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独善的マイルールを行政に持ち込む八田達夫の暴論

八田達夫は、まるで安倍独裁が憑依したかの如く、暴君のように振舞っているようだ。いかに国家戦略特区諮問会議とて、一諮問機関の、一民間議員でしかない人間が、こうも官僚機構の頂点にでも立ったかのような言動を見せるというのは、安倍政権の特徴を示している。
平たく言えば、「俺たちゃ、何だってできる」、そういう心性を官邸もそれに連なる「おトモダチ」連中も持っているのだ。


本日の読売朝刊に、加計学園問題について、八田達夫の弁が掲載されていたので、一部引用してみよう。


『規制が正当だと証明する責任は規制する側にある』

『だが、文科省獣医学部新設に関して、獣医師の需給関係を崩すことになる場合は審査することさえ認めていない。この制限は法律ではなく告示に基づく。獣医師会の利権を守るために文科省が作ったと言えるだろう。』

獣医学部の新設は、国家戦略特区では新潟市が2014年7月に最初に提案しており、WG会議で何度も議論した。文科省は一校も作らせないと主張したが、その規制が正しいという理由を説明できなかった。』


八田達夫の言い分は、全て自己中心的な発想に基づくものである。彼の言い分の大半は、自身の無知に基づくものである。
八田は、これまで行政がどのように物事を決めてきたのか、それはどういう手続等を経た結果なのか、それらを一切無視している。何故かと言えば、自分自身が法体系なり、行政の仕組みなりをよく知らないからである。
これが大学教授クラスで、しかも政府の重要な会議に呼ばれ、長年審議会等の席を占めてきた人間の発言なのかと思えば、日本の行政機構がいかに杜撰なのかがよく理解できよう。


以下に、いくつかの論点に分けて述べる。


1)官僚個人が現行法体系を変更できるわけがない

最も基本的で大原則なのが、これである。
八田の最大の勘違いというか、無知は、この当たり前のことである。仮に、八田の『制限は法律ではなく告示に基づく。獣医師会の利権を守るために文科省が作ったと言える』という主張が正しいとして、文科省が省益最優先とか獣医師会の利権を忖度して、官僚が好き勝手に「規制の告示」を出せたとでも言うのか。

安倍政権の暴走内閣府でもあるまいし、そんなことは不可能である。告示は、いかに文科省事務次官とか局長が省益第一と考えたとしても、官僚が好き勝手に発出することは不可能である。


2)当該規制の告示は、小泉内閣が出したものである

獣医学部や医学部等の新設を制限した告示とは、
「大学、大学院、短期大学及び高等専門学校の設置等に係る認可の基準」
(平成十五年三月三十一日文部科学省告示第四十五号)
である。

言わずと知れた、構造改革を推進し、規制緩和の旗振りを盛んにやっていた小泉政権時代に告示が出されたものである。従って、告示の制定責任は、小泉内閣にあるというべき。文科省が独自に出せるものではない。告示は閣議決定の結果に過ぎず、すなわち制定責任は全て内閣に存するものだ。
八田のいう『獣医師会の利権を守るために文科省が作った』説というのは、どこにどのような証拠があるのか出してみよ。ハッタリ(笑)かね?

文科省が作ったんじゃないぞ、内閣が作るんだ、八田達夫よ。そんな簡単なことも知らないのかね?
内閣総理大臣以下、閣僚は全員署名したろ。その責任は、全て内閣が負うものだ。文科省の官僚がどんなに頑張っても、事務次官や審議官や局長級がいかに偉くて権勢を誇ったとしても、勝手に告示は出せない。内閣が許さない限りは不可能であり、それが行政の仕組みというものだよ。


3)規制の正当性の立証責任

八田が文科省官僚に「規制した理由を言え」と求めるなら、「閣議決定なので、私は変更できません」と言えば済む話である。

それとも何かね?
八田は文科省事務次官が「告示を撤廃しますね」と言えるとでも思っているのかね?(爆)
ああ、官僚が勝手に作成して出したものだと信じているような人間なのであれば、そうだろうね。しかし、それは大間違いだ。


会社のあるルールがあるとして、例えば、毎朝社歌を歌うというのがあるとしよう。頭の悪い新入社員が、「どうして社歌を歌わせるなどという規制があるのか、その立証責任は部長にある!」って求めたとして、部長は何と答えるか?
「社長が決めました」
これで終わりでしょ。部長には、この「社歌を歌う」ルールを覆す権限は与えられておらず、その立証の責を負うべき明確な理由などないでしょうに。そんなことを言うのは、八田の独自ルールに過ぎない。どこの世界に、そんな行政の原則があるのかね?


