怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

ネギにごめんなさい

どうでもいい話なんだけど。


先日、『ためしてガッテン』でネギ特集をやってた。

ネギを食べるのなんて、アジア圏だけだと思ってたら、何とウェールズのマスコットだというではないか!
まるで米子のヨネギーズ(?、だったか?うろ覚え)みたいな、ブレスレットみたいなのもあると言う。


知らなかった。
まさか英国人がネギを食べているとは、想像だにしなかったわ。ネギのことを侮っていた。スマン(笑)


それ以上に衝撃的だったのは、「ネギを首に巻く」というではないか!
これって、最近話題の医療情報系のまとめサイト問題の、ちょっと怪しい話と似てるかも、と思ったよ。


ネギを首に巻くという民間療法の話をずっと以前に書いたことがあり、当時は「どうせそんなの大した効果はないよね」と思って否定的に書いていたのだが、何と本当に科学的根拠があるというではないか!


ネギにお詫びせねばなるまい。


08年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5ec211f898fdf5776b705a4be6c53ead

(再掲)

郵便箱の掲示に限らず、個人のブログもこれと同様に考えることが可能ではないかと思う。一般個人がブログに「インフルエンザになった時、ネギを首に巻きつけると効果があったよ」(そんな言い伝えはないと思うけど、単なる民間療法信仰の例として)と書くと、「この記事に書いてあったので、オレは実際やってみた。けど、何にも効果がなかったじゃないか、どうしてくれる」といえるだろうか?
もし高い要求水準であるなら、個人のブログに書く場合であっても「ネギを首に巻くと効果がある」ことの検証を行うとか文献検索をして確認しておくなどといった、努力義務が課せられることになる。真実性を担保する為のハードルは高く設定されて当然ということになる。「ウチのおばーちゃんが言ってたよ」というレベルのものであれば、「真実性の証明となりえるか、誤信の合理的根拠となりえるか」みたいなことになってしまって、当たり前だけど「おばーちゃんが言ってたから」などというものを出してきても、真実性の証明には何の足しにもならないだろう。誤信の根拠になろうはずもない。すると、刑事罰を与えろ、損害賠償せよ、ということも可能になってしまうことになる。

しかし、前述したように、一般個人のブログというものが影響力が極めて小さいと考えられる時、「首にネギを巻くと効果がある」と意見表明したとしても、罰を与えるほどのものではない、と考えた方がよいと思う。要求水準は高いにこしたことはないが、いちいち全ての事柄について真実性を十分確認して表明しなければならないとなれば、何も言えなくなってしまう、ということになるからである。普通の注意力を持つ人が読んだ時に、ブログ記事の信頼性は低いなと判定できる程度の事柄であるなら、たとえ意見表明の前に「真実であるか否かについて検討する」という努力を怠っていたとしても許容される、ということだ。
これと同じことをテレビで表明したりすると、ネギが売り切れになってしまったりするかもしれず(笑、有り得ないと思うけど)、影響力が大きいので予め「真実であるか否か」について検討しておく努力義務が課せられるだろう。それを怠ったのが「あるある報道」の納豆みたいなものである。

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その後、ネギは売り切れ続出したのでしょうか?
冗談です。


ただ、ネギがイギリス人、殊にウェールズのマスコットで愛され野菜なんだ、というのは驚きだった。

それにしても、昔の人の経験則、凄くね?