悟して、之を何等か適切な方法で通り拔けようとする努力をするものと考へて居ります





○子爵織田信恒君 私は實は先程牧野委員の御質疑の關聯質問として御尋ね致したいと思ひますが、議事の進行を御妨げしてはいけないと思ひまして、御遠慮して最後に廻して戴いたのであります、それは牧野委員がさつき御述になりまして、其の後他の委員からも質問が出たのでありますが、戰力と云ふ言葉の内容であります、大體武力と同じやうに使つて居ると云ふ話でありまするが、戰力と云ふのはどう云ふ意味を持つて居りませうか、纒めて私の方から御尋ねして御答辯の便利を圖りたいと思ひますが、或一つの兵器、科學的兵器と云ふものと、それに伴ふ戰爭を目的とした組織體、それを合せたものが戰力と言ふのでありませうか、それが一つ、それから次には戰力と云ふものが今假定しましたやうなことにして、武器の内容と云ふものが特に科學文明の或一定の文化を中心にして、それを兵器と申しますのですか、例へばさつき牧野委員の御話に竹槍を持つて行つてやるのも武力だと云ふやうな御話がありましたが、そこ迄廣く廣範圍に見るのですか、近代科學文化を目標にして或一つの兵器と云ふものから考へるものでありますか、是は矢張り將來の取締に影響すると思ふのでありますが、如何でありますか、先づ其の二點を伺つて置きます

○國務大臣(金森徳次郎君) 此の戰力と申しますのは、戰爭又は之に類似する行爲に於て、之を使用することに依つて目的を達成し得る一切の人的及び物的力と云ふことにならうと考へて居ります、從つて御尋になつて居りまする或戰爭目的に用ひることを本質とする科學的な或力の元、及び之を作成するに必要なる設備と云ふものは戰力と云ふことにならうと思つて居るのであります、又次に竹槍の類が問題になりましたが、斯樣な戰力と云ふものは、其の國其の時代の文化を標準として判斷をしなければならぬのでありますから、臨時に拵へた竹槍と云ふものは戰力にはならぬものと實は思つて居ります

(中略)

○國務大臣(金森徳次郎君) 仰せになりました所は、大體のと言ひますか、事柄としては其の通りであります、唯私の方の説明が第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります

○子爵大河内輝耕君 能く意味は分りましたが、私の伺ふ所は國際的に考へても日本は自衞戰爭はやれない、戰爭は一切やるべきものでないと云ふやうな風に國際の形勢の動き方からさう云ふ風に見るのが穩當ぢやないかと斯う云ふ意味なんです

○國務大臣(金森徳次郎君) 其の點は今ちよつと私から右と申しても左と申しても結果が恐しいものですから御答へ出來ませぬ、常識として此の憲法が認めるやうな趣旨だらうと思つて居ります



何か、法学者が後付けで都合のよい解釈論を引っ張り出してきたかのような、無益な批判が多いわけであるが、制定前の当時の議論において、ほぼ論点は出尽くされている感があり、それは、当時の人々の見識が今よりも優れていたからであろう、という印象を受けるわけである。


政府答弁、大臣の政府見解が、こうなっているものなのであるから、最初から「戦争放棄自衛権が放棄された」という解釈論を意図して制定していたものではないことは、明らかなのである。


自衛権国際法上の論点というのも、当然に議論されており、当時の人々は不戦条約を批准するかどうか、に伴う国際法上の解釈論に詳しかったものと見える。当然、軍隊の運用を念頭に置くならば、国際法に精通しているべき義務があったから、とも言えよう。現代の日本では、そのような素養は欠片も感じられない。

軍隊の運用も、原発の運用も、大差なのものなのだ。危険なものを管理するべく能力が、日本人には決定的に欠如している。



※要点:

※3  9条1項は、自衛権を放棄していない、自己防衛の為戦うことも否定していない、というのが制定趣旨であることを、政府も帝国議会でも十分認識した上で、憲法改正を行った