官僚は、過去に作られた法体系を維持することはできるが、原則として自ら変更はできない。その説明責任なり、変更権限を持つのは、政治家たる大臣とか内閣であり、国会である。

なので、八田がどうしてそんな告示を決めたのか言ってみろ、とどうしても要求したいなら、小泉内閣に説明を求めるべきである。平成15年当時、自民党幹事長の要職にあった安倍に、告示制定の意図なり根拠を聞けばよいのではないか?(笑)


文科省官僚が答えられるのは、例えば
「医療従事者については、将来の需給バランスを見通しつつ、養成計画の適正化に努める。特に、医師及び歯科医師については、全体として過剰を招かないように配慮し、適正な水準となるよう合理的な養成計画の確立について政府部内において検討を進める。」(昭和57年閣議決定
がありました、と事実を述べることは可能である。

更に、
「大学医学部の整理・合理化も視野に入れつつ、引き続き医学部定員の削減に取り組む。あわせて、医師国家試験の合格者数の抑制等で医療提供体制の合理化を図る。」(平成9年閣議決定
がありました、と述べることはできよう。

これらの閣議決定の責任所在は、内閣に決まっており、それを文部省(官僚)が医師会に忖度だか配慮して勝手に決めた、などという理屈は通るわけがなかろうに。政治責任とはそういうものだろ。内閣が決めたんだよ、あくまでも。

政策決定の説明は、原則的に政治家が負うべきものであり、当時の政治家がいない場合には、官僚は制定に至る過程を述べることは可能だが、官僚個人が当時の政策決定(列記の閣議決定等)の意図なり理由を述べるのは、必ずしも適当ではないだろう。そうした過去の経緯を後日に知る為の材料として、各種文書の保管が重要であるのに、現在の安倍政権下では「全部破棄した」のオンパレードでは、あまりに矛盾するだろう。

平成15年告示は、何故決めたんだ、理由を言ってみよ、言えないのなら俺様が「文科省が獣医師会の利権を守る為に決めたんだ」と決めるからな、という感じなのが、八田の理屈だ。
八田よ、それはあんたの独自のルール、屁理屈に過ぎないんだよ。

八田の言い分は、自分勝手な単なる決め付けであり、合理的推論でもない床屋談義レベルのものである。


4)行政には中長期的見通しがある

安倍官邸や、八田の言い分に共通するのは、彼ら個人の、ついここ数日とか数年の「思いつき」レベルで、政策決定を好き勝手に行う、という傾向である。これは、共謀罪の取組でもそうだし、戦争法案の際でも同様だった。

これまでの議論の経緯を、全てなかったことにしたり、無視することで、独自の屁理屈でもって押し通そうとする、という姿勢である。そういう輩にとっては、昨日今日で突然の政策や判断の変更がいくらでも可能、ということになるわけだ。

最高裁判例変更なんて、大陪審などで「変更の根拠」をできるだけ精緻に述べると思うが、突然の思いつきで行動したり言辞を弄することのできる輩というのは、掌を返したように、何の説明も合理的理由も目ぼしい根拠もなしで、いきなり変えてしまうのだ。それを異常と呼ぶのだよ。


獣医学部の設置に関して、平成15年当時の文科省官僚が単なる思いつきで、制限の告示を勝手に作ったわけではない。

昭和46年中教審答申、「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的な施策について」に基づいて、中長期的な方向性が出されたものである。

例えば医学部定員は増加の年代というのがあったが、その後抑制策へと転じたわけである。
参考>http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/043/siryo/__icsFiles/afieldfile/2011/01/18/1300372_1.pdf


