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川内原発差止め仮処分に関する福岡高裁宮崎支部の決定について

先頃、熊本を中心とした地震頻発により、被害を受けられた方々にお見舞い申し上げます。日本は、本当に自然災害と共に生きる国、ということなのでしょう。亡くなられた方がおられ、非常に悲しく、また痛ましく思います。


今月上旬に、川内原発の運転差し止め仮処分を巡る高裁決定が出された。それは、運転を停止させる仮処分は認めない、というものだった。裁判所の判断としては、事業者側が言ってることをほぼ丸のみして、「国の定める基準は正しいの一点張り」というに等しいものだった。


これは、差止め訴訟で敗北した福井地裁決定(15年12月)とほぼ同等の理屈を並べたもの考えてよいであろう。国が基準を作っており、その基準に合格したのだから、原発は安全だ、と強弁しているに過ぎないということ。例えば、基準地震動について、過去6年に5件の基準値超過があったという指摘に対してでさえ、実際にはそうだけど「原子力規制委員会が策定した基準に不合理はない」と何の根拠もなく裁判官個人が断定しているに過ぎないのである。宮城沖地震新潟中越地震東日本大震災という地震が極めて稀であって、地域特性に過ぎないのだ、と。
まるで「この患者特有の、特異体質に過ぎない、だから、仕方がない」という言い逃れをしている医療裁判での主張のようである。イマドキ、こんな言い分は殆ど通用しないだろう。特異体質が、「本当に特異体質であること」の立論ができてなければ認められるわけがない。


裁判官の屁理屈から言えば、「九州では起こらない」と自分勝手に決め付けただけのものに過ぎない、ということだ。


今回の熊本周辺で発生した地震について検討されることと思うが、事前にこの規模の地震が想定できたかどうかが問題となろう。九州電力の理屈から言えば、当然に想定範囲内であると断言できることだろう。想定できないのであれば、想定できてなくとも対応できるような体制をとるのが合理的だろう。いやそれとも、九電も裁判官も、「熊本が特異な地形なり地質だったに過ぎない、鹿児島では起こるわけがない」と言い切るだけの理由を有していることだろう。それを示せばいいのである。熊本では起こったが、鹿児島では起こらない、という具体的な理由を科学的に説明できよう。


仮処分の決定について、今回の熊本の地震がなかったとしても、追及できる可能性のある論点を指摘しておきたい。


1)川内原発を営業運転しなければならない理由とは何か?

最も重要かつシンプルな点がこれだ。何故運転をするのか?
当然、九電は民間企業であるから、営利的行動をとるということになるだろう。九電の理由を具体的に挙げさせるべきである。営利目的とは、要するに経済的利益を追求すること、である。

そこで、九電が川内原発に基準合格を得る為に実施した、追加的コストを正確に出させるべきである。また廃炉予定までの実稼働年数を正確に出させ、検査以外の営業運転時間を出すよう求める。運転により増加する使用済み核燃料・放射性廃棄物の処理コストや維持管理コストも当然算出させる。


これら費用と同じ額を、別な(例えばガス等火力や再生可能エネルギー発電所を設置した場合のコストを比較して、発電量の差を見るのである。例えば、1000億円で火力を設置して同じ稼働年数を経過した場合の、発電コストの差を比べるのだ。それとも、他電力会社からの電力買入した場合と比べるのである。

この時、経済的利益を目的とするのが九電の民間企業としての役割である、ということなら、具体的に経済的利益の大きさの比較を行えばよいのだ。もしも、川内原発の再稼働の為にかかった費用の方が割高であって、更に、九電がいう安全レベルではなく、より大きな基準地震動に対応できる安全レベルにする場合の追加コストが大きい場合には、九電の経済的利益を優先するという点で、民間企業の役割に反していることになるのであるから、そもそも自己矛盾でしかない。

別な電力会社から購入した方が安上がりであれば、再稼働をする必然性という点において、株主利益に反し電力事業者としての本義に反するのは明らかである。

医薬品の副作用は、他に替え難い手段であり、利益享受側が圧倒的に多いので、ある限度においてリスクが許容されているのである。裁判官が言う、リスクを受け入れるのはやむを得ない、というのは本来そういうことであって、他に代替可能とか、敢えて損失を受け入れるべき理由がないなら、その薬剤である必然性がない。「どうしてもその薬剤でなければならない」という理由がなければ、薬剤として認可すべきとは言えない。また薬剤のリスク受け入れというのは、そもそも各個人に使用の選択権が与えられているものであって、「リスクを承諾した上で使用する」かどうかは、個人が決定できるものだ。リスクを承諾できない人は、使用しなければよい、という原則が守られているのだ。飛行機搭乗でも、鉄道利用でも同様である。稀に事故が発生するが、そのリスクを承諾できない人は利用しなければよい、という原則になっている。原発は、そうなっていない。裁判官はリスクの受け入れの考え方が、根底からして不適切である。


2)運転から30年以上経過した原子力施設の劣化問題

九電も裁判所も、原発で過酷事故が発生しても、多重防御で大丈夫だと言う。ならば、実際に過酷事故が発生した際に、現実にどうやって対処するかを答えるべきである。
主蒸気管が大破断したら、どうやって冷却するのか?
その場合、冷却水はどうやって圧力容器を冷やすか?

さて、ここで問題がある。
東電が福島原発事故後に「1号機のICを手動停止せねばならなかった理由」を覚えておいでだろうか?

