怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

続・反省なき愚劣国家、日本

(つづきです)

ヘンな喩えですが、ご容赦を。

◇過去の事故:
甲は、寸胴鍋でお湯をわかし、ポットに移し替えて使っていた。ある時、お湯が沸騰し過ぎて鍋の蓋が飛び、湯が溢れた。これに慌てた甲は、急いでポットに移そうとしたところ、動揺していた為にお湯を大量にこぼして大火傷を負った。

◇新安全基準:
①蓋の上に”重り”を貼り重くする(重りは3カ月以内に用意)
②蓋に蒸気の抜け”穴”を開ける(1年以内に開ける)
③ポットに移す際には”鍋つかみ”を使用(1年後までに用意)
④ポットに移す際には”漏斗”を使用
⑤寸胴鍋を”ヤカン”形状に作り替える

◇工程表:
①”重り”は3カ月以内に用意
②1年以内に”穴”を開ける
③1年以内に”鍋つかみ”を用意
④2年以内に”漏斗”を用意
⑤計画を1年前倒しし、3年以内に”ヤカン”にする


さて、これら計画が出されたとして、甲のポットにお湯を入れる作業は、従前と比べて安全になったのか?(笑)
①〜⑤の何も揃ってないのに、お湯を入れる作業を再開しよう、と言っているのだ。いずれ揃うであろう、だから安全だ、と。

枝野大臣をはじめ、野田政権がやろうとしているのは、これら工程表と新基準を見たから安全は確認された、だから「作業を再開しよう」と主張するのと同じ、ということである。これが愚かでないとすれば、世の中には愚かということはあるだろうか?


しかも、新基準に挙げられた対策が、装備(設備)に関するものだけしかないのだ。装備を増やして、設備を色々と付ければ安全になると妄信している。
だからダメだ、と言っているのである。
いずれヤカンにする、というのも、多額の費用がかかってしまうなら、他の方法を考えたっていいはずなのだ。いくつかの方法を考えて、費用対効果の比較を行えばいいだけである。それもしない。

そもそも運用が変わっていない、ということの意味が判っていない。
お湯を沸かす前に、鍋のどの辺まで水を入れるといいか(上限はどこに設定するか)、といったことの検討が必要なのに、そういう発想が全くない。お湯が溢れる前の状態はどんな様子かを叩き込み、先に火を止める技術を習得する、といったことでもない。火にかけて何分くらいで危険状態になるか調べる、といったこともない。万が一、お湯が溢れたらどのように対処するか、のテストで合格した者だけがお湯番を担う、ということもない。お湯が溢れてガスコンロが故障したら、弁償責任を全額負う、といったこともない。

つまり、愚かな野田内閣の出した新安全基準とやらは、上記例で言う重り、穴、鍋つかみ、漏斗、ヤカンといったモノとしての設備関係だけであり、実際にお湯を沸かす人の能力は何ら変わらないし、ルールの変更もないわけである。大火傷を負った甲がこれまでと同様なのであれば、甲はまた失敗をするのではないか、という発想が根本的に欠けているのである。お湯を沸かす、ポットに移し替える、という仕組みそのものの検討という発想も、勿論欠如しているのだ。

工程表が明らかにしているのは、いつまでに用意できるか、といったことだけである。これが安全性を向上させたりはしないことくらい、誰でも分かるはずなのに、これをもって「概ね再稼働基準に適合している」と宣言した枝野大臣は、それが判らないらしい。工程表達成前の状態というのが「寸胴鍋でこれまで通りに湯を沸かしポットに入れる」という、以前と寸分違わぬ作業である、ということに気付けない程の愚か者なのだろうか、という話である。
せめて、これまでより安全になるのはヤカンになってからだ、ということくらいは気付くべきである。


もっと言うと、ヤカンで沸かして移し替えるのではなく、最初からポットで沸かす方式にすればいいじゃないか、と、普通の人たちならば考えるであろう(現実に電気ポットは存在しているので)。そういう根本的な変更というものを考慮すべきであるのに、これまで通りの作業方法を守り抜こうとしているのが、野田政権なのだ。

運用を変えるのは、設備を増強するということだけを意味しない。
原発事故発生時の、対処・対策手順を強化して、これを公表するといったこともできてないでしょう?
現地入りする人間とか、指揮する人間とか、そういうのをどのように強化するか、支援体制はどう作るのか、といったことを、本当にやったのですかね?
どうせ、誰もやってない、仕組みもできてない、ということなんじゃないの?
これは装備(設備)の問題などではないんだよ。原発事故に対処する専門部隊ないし専門部署なりを養成し、いつでも派遣できるチームを作るとか、そういう対策を本当に立てたのか?まさに、運用する人間、対処する人間、そういうのを強化しなければ、いくら設備だの機械だのを揃えたって、いざとなったら役には立たないんだよ。そういうことが、心の底から判ってないんだ、と言っているのである。

現実に、対策設備があったとしても、現場でそれが使いこなせるかどうか、というのが最も重要なのだよ。戦争だって同じだ。
福島原発事故では、うすらバカだけ雁首並べていたって、全く役に立たなかっただろう?政府の対策本部がいかに機能しなかったか、ということが、本当に反省されたか?今の対策のどこに生かされたのか?
実務に長けた人間たちを養成し、いざとなったら戦力を一気に投入できる、そういう緊急対処体制を構築するというのが、最も大事なんだぞ。誰が何をやり、何を確認し、手順はどうなっているか、そういうのを基礎から作り上げることが、一番必要なんだぞ。
寸胴鍋やヤカンの突沸はどういう状態になったら発生するか、発生の兆候はどんな音や蒸気の出方なのか、水蒸気がどのくらい熱いものなのか、鍋やコンロの構造はどうなのか、火が消える機構はどうなってるか、どう操作すれば消えるか、そういうのを「体に叩き込む」ことこそが、安全向上に寄与するんだぞ。設備を変えることではない。


そもそも安全だ、対処に自信がある、というのであれば、原発事故の賠償責任は完全に電力会社が負うものとして、自己責任でやればいい。地域住民にも、万が一の賠償はないものと思って、自分たちの責任においてやればいいのだ。事故が起こってから、国に助けてくれ、と求める発想がおかしい。事故賠償は、全てを事業者と地域で負い、事業者が破綻するのでリスクを負えないというのであれば、経済原則として成り立たないのだから、やるべきではないのだ。
再稼働したいなら、その前に賠償法を書き換えて、事業者が自分たちの責任において全ての賠償義務を負うものとせよ。それくらい、当然応じられるはずであろう。だって、安全だと言うのだから。引き受けられない程のリスクであるのなら、最初から手出しすべきではない、ということだ。
元から日本には不向きなエネルギー源である、と考えることも必要だということである。