怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

企業のプライシングとデフレ

ちょっと扇情的なタイトルを意図したものだとは思うけれど。

コレ>http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-f7a9.html

元のペーパーをよく読んでみるとよいかと。

ハマちゃん氏にちょいと言うとすれば、金融政策とか貨幣的現象面から説明をする人たちに対抗する見解(もしくは否定する為のペーパー)ということではない、と留意する必要があるだろう。


元はこちら>http://www.jcer.or.jp/report/discussion/detail4430.html

このペーパーの要点は、『名目価格の据え置きが「規範化」してしまった可能性』というのがデフレ要因としてあるのではないか、ということだ。

仮説として、
『わが国の企業は、国内市場が伸び悩むなかで、新製品の名目(表面)価格を引き上げるのが困難となった。消費者側も厳しい所得環境の下で、企業が値上げしないことを当然視するようになり、名目価格据置が暗黙のうちに「規範化」してしまった。』

このことは、拙ブログでも考えたことがある。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8dc8ae436af93af4d85305fc9fa92b98

(再掲)

原材料輸入が2ドルで、製品価格が3ドルだと差額は1ドルで変わりない、というのはそうでしょうね。これは①の価格転嫁をせずに、販売価格を変えない、という前提条件が必要です。過去の日本企業の多くはそういうことをやってきたわけです。原材料輸入価格が上がってきたにも関わらず販売価格を据え置き、労働者の賃金や下請けへの支払をカットして、コストを無理矢理吸収してきた、ということです。そういう努力をしようとしてしまうのが日本なのだ、ということでしょう。なので、輸入物価の伸びと輸出物価の伸びを比べると、輸出物価というのは、あまり上がっていないことがあったわけです。
しかし、07年以降くらいになると、さすがにコスト吸収にも限界が訪れた為、製品価格の値上げに踏み切っていったわけです。これが、世界的「インフレ懸念」ということを招来し、結果として利上げなどが今年に入ってからも行われてしまった遠因かもしれません。価格転嫁を回避することが、日本ではデフレを助長していたという面があったでしょう。欧米企業であると、ブランド品の値上げや輸入高級車値上げに度々踏み切ってきましたので、為替上昇があれば値上げするというのは当たり前に行われてきたのです。


ただ、規範化するとか、当然視するようになる、といったことは、ある程度時間的に経過して後、経験則が固まってくるというようなことが必要になると思います。馴れ、というようなことです。過去の経験から、「きっと値段は変わらないだろう」とか「いずれ値下がりするだろう」という経験則のようなものが形成され、その推測が未来においてもあてはまる、ということが幾度か繰り返されるというような学習効果が必要になるかもしれない、ということです。

それは、デフレ初期にはすぐには現れてこないのではないか、ということがあるかと思います。拙ブログで考えた、「長期増強」のようなことがあるのではないか、ということです。デフレへの親和性が高まる(=規範化が形成されてしまっている)と、その状態から脱出するのはより困難になる、という意味です。



参考:

06年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/691c45d6370d4a7352c7e64fc3bbf952

それでも全体的に価格が下落するということは、そういう硬直性を打ち破ってなお、下落圧力が存在するとしか思えないのですね。そこに影響を与えたのが企業の期待形成であり、「不確実性」の存在によって、「値下げ」が有力な戦略であると信じ込まれたか、強力なインセンティブとなっていたのではないのかな、と推測するのです。価格設定側である企業に形成された、バブルの熱狂と反対の、まことに弱気の「spirit」を刺激する(それか、ある種の”セットポイント”の下方移動のような)sticky information が彼らに充満していたのではないのかな、と。元々企業の期待形成というのは、家計に比べてbackward-looking 優位でもありますしね(笑)。


10年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ad583946afe62d8bf94b2a489ee840b2

09年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/174cd0d1f272a8a8570768ad3f191d36

06年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a13841da6d10d69c6cfab66bd7e85ee5



話を戻すが、90年代から2000年代初頭くらいだと、恐らくこうした「規範化」のようなことは意識されていなかったはずではないかと思う。もしも、そうした統一的企業行動に原因があるのだ、ということが理解されていたのなら、それに対策を立てればよかったからだ。当時の議論としては、あまりそうした論点はなかったのではないか?

