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日本学術会議の推薦した新会員を総理は任命拒否できるのか

スガ内閣で初っ端から揉め事ですか。

既に報道されてるように、日本学術会議側から新規会員の推薦名簿を総理に提出した処、スガ総理が「6名の会員について任命拒否」と伝達した、とのこと。正式な手続を経た決定かどうかは、とりあえず分かりません。


そこで、今回の総理権限(任命拒否)について検討してみたい。
(素人の個人的見解ですw)


(1)日本学術会議は「審議会」と同じではない

権限の前に、団体の性格について見てみた。
まず、よくテレビ解説等で登場する識者連中の言う「審議会と同じなんだから、委員の差し替えや人選は行政側にある」という意見はハズレだと思います。

審議会だと事務局(所管する行政側)が自由に学識・有識(財界経営)者等を選ぶことができる場合が多いでしょう。
中には、例えば中教審中医協のように、関係団体からの推薦委員を多数入れることになっている会議もあるでしょう。が、日本学術会議はこれら審議会とは一線を画していると思われます。

法律上の区分としては国家行政組織法に基づくものだろうと思います。

(審議会等)
第八条 
第三条の国の行政機関には、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律又は政令の定めるところにより、重要事項に関する調査審議、不服審査その他学識経験を有する者等の合議により処理することが適当な事務をつかさどらせるための合議制の機関を置くことができる。

(施設等機関)
第八条の二 
第三条の国の行政機関には、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律又は政令の定めるところにより、試験研究機関、検査検定機関、文教研修施設(これらに類する機関及び施設を含む。)、医療更生施設、矯正収容施設及び作業施設を置くことができる。

(特別の機関)
第八条の三 
第三条の国の行政機関には、特に必要がある場合においては、前二条に規定するもののほか、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律の定めるところにより、特別の機関を置くことができる。



一般的な審議会は「国家行政組織法8条」で、日本学術会議は「法8の3」に規定される機関でしょう。「特別の機関」であって審議会等ではありません。あしからずw

橋下徹弁護士はこの点からして、論者として不適切ではw


(2)日本学術会議の会員はかつて選挙制だった

発足当初は会員を選ぶのは選挙制でしたが、その後中曽根政権下で日本学術会議法の改正があり、推薦方式へと変化した。
(所管省庁も、総理府総務省内閣府と流転したらしい)
推薦は各種学術団体からの人選によることになったが、小泉政権下でまた法改正があり、団体からの推薦ではなく、現会員・連携会員からの推薦方式となったようだ。

1983年の法改正の際、中曽根総理の国会答弁が今回の争点になってくるので、それは後述する。


(3)日本学術会議法ではどのようになっているか

一部から「独立の機関だ」という意見もありますが、(1)で見たように行政府から独立した機関(例えば裁判所)のような立場ではありませんし、日本学術会議法上でも総理の所轄とされていますね(完全独立説は否定的かと思います)。

第1条
2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。



また、総理の任命権は7条2項の通り。

第7条
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。


17条規定とは

第17条 
日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。



なので、日本学術会議が推薦した会員候補者を総理が任命する、ということになっています。


ここで、総理の任命権で「拒否権を発動できるのか」というのが問題となっています。


(4)過去の立法趣旨や経緯はどうなのか

原則的には、1980年代まで総理の任命拒否というのが、明示的に許されるという解釈は登場してないと思います。

国会答弁では、以下のような例があります。


第98回国会 参議院 文教委員会 第8号 1983年5月12日

○前島英三郎君 
代表が選挙によって選ばれるということが国のいろいろな審議機関に見られないわけですけれども、この中では、いままで選挙によって選ばれてまいりました。これはやっぱり大変重要な特質でありまして、この原則が守られなければ本会議の存在理由もまたあり得ないというふうな気がするんですけれども、今後この学術会議は、たとえば他の諮問機関のような形に変わっていくのでしょうか。その辺はどうなんでしょうか。


