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日本国憲法と第9条に関する論点整理〜9

集団的自衛権の話に行く前に、もう少し「自衛力」と「自衛権」について考えてみたい。


1 自衛隊の位置づけ

昨年の法改正以前までについて、述べる。


 1)「自衛力」として

戦力の定義を再掲すると、

①爆弾テロ防止条約4条にいう『Military forces of a State』に該当するもの
②軍事的紛争の解決乃至介入手段として意図した、或いはそれらを目的とした組織
③自衛力self-defense force(s)の限度を超越するもの

であった。
自衛隊は、①に該当する組織と見做されるが、②については否定的(任務の種類等から)、③は必要最小限度の範囲内にある、というのが政府見解であったのでこれも否定的ということであった(政府見解では、自衛隊はmilitaryではない、と言い続ける可能性はある)。

ただし、過剰な(攻撃的効果を持つ)装備として懸念される面が否めないのであり、本来なら防衛大綱や中期防或いは年度予算等の国会審議において「自衛力」としての節度を厳に点検・確認することを繰り返すべきである。


「その他戦力」について、『war potential』の語感通りに潜在的に戦争能力のあるもの全てという広義の解釈を主張する者もいるが、これは現実的ではない。
具体的に何が起こるかと言えば、民間船舶(武装の艤装を施せば戦力になるから)のみならず、航空機(ヘリ含む)、レーダー(気象レーダーも含まれる)、衛星関連の全て、通信機器関連(スマホやケータイのようなデジタル通信機器などもってのほか)、監視カメラ関連、GPS利用の関連製品や技術、トラックや建設機械類、等々、挙げればキリがない。

これらの生産能力保持が禁じられる、ということになってしまっては、経済活動そのものに支障を来す。原子力施設なんて、真っ先に完全アウトのものである(だからこそ、イランやリビア北朝鮮などがそうした核施設を問題とされたわけである。自衛隊憲法違反だ、と大声で叫ぶ人間は、原子力関連施設全てについても同じく憲法違反であると主張すべきである)。

技術の開発や保持に限らず、生産能力(設備)さえも潜在的な戦争遂行能力となるわけであるから(実際、第二次大戦中にはこの能力の優劣が勝敗に直結し、日米間で圧倒的に差があった)、結局はどの程度で線引きをするのか、という定義なり解釈の問題ということになる。


 2)自衛隊の設置が肯定される理由

これまで述べてきたことをまとめると、

憲法の制定趣旨では、自衛権の保持は認めていたこと
・同じく憲法上、自衛力に限り許容されうること
・平和的生存権憲法13条からの要請

となる。上2つは帝国議会議事録から、制定当初の趣旨から判明するものであった。第3の点は、登場時期は不明ではあるものの、憲法学の論者の中では知られてきたものであろう。1950年代の政府見解においても、自衛力を肯定し、戦力に至らない必要最小限度の実力は保持できる、とされた。


ベタなドラマなどでもよく描かれる、深夜に物音がするとか不審者の侵入が疑われる時、「長柄の箒を逆さに持つ」「ゴルフのクラブを手にする」「バットを手にする」などのシーンがあるであろう。
箒やゴルフクラブやバットが、まさしく「自衛力」ということである。



2 正当防衛から見た自衛力

自衛権の問題を検討するのに、正当防衛は似ているので、考え方を理解するのに役立つ。


 1)刑法の正当防衛

刑法36条に規定される。

(正当防衛)
第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2  防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。


関連として、緊急避難がある。

(緊急避難)
第三十七条  自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2  前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。


正当防衛を簡略的に書けば、

・急迫不正の侵害   に対して
・自己又は他人の権利  の防衛のため
・やむを得ずした行為

は正当化される、というものである。しかし、
・防衛限度を超えた行為  はダメ


これは自衛力の行使と同様であり、自己防衛のため

・急迫
・不正
・やむを得ない限度内

という自衛権の発動条件と同じである。


緊急避難の場合だと、やむを得ずした行為による損害の大きさと、回避した損害との大小が問題となり、限度を超えるとダメ、というのは同じ。


ここで、正当防衛も緊急避難も、自己の防衛に留まらず、他人の防衛を行っても刑法上では同じである、というのが重要である。集団的自衛権の場合とよく似ているということである。


 2)正当防衛の行為に関する日米の違い

正当防衛は、法学上の考え方としては基本的部分において、日米間での大差はないだろう。判例は当然に違うものではあるけれども。

大雑把に示すと次のようになっている(実際には州法により相違ある)。


ア)正当防衛

◎法理論上の根拠:法確証の原理(日米共通)

◎行為

・米:自衛装備  拳銃、自動小銃 OK 
   
・日:自衛装備  拳銃、自動小銃 不可 


法学的に、正当防衛は認められる、としても、どの程度の自衛力が認められているのか、というのは、国内法により違いがある。全ての国が米国と同一ではないことは明らか。「正当防衛」の法学的な理屈が妥当であるということに合意していても、自衛の装備がどの程度まで国内法上合法とするのか、というのは、何らかの決定的基準があるわけではない、ということ。これは、その社会の置かれた政治社会・歴史・慣習等により異なる、ということだ。「正当防衛は認められるんだ、だから、日本も軍用自動小銃を自衛装備として合法とすべきだ」というのは、意見の一つではあるが、「米国で合法なのだから、日本でも合法だ」とは到底言うことができない。

自衛装備としての「拳銃」を社会が認めるかどうかは、その社会の選択による。
日本国内の判断としては、個人の「self-defense」として「銃一般」を許容するのは適当ではない、認めていない、合法化されない、ということだ。日本では、「銃撃」は正当防衛の行為としては「過剰と判断」する社会なのだ、ということ。いかに米国で「銃撃は過剰でなく正当行為だ」と判断するとしても、何らかの絶対基準があるわけではないので、日本国内法体系では正当防衛をいうことはできない。


イ)自衛権

◎法理論上の根拠:自己保存権、慣習国際法など

◎行為

・米:自衛装備  核ミサイル、原子力空母、戦略爆撃機 OK 
   
・日:自衛装備  核ミサイル、原子力空母、戦略爆撃機 不可(元の政府見解では)


必要最小限度の反撃に留まる装備なので、米国では認められてるものが何でもOKというわけではない。正当防衛で見たように、自動小銃が必要最小限度なのかどうか、である。日本では、箒やゴルフクラブ程度というのが社会の理解だろう。自衛隊の装備というのも、強力な兵器使用を無限定に認めるものではなく、その範囲は国内法上の制限が課せられているものと見るべきである。


刑法上において、正当防衛でも緊急避難でも、行為の結果、相手に与える損害が著しく大きい場合には正当化されておらず、「程度を超えた行為」は違法なものとして処罰対象となり得るのである。これは自衛権の行使においても大きな違いはなく、原則として「相当(均衡)性」を満たすことが違法の評価を回避する条件として必要であろう。