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多見谷寿郎裁判長(福岡高裁那覇支部)が違法確認訴訟で背負う十字架

辺野古沖の基地建設問題は、オリンピックの陰に隠れて、国民の関心が薄れているのではないかと危惧している。

本日、第二回公判が開催された違法確認訴訟であるが、原告の国が主張するオウム返しの如き論点は、ほぼ全部が無意味であることに変わりは無い。

http://mainichi.jp/articles/20160806/ddp/001/010/002000c


沖縄県のした承認取消処分が違法である、ということの論理は、国は全く示していない。端的に言えば、「前知事のした承認が有効であるはずだから、これを取り消すのはおかしい」、と言っているに過ぎない。最高裁判例から、不利益の比較衡量を言うしかないのも代執行訴訟の時と同じだが、知事のした承認取消処分が違法であることの根拠足り得ない。


国のした地方自治法245条の七に基づく大臣の指示というのは、「法令受託事務の処理が法令の規定に違反している」ことを指摘できるはずである。
これは、取引業者と既に契約を締結してるからとか、産廃場を現状の場所から移転できないと困るから、などという、事業者の不平不満を言うものではない(笑)。あくまで法定受託事務の処理について、行政法解釈という点から規定違反を正確に指摘できるものである、ということだ。一般的な原則があるなら、通常の事務処理から逸脱して、どこがどのように”規定違反”なのかを、言えるはずということである。
例えば許認可の審査にあたっては市町村長の意見聴取をするべき所、これを実施していない、となれば、その意見聴取しなければならないことを規定した条項なり省庁通知・通達を挙げて説明できる。許認可申請に必要とされる書類が不足しているなら、その書類を規定した施行規則の条文や局長通知等から指摘できる、といったことである。


一国の行政が、事務の法令違反事項について、具体的に説明できないわけがない。
ところが、未だに国はそれを示していない。大臣指示そのものに不備があり、行政の体をなしていない。これができないのは、国には、何らの根拠もないから、である。


さて、本題に戻ろう。
今回の国の提起した違法確認訴訟は、元はと言えば、代執行訴訟で大失敗を犯したのを、同一裁判長(所)たる多見谷寿郎裁判長が、国の勝てる方法をひねり出すべく和解を勧めたものである。
想定では、原告が沖縄県となって、国を訴えるはずだったものだが、予定が狂ったわけだ。けれども、裁判が始まって答弁書提出前から、争点整理を裁判長が自ら示したことから分かる通り、手ぐすね引いて待っていたものと思う。

沖縄県がどのような主張をしようと、国が勝訴の判決文を書くことが高裁裁判官には許されているから、だ。これを誰からも咎められることがないから。


たとえそうであろうと、裁判の歴史上で最悪の汚名を残してもらうことなら不可能ではないだろう。
多見谷寿郎裁判長には届くことがないけれども、拙ブログからいくつか指摘をしておきたいと思う。


1)和解を提示したのは、多見谷寿郎裁判長

国側に対しては、行政不服審査申請と執行停止及び代執行訴訟、沖縄県には県の提起した訴訟について、それぞれ取下げることとした。つまり、国の有していた裁決の権限も代執行の権限も放棄させたのは、多見谷寿郎裁判長である。当然に、この取下げによって生ずる効果については、それぞれの法的な立場において、十分承知した上での和解であったはずである。
これを勧めた裁判長が、その効果を無視することは許されない。

代執行訴訟において、国交大臣のした本件同様の「承認取消処分を取り消すよう」勧告及び指示したことが違法でないなら、当然に代執行訴訟の中で判示べきことだ。国の主張はその基本において、実質的に代執行訴訟の時点と何ら違いなどなく、もし国の主張が明白に合法であるというなら、その合法性を判決上で示せないはずはなかった。これを回避したのは、誰あろう、多見谷寿郎裁判長である。

よって、裁判を停止させ、和解案を双方へ提示して和解へ持ち込んだのは多見谷寿郎裁判長であるから、国交大臣のした「承認取消処分を取り消すよう」指示したことが、今度は合法であると見解を翻すことは信義則違反となり、そのような行為を裁判長自らが行うことは、到底許されない。


2)第一義的解釈権は行政にある

多見谷寿郎裁判長が和解で示した手続は、代執行訴訟において裁判所の判断を放棄したものに等しい。
すなわち、国の主張が正しいのであれば、代執行訴訟において裁判所の判断を示せば事足りた。しかし、敢えて国地方係争処理委員会に審査を委ねる和解条件に同意させたということは、原則として係争処理委の判断を尊重せよ、ということである。


すると、地方自治法の趣旨からして、基本的には国地方係争処理委員会の審査結果が行政としての第一義的解釈となり、これを司法権の介入たる高裁判決によって覆すには、同委の裁量権の逸脱・濫用を裁判所が具体的に立論する必要がある。


よって、多見谷寿郎裁判長が違法確認訴訟において、国側勝訴を言うには、

  ア)国地方係争処理委員会は審査において裁量権の逸脱・濫用があったこと
     (=係争委の審査は認容できない、なので高裁がこれを覆すよ)

  イ)国交大臣の是正指示(「埋立承認取消処分」を取り消せ)が合法で正しいこと

  ウ)沖縄県は、高裁が同意させた和解条件に反しており、尚且つ係争委の判断に従うことが違法であること


この3要件を全て立論できなければならない。


行政の第一義的解釈を破棄するのだから、その根拠を明示しなければならず、ア)は当然である。また、イ)を立証する場合、代執行訴訟の判決で言うべきことであったものを言わなかったことの合理的説明がなければならない。沖縄県に対し、和解に同意させたのは不当となる。最初から国に有利な判決を書くべく、敗訴確定の代執行訴訟から、本件手続きの裁判へと移しただけの行為だからだ。

最後のウ)であるが、沖縄県は「係争委の結論(=協議せよ)に従ったまで」と主張するだけなので、国の是正指示に従わない(不作為)のは違法、すなわち係争委の結論に従うことが違法であることを判決で示せない限り、国の勝訴とはならない。


まあ、本件裁判までの時間は長かったので、裁判長がじっくりと準備している時間はあったはずだし、その顕われが異例の「争点整理」の早々の提示になっていたわけで。


裁判所の歴史を穢すことになるかどうかは、判決の論理性と法理によるだろう。


関連:

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