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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

日本学術会議会員の任命権についての雑考

内閣総理大臣の任命権について様々な意見が出ているようですが、当方の個人的見解について述べてみたいと思います(法学素人の意見ですので、ご注意をw)。


まず、恐らく内閣府内閣官房で混同してるであろう(何故なら「日本学術会議の会員は非常勤の国家公務員だ、だから任命拒否はできる」と当初言ってたらしいので)、任命権及び任命権者の関係について、分かり易い国家公務員の任命を例にして考えてみたい。


官僚などの国家公務員採用を短く書けば、

採用試験合格→採用「候補者名簿」作成
→各省庁の大臣が名簿登載者から採用者を自由に決定し、任命

つまり、提示されてる名簿はあくまで「候補一覧」に過ぎず、そこから誰を任命するかは、任命権者である大臣の一存で自由に決められる、ということである。


これを日本学術会議の場合で並べてみると、

日本学術会議内の選考合格→「会員推薦者名簿」作成
内閣総理大臣が任命


ということで、総理は任命権者なので「名簿から自由に選べるはずだ」とのクソ論法ではないかと想像。

これがデタラメ論法であることを述べてみたい。


まずは、「任命権者」とか「候補者名簿」などの誤解・混同の元になってると思われる国家公務員の制度から。


1)国家公務員法ではどうなっているか

次の条文による。


国家公務員法 第五十五条 

任命権は、法律に別段の定めのある場合を除いては、内閣、各大臣(内閣総理大臣及び各省大臣をいう。以下同じ。)、会計検査院長及び人事院総裁並びに宮内庁長官及び各外局の長に属するものとする。これらの機関の長の有する任命権は、その部内の機関に属する官職に限られ、内閣の有する任命権は、その直属する機関(内閣府を除く。)に属する官職に限られる。ただし、外局の長(国家行政組織法第七条第五項に規定する実施庁以外の庁にあつては、外局の幹部職)に対する任命権は、各大臣に属する。

○2 前項に規定する機関の長たる任命権者は、幹部職以外の官職(内閣が任命権を有する場合にあつては、幹部職を含む。)の任命権を、その部内の上級の国家公務員(内閣が任命権を有する幹部職にあつては、内閣総理大臣又は国務大臣)に限り委任することができる。この委任は、その効力が発生する日の前に、書面をもつて、これを人事院に提示しなければならない。



第五十六条 
採用候補者名簿による職員の採用は、任命権者が、当該採用候補者名簿に記載された者の中から、面接を行い、その結果を考慮して行うものとする。


簡単に言えば、55条1項で、任命権は各大臣(や機関の長)に属しており、採用候補者名簿から大臣が好きに選べる(56条)という意味合いである。

また大臣の任命権は、部下である上級公務員に権限が委任されており、大臣が採用試験をやらずに済む、ということ。
いちいち大臣が全員を面接なんかできないでしょ?


大事な点は、大臣権限が部下に委任されてる場合には法律に規定がある、ということだ。橋下徹みたいな輩の言う「首長の部下がやるのが当然」などの暴論ではなく、そういう場合であっても任命権の委任が条文に書かれている、というのが法的根拠のある理由なのだよ。

役人が勝手に大臣(首長)権限を行使できる立場にあるわけじゃないってこと。

小括1
・採用候補者名簿の中から、大臣(実質的には部下たる採用担当者)が自由に選べる
・大臣権限の委任が条文によって規定されている(ので、部下が選んでよく、採用者を任命する時だけ大臣のハンコで任命が確定する)


2)各省庁大臣の任命行為(権限)は、設置法に書かれていない

ここでも例で見てみよう。財務省の場合だと、


財務省設置法 第三条 

財務省は、健全な財政の確保、適正かつ公平な課税の実現、税関業務の適正な運営、国庫の適正な管理、通貨に対する信頼の維持及び外国為替の安定の確保を図ることを任務とする。


こうなっているだけで、財務省の長たる財務大臣がどうして新しい国家公務員を任命できるのかは、任務の条文上ではあまり明確ではない。

ただ、職員の採用、任用や昇任等の差配というのが、「財務省は、~」以下の任務(事務)に関することなので、「やっていい」ということであろう。


4条の「所掌事務」一覧でも、「国家公務員の任命」に関する条文は出てこない。
けれど、現実には財務大臣が任命権を行使してるわけだから、任務の一部と見做してよいだろう。


小括2
・行政組織の任務(=大臣に与えられた権限)の条文からは、任命権行使の根拠というのは明示的ではないが、任務に含まれていると考えてよいだろう。


3)会員候補者選定の権限は日本学術会議法の3条に含まれる

前項で見たように、各省庁設置法には組織を構成する職員の任命権が「任務」や「所掌事務」の条文上では明確に登場してこないが、大臣権限として認められていることから、含まれると考える(小括2)としたので、これを日本学術会議法で見てみる。


第三条 日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。



実際、日本学術会議で会員候補を推薦する権限が認められてきたので、職務の一部と考える以外にはないだろう。

すると、推薦書の作成という行為に対しても「独立して左の職務を行う」は適用されると言える。外部からの干渉を受けない、と、そういう意味である。


小括3
・会員候補選定の権限は3条に含まれるとみなしてよい
・条文の「独立して」は選定行為にも適用される


4)日本学術会議法3条の「独立して」とは、どのような立法趣旨か

専門家があまり説明を出してこないので、当方が素人考えを出すことにしましたよw

参考となる国会答弁が次の部分。


第2回国会 衆議院 文教委員会 第21号 昭和23年6月30日

○高津正道 委員長代理 

第三條の第一項「日本学術会議は、独立して左の職務を行う。」と書いてありますが、この「独立して」というのはどういう意味であるか。第十六條には「日本学術会議に、事務局を置き、翌本学術会議に関する事務を処理させる。」とあります。その事務局は官吏がやるという政府の説明であるが、そうすれば独立してやるといつても、官吏がずつとやつておるのであつて「独立して」というのはどういう意味であるか、その点をお伺いしたいと思います。