しかし、また政策変更を受けて、08年以降には増加となったものである。
これらは、文科省官僚が勝手に決定したものではない。

防衛庁・省にも、ずっと以前から「防衛大綱」が閣議決定されてきたが、これも防衛官僚が勝手に政策変更できるわけではない。あくまで大綱に基づく整備計画というのがあるわけで、5年毎程度に見直しされてきた。これは政治的に決まるものであり、官僚の力は若干はあるが、責任所在は政治家にある。

それと同じく、高等教育の中期計画は更新されてきており、第5次の「高等教育の将来構想」(H12〜H16年、五カ年計画)においては、それ以前と同様に「医師や獣医師について拡充予定なし」、というのが政策的に決められていたものである。こうした方針は、現在の官僚たちが、自己の責任において決定権限があったものではあり得ず、当時の政治的な決定過程を経たものである。ここに至る(第4次計画)まで、中期計画で拡充が予定されなければ、政策変更はなされないだろう。
これをもって、岩盤規制と呼ぶのは、いかがなものか。

全ては、決定当時の政治家の責任なのだよ。大多数の国民が獣医師の拡充を求めたわけではなかった為に、変更されなかったに過ぎない。医師については、08年以降、拡充へと大きく舵が切られたわけで、それも国民からの「医療崩壊」危機というのが社会問題化し、その対応がとられたものと考えられる。

政策変更には、相応の理由が存在した、ということであって、昨日今日の思いつきで好き勝手に官僚が政策決定できるわけではない。
それを実現したのは、安倍官邸と森友学園事件とか、本件獣医学部の設置といった、極めて異常かつ特殊な決定過程を経たものではないのかね。ルールを無視すれば、そういう暴走的な「思いつき政策」を軽々しく実行できるだろうけどね。


5)中長期計画は、平成17年中教審答申に基づく

何度も述べてきた通り、安倍の「好き勝手思いつき内閣」が過去を全部無視してやるのとはワケが違うんだよ。
審議会の議論や答申というのは、基本的に尊重されるべきものであり、それ故きちんとした議論を重ねる必要がある。中教審は教育への政治介入等を排除しつつ、議論してきたはずのものだったが、昨今ではそうした審議会そのものの信頼性は大きく地に落ちた。八田や竹中のような、それに類する輩が審議会等に蔓延るようになったが為だ。

話を戻すが、中教審答申はこれだ。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1335594.htm


第2章 新時代における高等教育の全体像

○ 本章では、中長期的(平成17(2005)年以降、平成27(2015)年〜平成32(2020)年頃まで)に想定される我が国の高等教育の将来像のうち、主として高等教育の全体像に関する事項を示すこととする。

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冒頭は、こうなっているでしょう?まさに、今の時期を見通した計画が、これだということです。


で、獣医師に関する計画(見通し)はどうなっているか、といえば、以下の通りである。

○ これまでの高等教育政策においては、昭和50(1975)年度から平成12(2000)年度までの高等教育計画で、大学等の新増設について抑制的に対応しつつ、第2次ベビーブームによる18歳人口の急増期においては受験競争の緩和等を目的として、臨時的定員を措置するなどの政策的な対応が図られてきた。

○ 平成12(2000)年度から平成16(2004)年度においては、基本的に抑制基調が継続される中、臨時的定員の解消が進められる一方で、新分野への対応等の事情により新増設の動きは続いていた。その結果、入学定員の規模としては大きな変化は見られなかった。

○ 平成14(2002)年8月の中央教育審議会答申「大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について」を踏まえ、平成15(2003)年度以降は、大学が社会のニーズや学問の発展に柔軟に対応でき、また、大学間の自由な競争を促進するため、抑制方針は(医師、歯科医師、獣医師、教員、船舶職員の5分野を除き)基本的には撤廃されている。

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従って、文科省官僚が、例えば高等教育局長が、獣医師会の利権を守るべく好き勝手に決めたものではない、というのが明らかでしょう。何故、獣医学部設置はできないのか、と問われれば、

