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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

国民新党に見る”主君殺し”という下剋上

誕生時からして無理のあったように思われた政党が、国民新党であった。日本郵政を再び国営にしようということ自体が、時代に逆行するものでしかなかった。国民の支持及び答えは、既に明らかにされた後なのであり、国営に戻せということなど多くは望まない政策であった。

郵政問題は別として、今回の騒動は「増税を支持」して与党内に残るか否か、といいうものが発端であった。亀井静香代表は生来の生真面目さゆえか、理念は理念、約束は約束ということで、増税反対を表明し、連立離脱も示唆した。

これに対し、8名中6名の亀井一派以外の議員は連立維持を唱えて増税支持とし、あろうことか亀井代表の解任を申し立てて、手続きを行ったようである。亀井代表を殿と見立てると、亀井代表は家来に討たれた、ということである。解任はまさにそういうことだ。

野田政権に通じて「城を明け渡し」、自分たちの立場を維持すること、その見返りとして野田政権の増税案に賛成すること、この邪魔をする城主であるところの主君の首を獲って差し出した、というところであろう。後釜には、現閣僚である自見大臣が座ることとなった、と。
城主”亀井代表”と城代家老”亀井政調会長”は最後まで抵抗したけれども、家来たちに討たれた、といったようなところであろう。

これを見れば分かる通りに、国民新党の家来たち(解任したとされる6名)には、義はない。大義名分が全く立たない、城主殺し、である。簡単にいえば、現在の与党という立場、閣僚という身分、これらの手厚く遇される現状の居心地よさを選んだのだ、ということである。己の保身の為には、裏切りであっても、殿の首を迷わず獲った、ということである。あさましい。


亀井代表は、筋を通そうとした。
当方が支持すると言ったのは、それ故、である。
亀井代表が増税案を支持できない、と表明したのは、国民への―勿論有権者への―約束を反故にすることになってしまうからである。これこそが、筋が通っている話なのであり、義がある。亀井代表は己の利益で増税反対を述べたわけではない。党人としての、責務があるゆえ、であろう。楽な道を選ぶのであれば、裏切り者たち同様に増税案に賛成としてもよかったであろう。しかし、彼にとって、それは許し難い選択であった。彼の政治哲学に反するものだった。だから断った。

真の政治家たる人物は、明らかだ。亀井静香である。
彼よりも年下の学者連中とか、特に経済系の学者・エコノミスト・評論家などには、彼を軽んじて侮っているふしが見受けられる(テレビなどであからさまな小馬鹿にしたような態度を取っている)が、そうした小賢しい連中なんかよりもずっと評価できる人物である。大衆から見た時、リーダーに求めるのは単なる賢さではない。その人間が、信ずるに値する人物かどうか、である。その人が言うのなら、信じることができる、と感じられるかどうかだ。馬鹿にした態度を取っていた連中の方こそが、愚かさを露呈していたことに気付いていないのである。


大義なきは、主君殺しを決行した残党どもである。
いっときの政治ゲームでは勝った気になっているかもしれないが、それは大敗北の序曲となるであろう。

背信行為を背信として受け止めない、そういう政治家たちが政治を担うことで、政治不信が増幅されたのである。
今の日本の政治は、「筋が通って」いない。
増税しかし、原発しかり。
だから、反発される。あるのは、目先の子供騙し、である。そういう誤魔化しが見透かされて、なお一層不信を招いているのである。まさに自業自得。


亀井静香代表を叩き出した代償は、高くつくことになった。
自己保身と自己利益を重んじる輩には、それが判らないのである。