○清水勤二政府委員(文部事務官)

日本学術会議は、第一條第二項にありますように、内閣総理大臣の所管になつております。しかし学術のことにつきましては、この日本学術会議が各省の制肘を受けないで、独立した形において自由にその職務を行うという考えでございます。もちろん第十六條にありますように間接のものでございますから、事務局は官吏がこれを行うのでございますけれども、その職務につきましては、政府各省の制肘を受けないというような建前と考えます。


ここでのポイントは、内閣総理大臣の所管になっているが、「政府各省の制肘を受けない」というのが建前である、と。

前項小括3で見たように、会員推薦(当時は会員選挙)は3条の職務の一部をなすので、これが「政府(各省)の制肘を受けない」というのが原則だということだ。


5)日本学術会議の会員候補者推薦書から総理が自由に任命者を選べるか

問題となっているのが、これですね。
日本学術会議法の条文上からは任命することは分かるが、落とすことができるのかは定かではない。

83年政府答弁では、形式的任命に過ぎないので(選挙から推薦に変えても)大丈夫だ、という説明だった。


根本的な論点としては、総理の任命権が部下に委任されていないので、内閣官房の幹部らが総理に提示する前に推薦書から任意で会員を振り落とす行為は、確実に違法である。

もし仮に任命権者たる総理が任命権を行使できるとしても、それが唯一許されているのは総理自身であって、官房長官内閣府官房長などといった部下(上級公務員)ではない。


この点が小括1で見たように、「国家公務員採用の任命権」行使と混同しているのではないかとしか思えないわけである。


日本学術会議から正式な推薦書が上がってきてしまうと、任命権者の総理が83年答弁の通りに「形式的任命」をする以外にはなく、それは83年改正時の趣旨がそうだったとしか考えられないだろう。

また04年改正以後、学協会推薦から会員推薦に変更されたが、この改正も日本学術会議内部の手続き変更であって、総理の任命権に変更は及ばない。


日本学術会議法3条の「独立して」の趣旨を法改正で変更するなら話は別だが、これまでの法改正の趣旨説明でそうした政府方針が示されたことはない。


従って、形式的には「任命権者は総理」なので国家公務員の任命権と類似の権限行使が可能な解釈はあり得るかもしれないが、現実には発動されたことがなかったわけである。

天皇の大臣その他公務員の任命と似ており、拒否権が行使されたら大問題となるのは当然である。任命行為が「形式的なもの」と国会でも確約してきた政府が、それを無視して解釈を変更したとなれば、国会への説明責任を踏みにじったのと同じだからだ。


たとえ内閣総理大臣の任命権が「発動可能」であるとしても(解釈を変更すればよい)、事実上それが許されてこなかったというのが、日本学術会議法を巡る背景であろう。長期渡る慣習は、十分「法源たりえる」はずだが、これを一顧だにしない無法国家・違法三昧政権は尋常ではないな。


最後に、日本学術会議がどういう思いで設立されたのかが分かる答弁があったので、紹介しておきたい。



第2回国会 衆議院 文教委員会 第12号 昭和23年6月19日

○森戸辰男 國務(文部)大臣

この法案は、わが國の新学術体制の立案、企画を目的として昨年八月結成せられました学術体制刷新委員会におきまして、約七箇月にわたり愼重審議を重ねた成案をもとといたしまして、ほとんどこれを変更することなく、政府において立法化したものであります。この意味におきまして、本法案は、わが國科学者の総意を反映して民主的に立案された眞に歴史的なものと称し得るのでありまして、日本学術会議の成立は、全國科学者の切望するところであると信じます。



当時の学術界でよく吟味し、科学者たちの総意でほぼ変更なく立案されたはずの日本学術会議法が、今では軽んじられてしまうようになったということだ。

それにこの団体設立のアドバイスしてたのは、当時の米国の科学者団体だったのですがねえ。


愚か者たちが支配側に都合よく改変を迫るというのが、よく分かることでしょうw
弱体化させるには、障害となる部分を取り除けばよいのさ。

基本原則を破壊することで、それも容易になるのだよw

日本学術会議の推薦した新会員を総理は任命拒否できるのか

スガ内閣で初っ端から揉め事ですか。

既に報道されてるように、日本学術会議側から新規会員の推薦名簿を総理に提出した処、スガ総理が「6名の会員について任命拒否」と伝達した、とのこと。正式な手続を経た決定かどうかは、とりあえず分かりません。


そこで、今回の総理権限(任命拒否)について検討してみたい。
(素人の個人的見解ですw)


(1)日本学術会議は「審議会」と同じではない

権限の前に、団体の性格について見てみた。
まず、よくテレビ解説等で登場する識者連中の言う「審議会と同じなんだから、委員の差し替えや人選は行政側にある」という意見はハズレだと思います。

審議会だと事務局(所管する行政側)が自由に学識・有識(財界経営)者等を選ぶことができる場合が多いでしょう。
中には、例えば中教審中医協のように、関係団体からの推薦委員を多数入れることになっている会議もあるでしょう。が、日本学術会議はこれら審議会とは一線を画していると思われます。

法律上の区分としては国家行政組織法に基づくものだろうと思います。

(審議会等)
第八条 
第三条の国の行政機関には、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律又は政令の定めるところにより、重要事項に関する調査審議、不服審査その他学識経験を有する者等の合議により処理することが適当な事務をつかさどらせるための合議制の機関を置くことができる。

