怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

FTPLは2000年代前半のオワコンだったんじゃないの?

何かよく分からんが、ネット界隈で再び「FTPLの亡霊」が復活してきたようだ。経済学の話題も、ゾンビと同じで(笑)、時折周期的に復活するネタというのがあるのだろうか?


日本が2000年初頭のデフレに陥った際、こうした話題というのは、大体1度は議論の俎上に上っていたのではなかったか。
当の日銀さんだって、網羅的に様々な論点を調べてきたわけで、当方でも一度は目にしてきたものであった。


例えばこんなの>http://www.imes.boj.or.jp/japanese/kinyu/2002/yoyaku/kk21-3-2.html


日本のデフレというのは、かなり珍しい現象であり、理由とか原因について整合的説明というのは、これといった決定版が存在してこなかったわけです。02年なら、まだまだ「不良債権説」「銀行機能がダメだ説」が横行してたので、どうしようもなかったんですがね。


昨今でも(といっても数年前だが)、例えば佐藤審議委員の講演などでも触れられていました。

https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2014/data/ko140319d1.pdf


日本においては、財政政策の拡張というのがデフレに効果がないとされてきたのは、リカーディアン、Non−R論争だけではなく、実証面でかなり疑わしいというか、日本のデフレを解決するのには「更なる財政拡張はFTPLからすると効果がるとは言えない」的に説明されていたはずでは?


拙ブログでも、日本のデフレの謎について取り組んだ06年初め頃には、参考に見たことはありますが、財政政策による物価水準の決定を頭から信じたというものではなかったように思います。


06年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/9df0d7389cc8e81550399ce67c8baa39



その数年後に、日銀の若手研究者?のペーパーでも取り上げたことがあります。「Expected Burden View」の話でしたね。

10年8月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e8394844963d7edcde10376abb8b3196


(再掲)

本ペーパーの最後の脚注にもありましたけれど、rが低下するなら、物価Pを上げるにはSを小さくするということになるわけで、そうすると財政出動をするべき、ということになるんじゃないですかね。
それとも、Bを大きくするということなら、やはり「国債買入」をやって国債価格を上げる(利回り低下)ことを正当化できる、ってことを意味するように思うんですけど、どうなんでしょうか。

そういう「Pを上げる」手段を考えるのは、いけないことなのでしょうか?(笑)

=======


日本の長期データが揃ったのですから、「財政余剰」がどの程度物価水準の決定、すなわちデフレに効果があったのか、これを検討してみたらよいのではないでしょうか。FTPLの理論としての有用性というか、どの程度使えそうなのか、日本にはうまく当てはまるのか、そういったことを研究すればよいのでは?


ただ、日本の債務残高がうなぎ上りに累積してきたことを考えると、原因と結果の繋がりとかがよく分かりませんね。財政債務が物価を決めるのか、物価のせいで財政赤字の累積が悪化したのか、みたいなことです。


少なくとも日本においては、名目成長率の著しい低空飛行が起こったので、対GDP比で財政赤字が悪化したものと思いますので、デフレ期は割引率が普通の国の経済とは全く違っており、符号の逆転かと思うくらいに違うんじゃなかろうか、みたいな話ですね。そうじゃなけりゃ、かつての常識的に言うなら、発散してますよね、という水準かと思えるので。


FTPLに家計と国があるが、企業とは違うので、日本では企業行動が大きく影響していたものと思いますね。FTPLの面白いと思える部分は、家計の行動が物価水準を決めるという点であり、日本人なら節約志向&将来不安で貯蓄増、みたいな防御的行動なのではないかと。


それは、金融企業も、非金融企業でも、という意味です。そして、根本的には、賃金抑制、ここに大きな理由がある、というのが、10年前からの拙ブログの見解であり、その行動変更をもたらしたものは、やはり倒産や貸し剥がし等の97年以降の大変化だったのだろう、と。


理論としては、まあ、そういうのもあるのか、という程度であって、画期的な見方を提供してくれるものではないように思え、当方の中では所謂「オワコン」の類かな、と思っています(笑、すまん、研究者でもないのに、偉そうな判決を下して。悪気はないです)。