・平成15年文科省告示 第45号が閣議決定されていたから
・「平成17年中教審答申」により、『医師、歯科医師、獣医師、教員、船舶職員の5分野』についての抑制政策は維持の方針と示されたから

と答えることができる。

閣議決定は、官僚の責任範囲であろうはずもなく、また、中教審答申に基づく政策決定や方針策定は、内閣なり大臣の仕事であって、文科省官僚が決定権限を有しているものではない。

ここには、官僚個人の裁量の介入余地はかなり乏しく、政治の負うべき責任が大きいのであり、説明責任を果たすべきなのは、政治家である。時の内閣が、政策決定の説明責任を果たすのが当然なのだよ。

過去の決定経緯について、不明点があれば、当時の資料を探すなり、証言者を見つけ証言してもらう等が必要であろうが、文書隠蔽の安倍内閣では、それも覚束ないだろうね。


八田達夫の出してきた屁理屈は、全くの独自ルールを文科省官僚に投げつけただけに過ぎず、これまでの一般的な行政の仕組みを知っているなら、恥ずかしくてあのような暴言を新聞紙上に発表したりはできないだろう。


そもそも、何の為に審議会の議論があるのか、諮問するのは誰で答申を受ける人は誰なのか、政策決定の権限や責任がある人間とは誰なのか、少々でも頭を働かせれば誰でも直ぐに分かりそうなことなのに、それを知らないという恐るべき人間が政府の諮問会議民間議員として居座っており、官僚を顎で使って独自行政論を展開された日には、どうにも手の施しようがないだろうね。


再度書いておくが、いくら文科省官僚の事務次官や高等教育局長を、はったり紛いの暴論でもって痛めつけたり、凹ませたりできたとして、政策変更の決定権限は官僚にはないし、告示変更もできるわけがないのだよ。


内閣府や国家戦略特区会議・特区諮問会議の連中なら、上記程度の説明はできるだろう?

だから、獣医学部設置の正当性について、お前らが説明責任を果たせよ。大きな政策変更は、最高裁判例変更と同類の過程なのだから、変更を決定した理由・根拠・正当性について、合理的説明ができなければならないに決まっているだろうが。


少なくとも、「閣議決定された平成17年中教審答申」に反して、抑制方針の維持を変更するだけの理由は、提示できなければならない。規制してるのは、文科省の官僚が独自で好き勝手にやっているのではなく、文科大臣の権限下でやっているのだよ。

一言で言えば、「小泉内閣が決めた、プゲラw」で終わりだろ。
どう正しいか言ってみろ、って、その説明責任も、規制を撤廃する理由の説明も、全部自民党の国会議員に尋ねるべき質問だろうに。


前の記事にも書いたが、八田達夫を国会に呼んで、加計学園の担う予定の、ライフサイエンス分野だの、研究分野だの、研究需要だのを立証させるべき。

11月9日「諮問会議決定」とは、一体全体何なのか、どういう根拠でどういう理由で決まったのか、議長たる安倍が「ぼくちんの所管外だ、答えられないよ、総理は関与できないよ」とほざいたんだから、八田達夫が肩代わりして代弁できるんだろ?

何の為の諮問機関なのか?
総理に、「答えを教える、説明の仕方を準備する」為にこそ、あるもんじゃないのか?
だったら、諮問会議内で理屈が共有されていなけりゃおかしいし、誰に聞いても、安倍であろうと八田であろうと同じ答えが返ってくるって寸法だろう?

それを答えろよ、八田殿。

できないのかな?

なんだ?
ハッタリ野郎なのかね?
違うんでしょ?
答えてみろ。


八田達夫式の暴論によれば、例えば20年前とか5年前の防衛大綱で「護衛艦は10隻以内」と決められたとして、現代の防衛官僚に対し「お前は、護衛艦10隻が正当である、という立証をしてみろ」とか無謀な要求を行い、防衛大綱を決定したのは過去の政権だと答えたら、「ようし、護衛艦10隻以内の正当性を証明できなかった、よって、制限を解除せよ、来年から30隻にしろ」と言うようなものだ。


そんな屁理屈は、どこにあるのだね?
普通に、論理として、明らかにおかしいでしょ。大丈夫か?