(施設等機関)
第八条の二 
第三条の国の行政機関には、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律又は政令の定めるところにより、試験研究機関、検査検定機関、文教研修施設(これらに類する機関及び施設を含む。)、医療更生施設、矯正収容施設及び作業施設を置くことができる。

(特別の機関)
第八条の三 
第三条の国の行政機関には、特に必要がある場合においては、前二条に規定するもののほか、法律の定める所掌事務の範囲内で、法律の定めるところにより、特別の機関を置くことができる。



一般的な審議会は「国家行政組織法8条」で、日本学術会議は「法8の3」に規定される機関でしょう。「特別の機関」であって審議会等ではありません。あしからずw

橋下徹弁護士はこの点からして、論者として不適切ではw


(2)日本学術会議の会員はかつて選挙制だった

発足当初は会員を選ぶのは選挙制でしたが、その後中曽根政権下で日本学術会議法の改正があり、推薦方式へと変化した。
(所管省庁も、総理府総務省内閣府と流転したらしい)
推薦は各種学術団体からの人選によることになったが、小泉政権下でまた法改正があり、団体からの推薦ではなく、現会員・連携会員からの推薦方式となったようだ。

1983年の法改正の際、中曽根総理の国会答弁が今回の争点になってくるので、それは後述する。


(3)日本学術会議法ではどのようになっているか

一部から「独立の機関だ」という意見もありますが、(1)で見たように行政府から独立した機関(例えば裁判所)のような立場ではありませんし、日本学術会議法上でも総理の所轄とされていますね(完全独立説は否定的かと思います)。

第1条
2 日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。



また、総理の任命権は7条2項の通り。

第7条
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。


17条規定とは

第17条 
日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。



なので、日本学術会議が推薦した会員候補者を総理が任命する、ということになっています。


ここで、総理の任命権で「拒否権を発動できるのか」というのが問題となっています。


(4)過去の立法趣旨や経緯はどうなのか

原則的には、1980年代まで総理の任命拒否というのが、明示的に許されるという解釈は登場してないと思います。

国会答弁では、以下のような例があります。


第98回国会 参議院 文教委員会 第8号 1983年5月12日

○前島英三郎君 
代表が選挙によって選ばれるということが国のいろいろな審議機関に見られないわけですけれども、この中では、いままで選挙によって選ばれてまいりました。これはやっぱり大変重要な特質でありまして、この原則が守られなければ本会議の存在理由もまたあり得ないというふうな気がするんですけれども、今後この学術会議は、たとえば他の諮問機関のような形に変わっていくのでしょうか。その辺はどうなんでしょうか。


中曽根康弘君 
これは、学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。


○前島英三郎君
そういう意味では、政府案を私ずっと聞いておりましても、学術会議の存在理由をなくすというふうな危険性をも一面感じているのですけれども、その辺は、全く自主独立、そういう介入する意図はあり得ない、こういうことで理解してよろしいですか。


中曽根康弘
昔のような学術会議はなくなってくると思います。つまり、学者が選挙運動に狂奔して、郵便を配ったりいろいろやっておると。学問の権威というものは票数にかかわるものではないという面があるのであって、そういう意味において、生きた人間同士が生きた人間の権威者を選ぶという方がより真実に学問の場合は近いと私は考えております。


さすが大勲位中曽根と言われるかもしれません。不沈空母発言のタカ派と言われた中曽根総理は現代政治家たちよりは断然まともで、見識もあったということですね。

『政府が行うのは形式的任命』『政府の行為は形式的行為』にすぎないと、繰り返し述べており、総理が任命拒否を行う実態というのは想定されてない、と言っているわけです。


他にも、今で言う内閣府の大臣の答弁。


第100回国会 参議院 文教委員会 第2号 1983年11月24日

総理府総務長官 丹羽 兵助君

今回の改革そのものは、学術会議が先生のおっしゃいましたように真に科学者の代表機関としてその本来の機能を十分果たすことができるようにするため会員の選出方法等を改めるものでございまして、その会員の選出方法も、いまお話がありましたが、内閣総理大臣による会員の任命行為というものはあくまでも形式的なものでございまして、会員の任命に当たりましては、学協会等における自主的な選出結果を十分尊重し、推薦された者をそのまま会員として任命するということにしております。

 だから、会員の選出方法等を改めるということであって、その心配はないと思いまするし、いまお話がありましたように、学術会議の性格、目的、任務等に少しも変更を加えるものではない。

 特に、総理のもとに置く、総理府に置くよりは文部省の方に移した方がいいではないか、こういう先生の御意見もございます。先生はそういう御意見でございましょうし、そういう考えを持っていらっしゃる方もあるでしょうが、私の方としては、先ほど申し上げましたように、政府としては、学術会議が真に科学者の代表機関としてということでございますから、そうした専門的な文部省の所管よりは政府である内閣に、総理府の、総理のもとに置いた方が代表機関としての権限がある、また責任を大きく感じていただける、そういう意味で私どもは従来どおりの総理府に置かしていただきたい、こういう考えでございます



要するに、

内閣総理大臣による会員の任命行為というものはあくまでも形式的なもの』

『会員の任命に当たりましては、学協会等における自主的な選出結果を十分尊重し、推薦された者をそのまま会員として任命する』

と所管大臣が答弁しているわけで、これを覆すにはそれなりの理由と説明が必要である。


(5)まとめ

条文上では拒否権発動は不明瞭だが、機関自体は総理の所轄下にある。ただし「特別の機関」として、独立性が担保されてきた経緯がある。

会員推薦は日本学術会議の自主性が尊重され、総理任命は形式的なものに過ぎないというのが政府方針だった。

これを覆したのがスガ総理であり、かつて同じ手法を用いたのが例の「解釈改憲」である。説明もできず理由も不明だが、過去からの行政解釈をひっくり返した、ということだ。

言うなれば、最高裁判例変更を何の理由も言わず、説明もできず、けれどもある日突然最高裁判例を覆して違う結論を出した、というのと同じ。


アベスガ政治の本質は、こういう部分にあるのだ。彼らにとって、法や規範は無視できる。何より優先されるのは、「オレの意思」である。

嫌だから嫌、言いたくないから言わない、こうしたいからそうする、つまり幼児同然w


これを野放しにしてきたのは、愚かな日本国民ということだね。有権者が懲らしめないから、いつまでもこんな馬鹿げたことが継続されるのだよ。

「懲らしめる」とは何か?
与党の議席を激減させる、ということだ。

たとえ野党が政権取れずとも、議席が減れば政治責任が痛感されるというのが、選挙であり政治だろうに。そんな簡単なことすら分かってないのが、今の日本の有権者たちということ。だから政府が増長するし、法を無視した理不尽な支配が続けられるのである。

