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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

禅僧?プリースト?〜新世代の大いなる可能性

以前に、別な記事で書くと言っていました(栗原裕一郎氏の古市憲寿氏に対する指摘に疑問あり )が、約束を果たしていなかったので、思うところを書いてみたいと思います。



ぼくが最近の若者たちを見て、よく感心させられることがある。
少なくとも自分が同じ年齢の時、彼らよりも立派な人間だったか、マシな生き方をしていたか、そう考えてみると、到底彼らには及ばないことに気付くのである。


勿論、世の中全体からの批判は色々とある。仕事ができないとか、自ら考えて行動できないとか、コミュニケーション能力がないとか、所謂「ゆとり」で学力が落ちたとか、陰湿な「ネットいじめ」があるとか、欠点を見つければ、それは色んなことが出てくるだろうと思う。だって、その世代全体だから、少数だけ存在していてもあたかも同学年の生徒全部がそうであるかのような言われ方をされてしまう。


だが、世代の特徴や欠点のようなものを言うなら、年長者たちにだって色々と問題点があったとしか思えないわけである。以前にも、そういう記事を書いたことがある。
コレ>今の高齢世代は平成世代よりも恐らく『愚か』で『粗暴』


そういう感触を得ていることもあって、若者世代がそんなに他の世代に比べて悪いとは思えないのである。


昔と違って、ギャンブルにハマったりは、あまりない。
パチンコ狂いになってパチンコ業界に貢いだりして、それに付随的に消費者金融での借金を重ねる、というような愚かさはかなり少ない。競輪、競馬、競艇も、ほとんどやらない。だから、昔のような強盗・殺人といった凶悪犯の動機となってきた「ギャンブルに狂って、金に困り、やった」というような事件は結構減っていると思う。特に、20代以下の若年世代では、かなり少ないと予想している。


酒もあまり飲まない。
アル中みたいになって、昼間っからヘベレケになってる「おっさん」みたいなのは昔見たことがあったが、近年ではほぼ見なくなった。若年世代での酔っ払いを見かけた経験は、かなり少ない。会社の上司からの飲み会のお誘いを断る、とか、そういうことを問題視されたりすることもあるが、あまりに非礼・無礼ということでもなければ、大問題ということもないのでは。付き合いとか、話すというのは、そんなに飲まなくても可能ですから(笑)。タバコも吸わない人が圧倒的に多い。


結婚できないというのが問題にはなっているけれど、風俗とかにハマるというのも少ないようで、童貞さんは少なくなかったりするらしい。貞操を守る若年層は結構多い、ということだろうと思う。草食系だのと揶揄されたりもするが、別に派手な異性交遊がある必要性はないから(笑)。


つまり、最近の若い人たちは、昔に比較すると、どちらかと言えば「禁欲的生活」を実践できている、ということである。無闇に高額な商品を欲しがったりせず、車やバイクも我慢でき、賭け事もやらず酒もあまり飲まず、贅沢というのをそれほど欲してはいない。ネットや萌え系だのアニメだの鉄道マニアだのといった趣味で、それなりに満足できてしまう。

まさに、僧侶の如き欲望の制御ができてしまうのではないか、ということだ。実際そこまで抑制的ではないだろうけれども、ぼくが過去に見てきたどんな時代の人よりも禁欲的状態に耐えられる世代だろうと思う。
だから、若年層はルールを守る。ほぼ守る。破るのは、高齢層。


例えば、ぼくが学生時代なんかだと、授業をサボって雀荘に向かったり(スマン)喫茶店に入り浸っていたり、どこかに遊びに出掛けたり、といったことがあった。しかし、ぼくよりも下の世代になるにつれ、大学の授業は「出欠管理」が厳しくなって代返(誰かが友達の返事を変わって行う仕組みのこと)がきかないという事情もあるかもしれないが、授業をサボる人はほぼ見ないようだ。真面目である。


そういうわけで、日本の若者たちは段々と聖人君子に近づいているのではないか、と本当に感じるわけである。酒もタバコもギャンブルも女もやらない、と。

真面目に学校に通い、授業もサボらず、きちんと過ごす。たとえ学力が低いぞ、とか言われようとも、真面目に学校に行くのだから、それは評価してあげるべきでは。


しかも、若年世代はどちらかといえば、経済的成功を極端には追い求めてはいないように思えるのだ。昔の人たちみたいに、カネ、カネとがっついてはいないように見えるわけである。ここが何より、マジに聖人君子ですか?って思うところ。


