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経済学理論バカへの挑戦状〜その5・比較優位バカ

当方も経済学は苦手なので、正確なことが分からないかもしれないが。ただ、現実に即さない「出鱈目」みたいな部分は、判るに決まっている(笑)。

俄か経済学者気取りの連中が、これほど出現してくるのが不思議だな。200年余の知の遺産が証明している、とか、ああいうのと一緒だわ。次々湧いてくるのが、本当に謎だな。


http://eiji.txt-nifty.com/diary/2011/11/post-ca4f.html


そんなに言うなら、次のような状態をどう考えるか?


①作家編

あなたがどんなに会計経理能力とスケジュール管理能力に長けているとしても、経理係と秘書を雇うのが正しい。比較優位な「作家としての創作活動」に専念する方が、経済学的には有利だからだ。
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こういう妄言に簡単に引っ掛かる連中がいるようで、笑える。この3人が果たして食べていけるのか?と疑問に思わないのだろうか。
とても暇な作家の場合、経理係と秘書がいらないことくらいは、即座にお分かりだろう。これが成り立つのは、「常に作家に仕事が入る場合」、すなわち需要がある場合のみだ。供給(=もの書きとして書き続ける)した分が売れる時だけ、他のスタッフを雇うことが可能となる。それらコストを払えるだけの収入(売上、産出)がなければ、全部自分でやった方がお得に決まっている。
こんな簡単なことが、どうして気付かないのだろうか?
ああ、余程売れっ子作家なのか>●石どの


②田舎の商店編

あなたがどんなにレジ打ちと商品管理・伝票計算能力が高くても、レジ打ち係と伝票整理計算係を雇うのが正しい。比較優位な「経営者兼店長」業務に専念する方が経済学的には有利だからだ。
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もう説明はいらないだろうと思うが、ごくありきたりの売上しかない商店では、オーナーが全てを一人でやるのは普通だ。レジ打ち係なんか雇っても、人件費が払えない。需要(売上)がないなら、無駄ということだ。

作家編も同じだが、要するに学問的知識が、知識として「身についてない」としか思えないのだ。
経済学の理屈というのは、かなり「実地に根差した」理屈であるという印象を抱いてきたが、理論を振りかざす経済学理論バカたちほど「よく理解していない」んじゃないか、とも思う。

ああそうか、理解していないからこそ、間違ったことを言い、誤って適用していても気付かない、といったことが度々起こるということなのかもしれないな。


人気のケーキ屋さんがあって、ケーキ職人が一人で店を切り盛りしていると、どうしても手を取られてしまって、ケーキが1日100個しか作れないとしよう。お客さんは、売り切れで帰ってしまうとか、レジに長い列になりがちなので捌き切れずに帰ってしまう、という状況であると、本来は「需要があった」のに、ケーキ職人が一人でやっているが為に、物理的に限界があるということになるわけだ。
これを解消するのに、レジ係や補助スタッフを雇うと、以前には100個が限界だったものが、ケーキ職人はケーキ作りに専念できるので200個に増やせ、これまで販売機会を逃してきたお客さんにも売れるようになり、レジ待ちの時間短縮もできて回転がよくなり多くの客を捌けるのと満足度が上がり、ということで、「好転する」というのが本来的趣旨ではないか。ケーキ職人が「どんなにレジ打ち能力が高くても、ケーキを作った方がいい」、という当たり前の話である。


逆に、失業するケースを考えてみよう。
②の例の如く、店長、レジ係、伝票整理計算係の3名が在籍しているとする。店長の業務処理・作業能力を10とする。
レジ係は1日当たり2の作業量、伝票整理計算係は1の作業量だとする。
この店は、需要が少ない=客数と売上が少ない為、レジと伝票整理計算の仕事以外の作業量が5しかない。そうすると、店長の能力を5投入しても、残り5でレジと伝票の合計3もこなせる、ということになる。
従って、店長が一人で全てこなす方がコストは減らせる。個人商店なんかの理屈というのは、そうなっている、という、ごく当たり前の結論に至る(笑)。

需要に対する資源配分を適切に行えば、こうなるというだけ。勿論、店長の能力2が余るわけだから、ここに無駄が発生することになってしまうが、個人をもっと細かく分割できないから仕方がないのである。3名の体制は、「過剰な供給力」というだけ。

そして、劣位な労働力2名は失業に至る。
応分の需要がなければ、分業体制が必ずしも有効ではない、ということだ。