虚飾と縁故腐敗のアベ政治を振り返る

アベはよく「悪夢の民主党政権」と呼んでいたが、私にとってはアベ政権こそが本物の悪夢であった。

アベ政治のペテン手法は、まずTPP参加表明から始まった。民主党政権時代では参加とは言っておらず、事前交渉に参加するかどうか、という段階だった。

ところが、アベ自民は「TPP反対」と掲げて選挙を戦っておきながら、勝利で政権を奪還した途端にアベがTPP参加を表明した。

アベの嘘つき政治の始まりを国民が目の当たりにしておきながら、その後もズルズルとアベ自民に選挙での議席を与え続けたのだ。アベ政権を増長させ、腐敗をエスカレートさせたのは、愚かな国民の選択だった。

選挙で痛手を受けないアベ政権が味をしめて、後の森友・加計問題や桜を見る会等の伏線となったのだ。

大企業中心の優遇政策と意図的円安効果によって、企業業績が上向き株価が上がったことなどでアベノミクスの大成功を喧伝し、それが消費税の大増税の口実であるにもかかわらず、アベ自民を選挙で支えた「一部の利益獲得者たち」がいたのだ。


唯一、アベ政権に国民側からの目に見える抵抗となったのは、戦争法案に関連する国会議論の時だった。国会周辺でデモが繰り返され、国会審議も難航してはいたが、多数派を占める与党側の馬鹿げた策によって、参院外交委員会のインチキ採決が行われた。

後日会議録は公開が長期に渡り封じられた上、委員長発言や採決結果などは殆ど捏造に匹敵する内容に書き換えられていた。アベ政治の文書改竄・捏造体質はここに結実したのだ。この後からは、いかなる行政文書であろうとも、簡単に偽造改竄が繰り返されるようになった。森友事件でそうしたアベ政治の体質が明るみに出たのだ。


また、アベ政権によって官僚の規律が完全に崩壊した。
以前だと野党議員が各省庁に「~の文書を出してくれ」と要望すると、ある程度は対応していたろうし、国会質疑においても不十分ではあっても応えようとする姿勢は残されていた。

だが、アベ政治の縁故腐敗体質が霞が関に充満すると、一部の官僚たちはあからさまに野党議員を蔑み小馬鹿にするようになった。簡単に言えば「俺らのバックには、アベやスガがついているんだからな、木っ端議員なんか相手にするわけない」、みたいな風潮だ。

特に酷くなったのは内閣官房内閣府財務省経産省などである。文書のインチキ三昧の巣窟となった連中だな。


わが国の戦後政治において、これほどの腐敗とデタラメが官僚内に浸透したことがあったろうか。
文書主義は、ほぼ死んだ。
壊れたものを戻すのは、非常に困難だ。官僚の杜撰な体質が次の政権でも一層強化されることだろう。


都合の悪い文書は存在しないことになった。改竄や偽造がバレると、文書を作るなという方向性になった。要するに、徹底した「検証を妨害する」行政が公然と行われているのだ。


驕りと見栄のアベ政権は、経済統計でも改竄や偽装を繰り返すようになった。アベ政治の実態というのは、桜を見る会も重要な基幹(経済)統計も同じく国民を騙す為に少々見栄えをよくしようというものだ。

ロシアとの北方領土交渉にしても、何らの成果が上がらずとも「もうすぐ妥結できる、領土が帰ってくる」かのように誇張していたのだ。時々あまりに酷い嘘だと、日本政府の公式発表をロシア政府や大使館から否定される始末である。


アベ政治とは、虚飾の腐敗政治であり、捏造風土を政官界に拡大した。


こうしたアベ気質は、裁判所や検察にも当然及んだ。わが国では、法規範が崩壊したも同然だ。出世が大事なので、アベ官邸の言いなりになる輩が続出した。司法が、法よりも「政治権力」に服従することを選んだということである。独裁国家にありがちな体質ということ。


それに伴って、警察や海保のような暴力を行使できる組織が、一般市民に対し何らの法的根拠がないのに身柄拘束を平気でやるようになった。まともな法治国家であれば、違法な暴力を用いた警察や海保などは訴追され罰せられるはずが、日本という国においてはアベ官邸があらゆる支配を強めたことで、国家による暴力が堂々と行使されるようになったのだ。その狂気に目を向けない愚かな国民によって、アベ政治が支えられたのだ。


アベの「あんな人たちに負けるわけにはいかないんです!」演説に、アベ政治の特徴が現れている。アベは自分に反対する者たちは暴力で沈黙させ排除すればいい、と思っているということだ。

アベにとって自分に反対を言う人間は、既に「国民ではない」のだよ。アベがおトモダチを優遇し、味方と思う人間たちは「桜を見る会」に大量に呼ぶというように、ご褒美を与えたいのである。自身のカネではなく、国民の税金で。
森友加計問題は、その一端が垣間見えたに過ぎない。実際には、更に巨額の恩典を受けた連中が大勢いることだろう。だから経団連がいつもアベ政権を応援していたわけで。