マニュアルによれば、55℃/h以下の冷却速度を守らねばならなかったから、だったであろう?
現実に事故が発生したら、計測機器も満足に読めないとか、パラメータが分からないとか言っていたでしょう?
それと同等の状況が発生するかもしれない、ということだ。そして、冷却手段がある限り、手探りだろうとも冷却する、ということになってしまうわけである。


では、冷やせる機能が残存していれば、それで問題がないのか?
ここで先の1号機停止の理由というのが関係してくるのである。とても冷えた水をかけてしまうと、場合によっては金属製の部材が破損するかもしれない、という問題が発生するのである。

圧力容器に冷却水が大量にかけられた時、水は金属部分に当然かかるわけである。その金属は、本当に破壊されないのか?圧力容器本体は、すぐには温度が下がらないだろう。しかし、貫通する配管類はどうか?バルブ周辺の接合部はどうなのだろうか?バルブを動かす部分は?

ここに、「熱衝撃」の問題が潜んでいるはず、ということだ。福島原発BWRと違い、加圧水型PWRは圧力容器の圧力がずっと高く(約2倍以上)設定されており、熱衝撃により金属部分に亀裂を生じたりすると、それが時間経過と共に強圧が加わることで拡大しうる、ということが考えられる。
しかも、長期稼働原子炉の場合、中性子線照射の影響などにより照射脆化も生じること、加圧と減圧(炉停止)のサイクルによる疲労蓄積、腐食、等の問題を生じることは回避できない。


従って、たとえ冷却手段は残されており機能する、と主張できたとしても、これが安全性を担保することには直結せず、かえって冷却手段を用いることが加圧熱衝撃による破壊を惹起しうる、ということである。

すなわち、
・30年以上運転期間を経過し
・劣化している材質が必ず存在し
・事故時の限定的な冷却手段しか用いることができない

としても、どのような場合であろうと、
ア)熱衝撃による破壊を免れる、
イ)たとえ圧力容器から漏洩しても何ら問題なく処理できる、
といういずれかの立論が必要となる。


ア)の場合だと、例えば
・各部の細かい温度が必ず計測できるので、一定以上の温度低下にならないように冷却をコントロールできる
・どのような温度低下が生じても、各部材の強度、耐久性が上回っているので、熱衝撃で破壊されることはない(=実証実験が存在する)
のいずれかを証明できればよい。


冷却方法をコントロールできる、というのは、福島原発の場合だと「ICを手動停止する」とか、「動いていたHPCIを手動で止めたら他が動かせなくなってしまった」というようなことである。冷却を止めたり動かしたり、というのが自由自在に可能だ、というようなことですかね。
一口に「冷却速度を調節する」と言うが、簡単なことではないし、多重過酷事故の最中に55℃/h以下の基準を守って冷却する、というのが、至難の技であり芸当というか職人芸的能力発揮を必要とされることを裁判官は無知ゆえに知らないのだろう。温度計全部を本当に管理でき、各部温度変化も基準値内に収める、ということが事故時に本当にできるのか、という問題なのだ。できる、と主張するなら、その証拠を見せてみよ、と。そういうこと。


ア)の後者の場合であれば、30年以上の照射年限を経過した材料で、現実の稼働原発と同等条件下で、見境なく冷却してみたとしても、配管やバルブやバルブ周囲の可動部に用いられてる金属材なりが、熱衝撃により破壊されず耐え得る、という実証をすることだ。30年稼働(照射)という条件が、クリアできるかな?圧力容器本体は同等材料が入れられており、定期的に検査されていると思うが、本体が破壊されずとも、他部材に冷却水が大量にぶっかけられて、加圧された状況下でも本当に耐え得るものなのかどうか、その証明は本当にできるのか?



イ)であるが、BWRよりもずっと高温強圧に加圧された圧力容器に接続するどこかに破壊が生じたとしても、プラントの健全性は保たれる、と。格納容器のどこにも脆性は存在しない、と。作業員は何ら問題なく、事故対応が継続できる、と。そういう証明ができることでしょう。
仮に今後20年以上の稼働期間を見込んでいるなら、運転開始から50年以上経過したプラントの安全性について評価する方法を持っていることでしょう。それを示せばよいのだ。


それから、フランスの原発について、ニュースを少し。

ドイツが隣国フランスの原発を廃止するよう求めていた件である。

http://www.afpbb.com/articles/-/3079347


フェッセンハイム原発を廃止せよ、と他国民がフランスに対し要求するという、日本では考えられないような事態ということである。当然、自国の政策なのだから、フランスとしては突っぱねたいところだが、何せ関係の深い両国ということもあり、何とフランスが受け入れを表明した、とのことである。

http://www.afpbb.com/articles/-/3079469


また、スイス・ジュネーブはやはり隣国フランスのビュジェ原発について、『故意に住民を命の危険にさらし、水を汚染している」として提訴』(AFP記事より)となっている。
日本人の提訴が国際的に見て特別変わっているわけではない、ということである。


裁判官を米国に研修に派遣する、という話があったと思うが、そもそも派遣以前に国際的な事情なり知識を欠如した裁判官たちをどうにかするべきなのだ。
いやいや、国際感覚云々以前の、日本のごく普通の常識的なことを、ごく普通に思考できる判事となれるよう、教育なり研修なりをするべきなのである。