そちらよりも、金融機能、特に銀行の不良債権がどう影響するか、というのが殆どの話だったのでは。不良債権が原因だという説が非常に強力で、これを受け入れていたが為に金融政策―それに伴う貨幣的現象に対する理解は殆ど得られていなかったのでは。本当は、もっと金融政策に目を向けておくべきであったのに、不良債権処理という銀行機能の問題として片付けられだのだ。それは、「金融自由化」「日銀法改正」などといった「政治的問題」が主流だった為に意図的に行われたものである可能性が高いと考えている。


02年頃までの時期では、規範化はまだ形成されていなかったのではないかと思う。
2相性のデフレと書いたことがある。

06年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3778617d9320c2532d1178713d754588


大手企業といえども、倒産を恐れた為に生き残りに必死になったであろう。
小売では、例えばダイエー、そごう、マイカルなどが次々と破綻に至ったのだから。こういう事態が外資の世界的小売企業なんかの意向が働いた結果だ、とまでは言わない(笑)までも、破綻に追い込まれたことは確かだ。代わって登場したのは、外資系小売が大挙して参入したわけだが(因みに、その後も外資系大手小売は苦戦を続けているが。自らの失敗を参入障壁と呼ぶのが彼らの習性である。最強の俺たちが間違うはずがない、悪いのは日本市場というオマエらだ、と)。


生き残りに必死となった企業のとる戦略は、大抵の場合「値下げ」だ。
弱小の下請け企業が、大手の受注をしようとする時、ライバルに勝つ為に行う戦略がやはり「値下げしても受注」しようとするのだよ。これは、公共事業の下請けなんかもそうだろう。利益なんか出せないくらいの低価格であろうとも、生き延びる為には「値下げ」せざるを得ない、ということなのだ。
こういう「生存の為に値下げ」戦略が続いたのが、主に前半だった、ということかな。

けれど、次第に体力のないライバルは淘汰されてゆくわけだ(実際倒産件数が多かったのは03年頃までだ。不良債権処理という強制力が働いた結果、切られた、とも言えるかも)。
ライバルが減ったのなら、値下げを強烈に行わなくても生き残れるわけだが、値上げできる環境ではないので上げられない、と。

その一方で、不動産、建設業、リース業など倒産の相次いだ部門以外の分野にも、次第に「聖域なき改革」精神が浸透したのだ。どの分野にも、新たな「こんな無駄がある!」という発掘調査が行われていった。だから、競争激化のあまり及んでなかった業界にも、同じような「淘汰の波」が訪れたわけだ。そういうのは、価格下落を続ける原動力になったであろう。規制緩和などがそれを後押しした。タクシーなんかは、代表例かもしれない。


こうして、社会全体で無駄を発見しようと必死になり、残された聖域が「公務員」ということになっているわけだな。


デフレの原因というのは、一言では片付けられない、いくつもの要因があって、しかも時期によってその要因のウェイトは異なるだろう、というのが、当方の感じ方である。単一の理由をもって、通期的に説明しようというのは結構難しいと受け止めている。

ただ、一つだけ当方の確信を持って言えることは、「賃金低下」だ。これは、全期間を通じて(本当は07年頃はちょっと上がり気味だが)、ほぼ言える要因だ。

そして、日銀の政策は、どの期間においても重要であったし、主要な対デフレ効果を有していたはずだ、というのも言えると思う。

人口減少になったから云々なんてのは、90年代終わり頃には、論点の端にさえ上ってなかった。人口減少になって、労働人口が減るから企業が値上げできなくなり、値下げするんだ、なんて理屈は、後知恵的に出された言い訳に過ぎない、ということだ。企業の立場で考えてない人間の言う妄言だ、ということである。


話があちこちに飛んでしまっているが、日本におけるデフレは、単純な話ではない。
けれど、よく考えてみることは大事だ。有効な対策を考える上でも、そうだ。論敵を否定する為に論理を考えたり、ペーパーを持ち出したりするのは不毛でもある。