そういう腐った連中がアベ政治を支える根幹だったのさ。
戦時中の「国家に反対しなければ、特高警察に逮捕されたりしない」と嘯いてた連中と極めてよく似ている。大政翼賛体質なのだ。

多分、スガ政権でも同じ事が繰り返されるだろう。


アベの約8年間で、大多数の国民は貧しくなった。
増税効果もあって、一層苦しむことになっているにも関わらず、選挙でアベ政治を否定しない国民の気持ちがよく分からない。
世界の中の日本、という視点で見ても、衰退し沈没して行ってるのに、漫然と時間だけが過ぎているのである。


にっぽん、沈、没!  ちん ヴォツ!!(大和田風)


アベ政治は、沈没を加速させたんですよ。
それにすら気付けない国民ならば、更にどんどん落ちて行くしかないでしょう。

福島原発事故後、若年者の甲状腺癌は増加した

2016年以降のデータが公表されてないようなので分からないが、2015年までの数字は発見できた。
(昨日の子宮頸癌の数字も、ここで検索しました)


https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html

 

 

※※9/12 16、17年のデータが公表されていたので追加しました
参考>https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html

 


年齢階級別の罹患率(人口10万人当たり)を一部書くと以下の通り。

 

 

男性

  ~4  ~9  ~14  ~19  ~24  ~29(歳)
(年)
05  0   0   0  0.531  0.954  1.374
10  0   0   0  0.384  1.202  2.210
11  0  0.107  0.330 0.321  2.704  0.735
12  0  0.108  0.133 0.290  1.464  1.504
13  0   0   0.337 1.549  1.069  1.826
14  0   0   0.410 0.878  1.411  1.787
15  0.039 0.110  0.417 0.771  1.986  0.950

16  0.1  0   0.4  0.6   1.9   2.4
17  0   0   0.3  0.8   1.8   2.5 

 

 

女性

  ~4  ~9  ~14  ~19  ~24  ~29(歳)
(年)
05  0   0  0.136  0.687  3.049  4.885
10  0   0  0.242  1.888  5.004  5.583
11  0   0  0.624  1.589  6.868  6.907
12  0   0  0.489  2.476  6.142  6.886
13  0  0.076  0.850  2.747  4.798  7.224
14  0  0.077  1.113  2.833  4.514  9.926
15  0  0.385  0.547  2.787  5.592  8.096

16  0.1  0.2  0.3   3.0   7.1   11.6
17  0   0.1  0.6   3.5   7.1   12.4

 

男女とも、罹患が増加してる層があるようにも思えるが?

 

(追記  15歳以上の女性では16年以降、甲状腺癌が顕著な増加傾向である。男性でも同じく増加傾向が窺える)

 

 

福島県の大規模な検査実施で発見された例も少なくないだろうが、15年になると何巡目かになっているはずだろうから、発見から漏れてたとは考え難いのでは?


男性は甲状腺癌の発生がそもそも少ないはずが、福島原発事故後に増加に増加したのだとすると、それは何が理由だと思うのか?
ここ数年のデータも秘匿されてて、変だと思わないのか?

データ整理に時間がかかるとしても、16年とか17年のデータさえ非公表ってどういうことだと思います?w

時効待ち、とか何とかですかね?
それとも、記憶が薄れるのを待つとか?

 

 

追記:17年までのデータが公開されてたのに気付いてなかったので、当方の勘繰りでした。お詫び致します。

記事を書く10日ほど前に公開されており、エクセル形式とは思ってなかった為、調査不足でした。すみませんでした。

 

 

 

2011~14年の日本で子宮頸癌が多かった理由は何か?

今、必死で新型コロナワクチンの導入に向けて、日本国政府に大金を支払わせるよう、欧米企業が頑張っているらしい。


ロイター記事によれば、既に5億1200万回分の契約を結んだそうだ。
ファイザーアストラゼネカ、モデルナ、塩野義、等)

https://www.reuters.com/article/us-health-coronavirus-vaccine-japan/japan-eyeing-olympics-lines-up-half-billion-doses-of-covid-19-vaccine-idUSKBN25O0EW


「5億だぞ、5億!!」(半沢第1シーズンの江島副支店長風w)

日本国民に何遍ワクチンを打つ気なんだ?
全国民に4回以上も打つのか?全く無意味としか思えないが。


これは、まあおいておく。

本題は、日本の子宮頸ガンの罹患率が何故か増加した時期があったのはどうしてか、ということだ。
国立がんセンター 年齢階級別罹患率 人口10万人当たり)

 

※※9/12 16、17年の数字が公表されていたので、表に追加しました。
参考>https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html

 

 

   20~24  25~29  30~34  35~39  40~44(歳)

(年)
00   0.777   5.112    13.577   19.410   18.398

05  1.386   8.157   11.433  20.889   22.844

10  1.220   10.864    22.061  28.427   31.012

11  2.279   12.602    24.454  27.727   35.510

12  2.123   12.236    21.057  28.122   32.864

13  1.224   9.988    20.229  25.789   30.195

14  1.560   9.007    21.071  24.951   30.722

15  0.472   7.283    21.399    25.019    28.422

16  0.9    6.2    20.0   27.8   27.8

17  1.0    6.1    18.9   27.9   27.2



日本でのHPVワクチン開始は09年でしたよね?
ある程度の規模でHPVワクチン接種が本格的に開始されたのは10年頃からでしょう?


約700万人程度の女性が接種したらしい。その効果はどうだったのか?
目を引くのは、11~12年頃に子宮頸ガンの罹患率が何故か増加していたことである。検診の効果ですかね?