中曽根康弘君 
これは、学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。


○前島英三郎君
そういう意味では、政府案を私ずっと聞いておりましても、学術会議の存在理由をなくすというふうな危険性をも一面感じているのですけれども、その辺は、全く自主独立、そういう介入する意図はあり得ない、こういうことで理解してよろしいですか。


中曽根康弘
昔のような学術会議はなくなってくると思います。つまり、学者が選挙運動に狂奔して、郵便を配ったりいろいろやっておると。学問の権威というものは票数にかかわるものではないという面があるのであって、そういう意味において、生きた人間同士が生きた人間の権威者を選ぶという方がより真実に学問の場合は近いと私は考えております。


さすが大勲位中曽根と言われるかもしれません。不沈空母発言のタカ派と言われた中曽根総理は現代政治家たちよりは断然まともで、見識もあったということですね。

『政府が行うのは形式的任命』『政府の行為は形式的行為』にすぎないと、繰り返し述べており、総理が任命拒否を行う実態というのは想定されてない、と言っているわけです。


他にも、今で言う内閣府の大臣の答弁。


第100回国会 参議院 文教委員会 第2号 1983年11月24日

総理府総務長官 丹羽 兵助君

今回の改革そのものは、学術会議が先生のおっしゃいましたように真に科学者の代表機関としてその本来の機能を十分果たすことができるようにするため会員の選出方法等を改めるものでございまして、その会員の選出方法も、いまお話がありましたが、内閣総理大臣による会員の任命行為というものはあくまでも形式的なものでございまして、会員の任命に当たりましては、学協会等における自主的な選出結果を十分尊重し、推薦された者をそのまま会員として任命するということにしております。

 だから、会員の選出方法等を改めるということであって、その心配はないと思いまするし、いまお話がありましたように、学術会議の性格、目的、任務等に少しも変更を加えるものではない。

 特に、総理のもとに置く、総理府に置くよりは文部省の方に移した方がいいではないか、こういう先生の御意見もございます。先生はそういう御意見でございましょうし、そういう考えを持っていらっしゃる方もあるでしょうが、私の方としては、先ほど申し上げましたように、政府としては、学術会議が真に科学者の代表機関としてということでございますから、そうした専門的な文部省の所管よりは政府である内閣に、総理府の、総理のもとに置いた方が代表機関としての権限がある、また責任を大きく感じていただける、そういう意味で私どもは従来どおりの総理府に置かしていただきたい、こういう考えでございます



要するに、

内閣総理大臣による会員の任命行為というものはあくまでも形式的なもの』

『会員の任命に当たりましては、学協会等における自主的な選出結果を十分尊重し、推薦された者をそのまま会員として任命する』

と所管大臣が答弁しているわけで、これを覆すにはそれなりの理由と説明が必要である。


(5)まとめ

条文上では拒否権発動は不明瞭だが、機関自体は総理の所轄下にある。ただし「特別の機関」として、独立性が担保されてきた経緯がある。

会員推薦は日本学術会議の自主性が尊重され、総理任命は形式的なものに過ぎないというのが政府方針だった。

これを覆したのがスガ総理であり、かつて同じ手法を用いたのが例の「解釈改憲」である。説明もできず理由も不明だが、過去からの行政解釈をひっくり返した、ということだ。

言うなれば、最高裁判例変更を何の理由も言わず、説明もできず、けれどもある日突然最高裁判例を覆して違う結論を出した、というのと同じ。


アベスガ政治の本質は、こういう部分にあるのだ。彼らにとって、法や規範は無視できる。何より優先されるのは、「オレの意思」である。

嫌だから嫌、言いたくないから言わない、こうしたいからそうする、つまり幼児同然w


これを野放しにしてきたのは、愚かな日本国民ということだね。有権者が懲らしめないから、いつまでもこんな馬鹿げたことが継続されるのだよ。

「懲らしめる」とは何か?
与党の議席を激減させる、ということだ。

たとえ野党が政権取れずとも、議席が減れば政治責任が痛感されるというのが、選挙であり政治だろうに。そんな簡単なことすら分かってないのが、今の日本の有権者たちということ。だから政府が増長するし、法を無視した理不尽な支配が続けられるのである。