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「埋蔵電源」は頓珍漢な話なのか?

非常に興味深いコメントを頂いたので、記事でお答えしたいと思います。
原発堅持という信念が電力需給対策を怠らせた - いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」
以下に、TEMPEST氏のコメントを再掲します。

最後の一文には同意ですが、「原発無くても大丈夫」というのはいささか楽観しすぎかと。自家発電設備等の「埋蔵電源」があるからというのは、とんちんかんな話ですな。需要に対して「焼け石に水」な供給力の蓄電池をどれだけ増やすのか? 費用は?
火力フル稼働、水力は余力を持たせる為にフル稼働はできない。
自家発電設備はほとんどのが停電中の電灯点灯や消火設備稼働目的、それに「非常用電源」の為電力網に接続不可、そうでないものでも工場内供給といった節電目的で売電する余裕は無い。これらの設備は定期的にメンテナンスが必要。突然タービンブレードが破断すれば、代わりのものが出来上がって来るまで数ヵ月稼働停止。
これらの事を踏まえて「原発無くても大丈夫」ですか?

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一見すると、もっともらしいご意見かなと思えますが、若干の理解不足があるかと思いますので、順に説明したいと思います。

①自家発電の意味

まず理解し易いように、食糧で例示しましょう。
毎日米を食べます。米は生産農家が独占で供給しています。一日当たり100の供給であるとします。消費者は市場で米100を購入し、10人が食べているものとします。
 状態1: 《供給》 農家 米100 → 《需要》 消費者10人で消費
ところが、生産農家の供給力が低下するとします。
このままでは、10人全員が食べることができなくなってしまいますね。そこで、2人だけ、自分の家の土地で米を作り、自分で食べることにしました。自家消費ということで市場の需要側から抜けることとなります。すると、これまで通りに全員が食べることが可能になる、ということです。
 状態2: 《供給》 農家 米80 → 《需要》 消費者8人で消費

ここで、自作している2人は自分の生産した米は市場に供給できません。生産効率が専業の生産農家に比べて悪く、米の販売価格が上がったとすると、需給が安定している時に供給しても購入者は現れないから、生産する意味があまりないということになるわけです。けれど、自家消費というのは、需給逼迫時には市場の需要サイドから抜けてくれることによって、全体の需給バランスを改善する効果がある、ということなのです。従って、需給逼迫時には、自家消費の2名には、市場購入者の8名が払う金額が割当られるべき、ということになるはずです。

しかも、この自家消費米は膨大にあるわけではないから、1年間をずっと通して食べられるわけではない、という意見があっても不思議ではありません。それが事実であるとしても、年間の自家消費をして欲しい期間は、せいぜいが3日〜10日程度、需給が厳しい期間だったと言われる年でも30日程度でしかないわけです。つまり、自家消費で需要サイドから抜けてほしい、というのは僅か3/365〜10/365だけ、ということです。これが無理な水準であるとは考えにくい、ということです。

同様に、関西電力管内で2700万kWを超えていたのは、数十時間〜数百時間という水準でした。仮に一日当たり3時間で30日間超過していたとしても、年間では90時間/8760時間、たったの1%に過ぎません。

従って、自家発電の主要な意味合いとしては、ブレーカーを切ってもらって自家発電を稼働してもらうと、需要量から「消える」効果が高い、ということです。他の需要者に売れ、ということを必ずしも求めているわけではないということです。電源網に接続できてなくても、十分有効でしょう。

参考までに、例えば六本木ヒルズでは6360kW×6基の自家発電機があるそうで、これを稼働してもらうだけで効果が大きいということです。大規模マンションやタワーマンションなどの非常用電源をエレベータ用の分だけ使用してもらえたとしても、ピークカット効果は得られます。稼働時間は2〜4時間程度でも十分なのですから。

◎自家発電の具体例
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/it/column/20120319/562549/?P=2
http://www.sinfo-t.jp/NewsRelease/new_79.htm

それに、消防法や建築基準法関係の非常用電源だけではなく、こうした商用電源ダウンに備えた一般電源として利用可能な自家発電設備は存在するわけで、これを数日間のうちの、しかも一日当たり4時間程度稼働してもらうだけでもいい、ということです。関電は稼働をお願いする御礼として、燃料費と運転の手間賃などを上乗せして払えばいいだけです。その費用はピーク時利用料から払えばいい、ということです。メンテナンスはピークカットの為に稼働してもらうか否かには無関係に必要なはずです。


②他に埋蔵電力は存在しないか

これは情報がない為に不明です。が、公開で募集をするとよく分かるかもしれません。

なぜ他の発電設備の存在が推測されるかというと、IPPの入札状況から、ということになるかと思います。
96〜99年度に電力会社が募集した666万kWに対するIPPの応札が『2834.1万kW』あった(うち落札分は約738万kWに過ぎない)、ということだからです。データが古いので、現状でも同じ供給力が残存しているとも言えませんが、実際に募集してみないとどのくらいの応札があるか、分からないでしょう。
少なくとも、60kHz管内での事業者を募集し、電源を増やすことを試みるべきです。これまでのような規制をせず、自由化を促進した方がよいはずでしょう。