専門家がこの理由を探らないのはどうしてなのかな?
あなた方、気にならないの?(黒崎検査官風w)


日本で、接種者と非接種者のその後の違いを調べてないのかな?
やればいいのにねw


HPVワクチンを接種すると2度とHPVに感染しないとか思っている人もいるかもしれないが、そんなことはないですよ。
例えば90%以上の感染予防を達成したという根拠はないんですよ?

早い話が「部分的には防げるかもしれない」という程度です。

更には、ワクチン接種から5年後に感染防御水準がどうなのか、なんてのは、まともな数字が公表されてないんじゃないですか?
じゃあ10年後にはどうなのか、誰か知ってるの?w

エビデンスが!」って大上段から説教してくる連中に限って、そういう大事なエビデンスは提示してこないんですよ。

12歳で接種したとするでしょ?

10年後の22歳時点で、ヒトパピローマウイルス=HPVに感染しない、という保障はあるんですか?
それは、誰がしたんですか?

好発年齢はもっと先ですよ?
32歳とか42歳時点ではどうなのか?

本当にHPV感染は起こらない、と思ってるんですか?
更には、子宮頸癌の発生を「ワクチンで防げる」と主張できる根拠って何ですか?


仮に、ワクチン接種するとほんの少しだけHPV感染の確率が下がるのかもしれないとして、子宮頸ガンの発生が同じだけ減るかどうかは、誰にも分からないんじゃないですか?


他人には「根拠がないことは決して言うな」などと言う割に、ワクチン業界にとって儲け話になるとどういうわけか「何らの根拠もない」ことを大々的に主張してくるという謎w


日本だと45歳以下の層での子宮頸ガンの罹患率が欧米より低めなので、全国民にワクチン接種を義務化するメリットはかなり小さい。ましてや、発癌全部を防げるわけでもなく、どの程度の抑制効果があるのかは誰も知らないレベルなのだから、費用対効果面で見ても殆ど意義は乏しい。


やるなら、検診でよい。
検診の効果については、特段の否定的見解は出されてないのでしょう?w


過剰診断バカが反対してくる可能性はあるのかもしれないがwww

謎の諺『雄弁は銀、沈黙は金』問題

昨日あたりから、自民党の宣伝?か広報活動か何かで、本当はダーウィンが言ってない言説という話が盛り上がっているらしい。それに触発されたこともあり、自分も過去に気になっていたので少しネットで調べてみた(あくまで私個人の見解です)。


それがこの「雄弁は銀、沈黙は金」である。書いたのは07年9月だった

https://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9dcee2297efebc944ca4a69c13150229


元はデモステネスの「沈黙は金」がよく知られており、だが、ネット検索で上位の説明ではそれが本当かどうか謎で、むしろ「ガセではないか」とする意見が見られていた。

それを見て、当ブログでも「ガセらしい」と述べた模様。あまり詳しく調べたわけではないので、適当にそう書いてしまったのだな。



で、本日改めて探してみた所、非常に参考になるブログを発見

こちら>https://hyorohyoro.hatenadiary.org/entry/20061012/1160666016

トーマス・カーライル説ですね。英語では

『Speech is silvern, silence is golden.』

である、と。
一応wikipediaも見てみる>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%AB

『衣装哲学』(1833~34年?or 31年?)によれば、スイスで見たドイツ語の石碑の碑文とのこと。ブログの説明と合致してる。なるほど。

で、元のドイツ語というのは何か?

ドイツ語の単語で検索してみたら出てきたのがこちら

https://www.btn-muenzen.de/finanzmarkt/geld-im-volksmund/ausdruecke-fuer-geld/reden-ist-silber-schweigen-ist-gold

『Reden ist Silber, schweigen ist Gold』とある。

DeepLの翻訳のお陰で、随分と助かりました(笑)。ここでは、先のトーマス・カーライルの他、グスタフ・フライターグ、ヨハン・G・ヘルダーなどの19世紀頃の研究者たちの名前も挙がっている。

16世紀以降のラテン語文献での

"Narratio argentea, Silentium vero aureum est"

との記述を発見、ともある。随分と前からあったものであろう。

が、トーマス・カーライルが見たドイツ語碑文は何処からきたのか?

更にドイツ語で検索すると、デモステネスと繋ぐ本を発見!


https://books.google.co.jp/books?id=hYQOAAAAQAAJ&pg=PR2&lpg=PR2&dq=Historische+und+philologische+Vortr%C3%A4ge,&source=bl&ots=3bf1v80a3p&sig=ACfU3U1E8D2jCyQB9ZmX1PTjeh59xcrZ3w&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjkpd7KxpTqAhUqw4sBHVG3Bw8Q6AEwAXoECAkQAQ#v=onepage&q=Historische%20und%20philologische%20Vortr%C3%A4ge%2C&f=false

1848年に書かれたもので、ドイツ語のうえ字体が見慣れない活字で判読が難しかったが、名前が分かった。

Barthold Georg Niebuhr

である。wikipediaは日本語ですw

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AB


ニーブールの本は、1848年のものであるが、死後に発行されたもので、題名が

『Historische und philologische Vorträge,an der Universität zu Bonn gehalten』

です。DeepL訳では「ボン大学で開催された歴史的・言語学的講義」となります。

ニーブール教授は、ボン大学に1825年から所属し、本は29~30年の講義をまとめたものと思われます。つまり、「カーライルの碑文」本よりも以前の講義、ということです。

で、殆ど内容が分からないわけですが、p474にデモステネスの記述がありました(google先生、ありがとう)。

それによると、

『Reden ist Silber und Schweigen Gold zu seiner Zeit.』

です。(詳しくはドイツ語が分かるかたがじっくり本を研究して下さいませ、お願い致します)

当初探してたドイツ語文は、

"Reden ist Silber, schweigen ist Gold"

でしたよね?