ひとサマに迷惑をかけてはいけない、他人を不幸に陥れてまで自分が幸せになろうとは思わない、そういう意識が年長世代に比べると浸透しているように思えるのである。だから、大金持ち目指して、阿漕なことをやったり、不正をやってみたり、というのを昔の人たちみたいには選ばない。
寧ろ、世の中の人たちの為になりたい、とか、友達の役に立ちたい、とか、名誉を求めるタイプの人の方が多いんじゃないかな、と思うのだ。まさに「ワンピース」的価値観が受け入れられていて、それがしっかりと浸透している、ということである。これが、うわべだけのキレイごとなら、所詮は漫画や物語の世界の出来事でしかない、ということで片付けられるだろう。

昔だと「世間は違う」とか「そんなキレイごとを言っても通じない」とか、裏表があることは間違いのない大前提として語られてきた。人間なんて、腹黒いんだから、口では綺麗事を言っても、どうせ現実は違うんだ、と。理想と現実は違って当然なんだ、と。本音と建前があるんだ、それが大人であり社会なのだと、それが当たり前だった。


しかし、最近の「超進化」世代は、必ずしもそうではないのではないか、と思うようになった(比較的若い聖人君子みたいな人たちを超進化世代と呼びたい)。彼らの多くは、大金持ちになれることよりも、誰かの役に立てればそれで満足できる、という方を選ぶのではないかと。昔なら、金よりも大事なものがある、なんて言おうものなら、歯が浮くとか言われただろう。だが、今の若い人たちは、真剣にそう言うのである。大真面目に、そう言ってのけるのである。その真摯さは、ある意味新鮮な驚きだった。ぼく自身が、子供くさいことを言い、正義を信じるだのといったロマンみたいなことを言うタイプの人間だから、妙に共感を覚えてしまうのかもしれない。


それから、思考も論理的な人の割合は他の世代よりも多いと思える。NHKなんかの討論番組なんかでも、一般の若者が発言する内容は論理的思考型が多くて、高齢世代になるほど「過去の栄光」的な成功体験に基づく理念っぽい意見が多いように思う。

ネット上で見かける若年層の意見の方が、ヘンな新聞社説(恐らく高齢の論説委員なんかが書いているものだろう)なんかに比べて論理的で優れたものが少なくない。若い軍オタ(笑)なんかでも、かなり論理的思考ができているように思う。


金銭的成功は高望しているようには思えないが、一方では素直に才能を伸ばそうと地道に努力するタイプの人が多くて、目標が縮こまることもなくしっかりと「世界」を見据えたものは多い。スポーツの世界なんかで、日本選手が活躍するようになって、世界に通用する選手が増えたのは若年世代のお陰だとしか思えない。競技人口の多い、例えばサッカーとか水泳で五輪での活躍は記憶に新しい。プロスポーツ選手で、世界レベルに到達して海外で活躍しているのは、若い世代である。スポーツに限らず、音楽とかバレエといった芸術分野でもそうである。


勿論、それを支える指導者、先人、諸先輩方の経験のお陰、というのはある。それでも、今の若い世代が世界一といった高い目標を目指して頑張っている姿は、昔の日本ではあまり見られなかったものだ。かつては、臆するようなところがあったけれども、今は、本気で勝負しに行っている。


だから、若い世代が他の年長世代に比べて劣っている、なんてことは、到底考えられないということだ。より好ましいことは多い。


論理的に考え、禁欲的で静かに行動する。
高い志と目標を持ち、他人の為に貢献することで自己の存在意義を見いだせる。
金銭よりも名誉を重んじ、礼儀正しく規律を守る。
勝てばいい、結果さえ良ければどんな手段でもいい、という傾向は少なく、欺くような裏技は非難されこそすれ称賛されない。
思いのほか素直である。


これで、何が悪いのか、と思う。
ホント、昔に比べたら、聖人君子の域に達するよ(笑)。世界から日本への評価が高まったのは、こうした若年世代のお陰があったからだとぼくは思っている。


素直というのは長所でもあるが、場合によっては従順過ぎて何でも言う通りにしてしまうとか、指示待ちになってしまって自ら行動することが躊躇われる、というようなことが出てきてしまうこともあるだろう。

誰かが言ってた、短所は長所、と思えばいい。
昔の野獣みたいな、欲望に振り回されていた人たちと比べると、今の若い世代は僧侶なみの人格を備えていると言える。まあ、戦後の生存そのものの厳しい時代だったら、野獣化してしまうのも無理もないかもしれない。若い世代の暴走族がほぼ絶滅したというのも、傾向が顕れているんじゃないかと思う。過激な暴力よりも、もっと別なことにエネルギーを費やすようになった、ということだ。


超進化世代の人たちには、これまでにはない可能性が秘められていると、ぼくは思っている。彼らが活躍すれば、世界の尊敬を集められる国になれると、ぼくは信じている。だから、若者よ、思い切ってやれ。君達は、正しい。
何より、邪悪に敢然と立ち向かえる資質を持っている。以前にはなかった、聖者の如き価値観を持つ人たちは多くいる。


そういう君達に、未来を賭けたい。
ぼくはそう思う。