関電の電力需給を見ると分かりますが、圧倒的大多数を占める一般家庭などの電力計は09年で約820万kW(電灯+低圧電力など)ありますが、ここの自由化はされていません。電力消費量の約3分の2は、特定規模需要家です。何故か分かりませんが、契約件数は不明です。そして、この特定規模需要家の消費部分だけが「自由化」対象となってきた、ということです。関電の供給力が2800万kWとすると、小口や一般家庭で820万kWですから、残りの約2000万kW部分は「特定規模需要家」ということで、7割に達するわけです。この部分は本当に自由化されていますか?
50kW以上の需要家で使う電力が供給力の7割を占めるということなので、ここの節電効果が最も重要ということのはずです。短期でよいので、或いは一定以上の高圧でなくてもよいので、発電可能な売電者を募集してみるとよく分かるのではないか、ということです。


③蓄電池の効果

前項の売電自由化にも繋がりますが、高圧の送電網に接続するとなると売電者のハードルが高くなるかもしれません。風力発電の事業者なんかもそうかもしれません。そういう発電者にも参加を比較的容易にすると思われるのが、蓄電池の設備ではないかと思います。設置のコストにもよりますが、原発を何基も増やすとか、プルサーマルにするとか、再処理費用とか、そういう投資をせずとも可能です。

例えばこんなの>http://www.hitachihyoron.com/2007/03/pdf/03b03.pdf

平準化に役立つようですよ。大型ビル、工場、病院などに設置してもよいですし、地域ごとにいくつか設置するといったことでもよいかと思います。1箇所10億円として、100箇所で1000億円です。原発の設備投資、処理費用や地元対策費の合計よりも安く済むのでは。4万kW分にしかならないのは残念ですが。

家庭用蓄電池だと、商品によって異なりますが、1.5kWで3時間使用、という水準で40万円かかるとしますか(大雑把な価格で考えています)。これを30万セットで45万kW分のピークカットが可能です。費用は1200億円かかりますね。小口の820万kWの電力のうち45万kWがカットされるなら、約5.5%の節電効果を生みます。小型蓄電池との価格比較でみると、大型施設の方がやけに高いことになるので、10億円もかからないのかもしれません。

小規模であっても蓄電池があれば、風力や太陽光といった発電でも効果が得られやすい、ということがあるかと思います。長期コストでは、原発増設やプルサーマルよりも安く済むかもしれません。原発廃炉関連費用の積立金など、原発関連費用は10兆円規模で取られている、というのを忘れるべきではありません。


④火力の突然の停止を危惧するなら、原発の突然の停止も危惧すべき

どういうわけか、火力が故障して停止したらどうするんだ、という脅しをしている方々が多いわけですが、原発も同じではないかと何故考えないのでしょう?
2000年以降、原発の計画外停止がどのくらいあったか、調べてみたらいかがでしょう。原発の設備稼働率はどの程度なのか、見たらよいのではありませんか?

電源を多様化すべき、というのは、総論として同意できるでしょう。
ただ、原発を選ぶかどうかは、別な検討が必要です。再生可能エネルギーを優先することはできる、と思います。1次エネルギーに占める原子力の割合は15%に満たない水準である、ということを忘れるべきではないと思います。

ガスや燃料電池太陽光パネルや風力や水力といった、代替手段が存在するのなら、そちらを考慮してもよいのではないか、ということです。

それから、電力が減ると社会が云々とか経済がどうなるとか言う方々もいると思いますが、関西電力管内では既に20%の最大電力量減少が起こったわけです。03年頃の3300万kWという需要量から、2011年の需要量であるところの2700万kW弱まで大幅に減少した、ということです。09年水準でも大差ないでしょうね。

関電管内では、既に減ったんですよ。20%削減は基準年を変えれば、達成されたということですわ。
それで、社会は壊れましたか?
血反吐を吐くが如き節電努力を、関電管内の人々がみんな積み重ねてきましたか?
そうではなかったのなら、まだまだ可能性はたくさんある、ということではないですか?


江川紹子氏やTEMPEST氏などは、まず自分で数字を見るべきですね。それくらい調べてから意見をぶつけてみては。飯田氏の意見だとか、「埋蔵電源」が頓珍漢なのかどうかの判断は、どうやってできるのかが不思議です。共通するのは、実際の数字を知っているor見ているようには見えない、ということです。データも見ず、数字を把握せずに、自分の感覚のみで利害を語っているようにしか見えない、ということです。議論の前提からして、崩れているということですね。


因みに、拙ブログで「原発無くても大丈夫」という意見を書いたことはないはずですが、どこら辺からそういう主張を読み取られたのかが気になるところです。
無くても大丈夫、という表現を選択することは、恐らくないと自分では思いますね。

共通するのは、検討するのに必要な資料やデータが電力会社から出されない、正確な数字を答えない、ということがあると考えようがない、ということです。原発維持・推進派でさえ、数字で説得出来ていない、反対派の反論をデータで否定できているようには見えないですね。データを出さないのは、双方にとって不幸であり、建設的な議論にもならない、ということです。