けれども、ニーブール教授の講義では微妙に違っていたことが分かります。「zu seiner Zeit」

DeepL訳では「語りは銀、沈黙は時の金」と出ますが、ちょっと違うような気も(素人のくせにゴメンナサイ)。


諺風に言うなら、「雄弁は銀だが、沈黙は時には金」とかですか?


ニーブール先生は、デモステネスの項を設けているほど詳しい方なのでは?
そして、古代ローマ時代の文献研究が熱心だったものと思われ、デモステネスがその諺(オリエント由来らしい?)を知ってた(言ってた)と紹介していたものと思います。


なので、「デモステネスが言ってた」説はニーブール先生によれば妥当かもしれない、とも思いますが、どうなんでしょうか。

スイスの碑文に何故ドイツ語の諺が刻まれたのかは、分からないです。それがどこで、今どうなっているのかな?
ドイツ語圏で、19世紀頃にどうしてこんなに広まっていたのかも不明ですね。


意外な発見があったことは確かです。ドイツ語の活字も読み難すぎだしw

新型コロナウイルスに世界が怯える必要はない

新型コロナウイルスSARS-CoV-2)の恐怖が世界中を覆っている。未知のウイルスに怯えるのも理解できる。人類がこれまで経験したことのない正体不明の感染症が蔓延すれば、大勢の人々が死ぬかもしれないという恐怖と不安があるのは分かる。

しかし、ここで強く言っておこう(医者ではない私個人の見解であるが、ビル・ゲイツも医療従事者ではないがNEJMへの寄稿を許されているので、ご容赦願おう)。

この病気(COVID-19)は、決して人類が立ち向かえない相手ではない。過去の厳しい感染症を経験してきた人類の叡智があれば、不必要に怖れる相手ではない。感染を怖れたパニック騒動は、幻想に恐怖しているのと同じである。


その理由を述べていこう。

まず、中国武漢で発生した謎の感染症、これが恐怖のイメージを先行させた。発生初期に武漢の病院に殺到した人々の数が多過ぎて、病院での能力の限界を超えてしまったのだ。

その結果、何が起こったか?
すし詰め状態になった患者たちは、感染者(重症、軽症)も他の風邪やインフルエンザやその他疾病の人も、ごちゃ混ぜとなってしまったのである。大勢の患者が殺到した結果起こったことは、院内感染だっただろう。

それが重症化へと繋がり、ARDSや重度の肺炎などの割合が増加したものと推測される。一方、武漢のような状況に陥らなかった中国の他の地域では、重症例も死亡例もずっと少なく済んでいる。
そこでの死亡率は、概ねインフルエンザ程度であり、過去の経験から飛びぬけて外れているものではない。


日本でも多くの患者が発見されている。特に世界に知られているのは、ダイヤモンド・プリンセス号の集団感染であろう。

約3700人の乗船者から700人以上の陽性者が出ている。乗客約2200人の多くは60歳以上の高齢者が多かったこともあり、一般的に感染に弱いので陽性率が高くなるのはインフルエンザや一般的な肺炎でも同様である。

2月29日現在、非常に悼ましいことに、クルーズ船の乗客から6人の死亡者が出た。いずれも80代の高齢患者が多い。楽しいはずの旅行だったのに、このような結末は悲しいが、他の多くの感染者たちはまだ生存しているというのが救いである。

数字にするのは躊躇われるが、6/3700は0.0016%だ(※注;これはうっかり間違えました。失礼。正しくは『6/700』であり、0.86%でした。読み替えて下さいませ)。季節性インフルエンザや肺炎の同年齢層での致死率から見れば、少なく済んでいる。人命が重いことは承知しているが、敢えて数字で比較をするしかないのが現実だ。

その上で申し上げれば、新型コロナウイルスはこれまでのインフルエンザと比して、恐怖の致死的疾患などではない、ということである。今、私が確実に言えることは「クルーズ船で死亡した割合は6/3700」であるという事実だ。


日本で最も感染者の判明している地域は、北海道である。参考までに、中国人観光客が感染をもたらしたということなら、最も感染確率が高いのは東京都である。年間では、北海道を訪問する中国人の数の約9倍が訪れている(大阪・兵庫も同じ水準である)。


その北海道での判明例では、奇妙な感染例が多発している。
例えば、

 

2/21 中富良野(人口約5000人) 小学生2人
   千歳市(人口約96000人) 40代検疫官 1人 

 /22 根室市(人口約27000人) 50代 1名

 /23 釧路市(人口約17万人) 30代 1名
   愛別町(人口約2900人) スクールバス運転手70代 1名

 

いずれも、距離的に遠い、各接触者の関係性が皆無、という例である。

しかもその感染者の周囲には、1週間以内に一人の発病者が発見されていない、という事実である。


これは何を意味するのか?
仮に、海外から来た人たちの誰かが感染源だったとして、何故このような人口の乏しい地域の「たった一人」のみに感染させたのであろうか?

もしも、本当に強力な感染力のあるウイルスなら、もっと大勢の患者が多発しただろう。ノロウイルスの感染例のように、同時多発的に患者が一斉に観察されるはずだ。しかし、北海道での感染例は、こうした通常の感染症では極めて珍しい発病パターンを示しているのだ。

ここから推測されるのは、新型コロナウイルスが割と普遍的に存在してても不思議ではなく、発病割合は乏しく、感染力はインフルエンザよりも弱いのではないか、ということだ。

また、発見された例では、ARDSの発見例がかなり乏しい。気管内挿管や人工呼吸器の必要な患者の割合はそう多くないのである。無症候の患者もいる。少なくとも09年に騒動となったH1N1新型インフルエンザと比して、死亡率がとりわけ高いという事実は見当たらない。

 

かつて、イギリスには偉大なる先人がいた。
百数十年前のロンドンでコレラの集団感染が多発し、ロンドンっ子を恐怖のどん底に陥れた時、知恵と科学と洞察と根気によって発生源や感染経路を解明した医師、ジョン・スノーである。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Snow

スノー医師は、牧師のヘンリー・ホワイトヘッドの協力を得て、ブロード・ストリートで大量発生したコレラ患者の発生を分析し、感染経路を突きとめたのだった。患者の発生パターンを地図にして、当時の病気原因の有力説だった瘴気(Miasmata)などを否定したわけだ。


これと同じく、北海道の感染地図を詳細に作製して欲しい。世界中の科学者が分析すれば、今の新型コロナウイルス、COVID-19の解明に役立つだろう。もし日本政府が情報を開示しない等と拒否するなら、徹底糾弾してもらいたい。
(北海道は距離的に遠く離れている場所が多いので、スケールを揃えてね)


現在の北海道や日本全体での「感染防御対策」というのは、おそよ科学的とは呼べないものだ。単なる政治的パフォーマンス合戦に終始している。
少なくとも、スノー医師やホワイトヘッド牧師よりも科学的能力に乏しく、解明努力や技術も思考方法も格段に劣っているだろう。感染防御には、ほぼ何らの効果も得られない手法を選択しており、世界に向けたポーズの一つとして「全国一斉休校」や「北海道の土・日曜日の外出自粛」に踏み切ったものだ。


これは、昔の疫病は「神の与えた罰」とか「瘴気が原因だ」という言説が社会で優勢の時、その対策を講じるに等しいものだ。人類は退化してしまったのか?

世界中のコロナウイルスへの過剰な反応を見ても同じであり、スノー医師を排出した国でさえ、非科学的な主張が優先されているのである。

毎年数万人規模で死亡患者が出ている一般的なインフルエンザ、結核や麻疹の感染例が判明する度に、全国の学校を一斉休校したり外出禁止にするのか?

或いは、東京ディズニーランドや大阪のユニバーサルスタジオ・ジャパンを何週間も休園にするのか?そうすれば、インフルエンザや結核や麻疹患者が発生しないとでも思っているのか?

今のコロナ騒動は、そう考えている人しかいないのではないかと思えるくらいの無駄で無意味なパニックなのである。


これを助長する人々も存在する。
例えばビル・ゲイツである。

https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2003762

大切なことも言っているが、無用な危機感の煽り立てがある。疫学的と言うが、データは都合よく数字を合わせて出してきたものだ。
また、COVID-19での1%の致死リスクを危機的と呼ぶなら、米国内で年間223900人が感染し、そのうち12800人が死亡するというC.difficileの5.7%の致死リスクの方がはるかに超危機的だろう。

ごく普通のStaphylococcus aureusでも同じだ。米国では薬剤耐性菌の出現で、年間約32.6万人が感染し、うち10600人が死亡するので、致死リスクは約3.3%ということになる。こうした「よく知られた細菌」の致死リスクを全く無視して、今のCOVID-19の場合だけを取り上げ、しかも地域的特性の区別もすることなく出してきた数字にどういう科学的意義があると言うのか?


今回のCOVID-19による死者が出ていい、などとは言っていない。だが、通常の風邪の後、肺炎に移行し重篤化したり死亡する患者が出るのは、これまでにも数多く経験してきたことだ。

日本では、肺炎による死亡が年間約12万人にのぼるのだ。高齢化が進んでいることもあるが、呼吸器感染症で致命的となることは珍しくはないのである。これを考えても、米国に帰国したクルーズ船客に複数の陽性判明者がいたが、その後に陽性例同乗者が続出したとか、死亡が相次いだという報告は1例も挙がってきていない。クルーズ船の乗客の多くが70歳以上だったのに、ですよ?


COVID-19の防御の為に、過剰な措置を選択するのは合理性に欠ける。都市封鎖や移動制限や学校や会社の一斉休業などは、対策として意義に乏しい。よくある普通のコロナウイルスと同じく、季節性インフルエンザと同等の対処で十分である。

現に、09年5月頃、新型インフルエンザの感染拡大を大袈裟に騒いだが、その後の発病例からすると初期の過剰な防衛策はほぼ無意味だったことが明らかだ。インフルエンザで死亡する人がいたことは悼ましい。それはその通りだし、いつかは死なずに済むようになるような医薬品開発ができてば、それにこしたことはない。

だが日本で、今年の2カ月間にインフルエンザで死亡した患者数は約2000人を超えているというのが現実なのだ。
少なくとも、このインフルエンザよりも、新型コロナウイルスによる死亡被害は圧倒的に少ない。これこそが、事実である。よく分からない名称のウイルスに怯える前に、既存のありふれた疾患をこそ、怖れるべきなのだ。


その死亡リスクを殊更強調して、社会活動の全般を停止していては、この社会を維持することは不可能である。

無意味な恐怖を喧伝することを早急に止めるべきだ。

事実を正確に伝えるべし。

 

北海道の感染マップと感染系統樹を作製してみるがよい。
そこに、COVID-19を解明する鍵があるはずだ。

 

 

追記:

このウイルスのワクチン開発や医薬品開発の為に、有用と思った文献を挙げておきたい。

1)The Proximal Origin of SARS-CoV-2

http://virological.org/t/the-proximal-origin-of-sars-cov-2/398


2)Furin cleavage of the SARS coronavirus spike glycoprotein enhances cell–cell fusion but does not affect virion entry
   Kathryn E.FollisJoanneYorkJack H.Nunberg Virology350,( 2006)

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0042682206000900?via%3Dihub



3)Protease-mediated enhancement of severe acute respiratory syndrome coronavirus infection.

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16116101



4)Cleavage of the SARS coronavirus spike glycoprotein by airway proteases enhances virus entry into human bronchial epithelial cells in vitro.

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19924243