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大阪地検特捜部事件は何故起こったか

小沢事件を見てゆくと、大阪地検特捜部事件が微妙なタイミングで絡んでいることが感じ取れるのだ。この事件は、偶然発覚したのではない、と思われるのである。それは、検察・法務内部の闘争の狭間で生み出された事件だったのではないか、ということである。

検察では、以前から証拠や調書の誤魔化しなどがほぼ常態化していたであろうことは窺える。組織的な病気だ。そういう体質だ、ということである。ただ、これが発覚することは稀であり、刑事事件にまで発展するというのも、非常に珍しいということだ。検察は、田代検事の事件の如く、お咎めなし、ということを好き勝手に選べるのだから。田代検事の捏造を「不起訴」にするという形で処理することも可能だ、ということである。

だが、大阪地検特捜部の事件では、上司までもが逮捕されたわけだ。これは極めて異例の措置、ということが言えよう。どうして、そうなったのか?
ここに謎があるのだ。


恐らく小沢の事件では、大きく2つの流れが争っていた可能性がある。
一つは、何としても(強制)起訴までもって行こう、という名付けて「暴走組」だ。こちらの勢力は東京第五検察審査会の議決を利用して強制起訴まで持ち込んだわけだ。もう一つは、「申立3号」の流れを維持していた者たちではないか、と想像する。簡単に言うと、検察の手を汚すことに賛成できない勢力、ということではないか、と。これを便宜的に「申立3号組」と呼ぶことにする。


    暴走組        大阪地検       申立3号組

2/4  不起訴決定
2/12  審査申立10号 
2/23                        不起訴決定
4/27  第五検審議決
5/21  不起訴決定
7/8                        第一検審議決
9/14  第五検審議決
9/21            前田検事逮捕
9/30                        不起訴決定
10/1           特捜部上司2名逮捕
10/4  第五検審議決公表


大阪地検特捜部の証拠改竄が逮捕まで進んだか、だ。改竄した事実は、村木氏の1月時点の公判で明らかになっていたはずだ。朝日新聞が9月21日にスクープだと大袈裟に言うほどのものではなかったろう。

ところが、あの日を境に大阪地検特捜部の改竄事件は怒濤の如く、突き進んでいったわけだ。事件を演出したのは、どの勢力だったか不明である。

流れの中で気になるのは、2回目の東京第五検察審査会の議決公表が、大阪の特捜部事件逮捕後だった、ということだ。どちらの勢力が利用したのか不明であるが、ある種の「見せしめ」的に逮捕されたかのように見える、ということである。
特に、申立3号組の方で議決を受けた東京地検が「不起訴」を決めた直後に、議決が公表されていたのが、ただの偶然なのかという話だ。


暴走組は、常に先手を打っている。
不起訴決定の報道と審査申立が先んじているのが分かるはずだ(にも関わらず、申立10号、だが)。鳩山由紀夫の事件に便乗したかのように見えるわけだ。コバンザメのように喰いついている。前日(4/26)に鳩山事件の議決公表で、翌日小沢事件、と。
この後、日米共同声明の具体的交渉が進められ、5/28日米共同声明発表、6/2鳩山総理辞意表明+小沢幹事長辞任と追い込めた、ということだ。

申立3号組の方は、菅内閣発足後の「政治的影響」が比較的少ない時期(7月)に議決が出されていた。これは割と、普通の対応と見えるわけである。


この時点で、小沢の幹事長退任まで行けたのだから、所期の目標は達成できていたであろうと思われるのだが、小沢勢力が依然として民主党内で燻っていることに不満を持っていたのであろうか。何せ代表選に再登場してきたわけで、「やはり起訴まで持っていかねば、いつ復活するかわからない」と危惧を持っていたのかもしれない。
暴走組は、小沢の政治生命を完全に絶つところまで追い込もうと決意を固めたのであろう。これまで常に先手をとってきた暴走組は、別系統の「申立3号組」の動向を見守っていた。


そして、大阪地検特捜部の現役検事逮捕劇。
これは、別の見方があり得る。
一つは、検察への催促、脅し、ということになるかも。
どうしても小沢起訴を「検察の手」でやれ、と。やらねば検察攻撃も辞さず、ということかな?マスコミを使ってでも、決断させてやるぞ、と。
けれども、前田検事の身柄を素早く隠して、幕引きを図り、検察の手を汚すわけにはいかない、という2月頃の決断をそのまま延長し、不起訴決定。これを見た暴走組は、遡って議決を9/14に出していたことにして、10/4に議決公表へと踏み切った、と。検察自身がやらないなら、何が何でも強制起訴にしてやるぞ、と。


もう一つの見方は、身内同士の斬り合い?、ということになるのかも。
14日議決で21日に議決公表へと突き進もうとしていた暴走組の動向をキャッチした勢力が、東京の暴走組の動きを強引に抑え込む為に前田検事を挙げた。見せしめとする為だ。もしやったら、特捜部検事と云えども、身柄をとるぞ、と。
そして、申立3号組は30日に小沢の不起訴を発表。ここで終わらせろ、ということにしたかったのでは。しかし、一回目の第五検審での「弱味」を特定マスコミに握られていた実行グループは、もう止まることができず、やむなく強行突破を図ることにしてしまった。やれ、と言われていたから、やるしかなかった、と。
そうして、特捜部部長と副部長逮捕まで行ったのに、動き出した謀略を止める術がなく10月4日の議決公表へと至ってしまった。検察は生き恥を忍んで身内斬りまでやって謀略に抵抗したものの、検察不信の頂点と、お粗末で杜撰な謀略がバレるというダブルパンチの結果だけが残ってしまった、と。


検察幹部連中にしても、2010年1月初旬時点での方針を途中で変更したのかもしれないから。秘書逮捕に踏み切ったのは、本丸の小沢を獲るつもりで着手していたであろうから、ということだ。その方針は政治的なものから端を発していたことはほぼ間違いないだろうから、だ。
けれども、検察の裏を嗅ぎつけられたことに恐れを抱いた上層部は、決断できなくなった、謀略の片棒を担いで完全に手を染めることを拒否したということでは。これは、暴走組からすると「煮え切らない態度」に変わった、と見えるはず。それが、暴走組と3号申立組の2系統に分かれた理由ではないかな、ということだ。


当方の脳内妄想では、こういったシナリオが思い浮かぶが、いずれにせよ、検察不祥事は明らかになった、ということだ。


元々は、平均年齢の足し算・割り算という非常に単純なミスから、議決に注意を向けさせたのだ。当方がおやっと思ったのは、あれからだ。

お陰で、奴らの手口というものが分かり易くなった。


ここまで検察の信頼が地に堕ちた以上、今更東京地検特捜部検事の連中を始末してみたところでどうにもならん、何ら益なし、ということで、報告書捏造検事は大した処分も受けずお茶を濁して終わりにするそうだ。石川議員のパソコンはウイルス感染で改竄の証拠を消し去られたりしたわけで。前田検事よりも、はるかに悪質なのは東京地検特捜部の方としか思えないわけだが。

ある意味哀れなのは、生贄にされた前田検事と大阪地検特捜部の2名の上司だな。改竄は悪だ。これは、前田が悪い。断罪されても当然だ。しかし、利用されたのは不運で、助かった東京地検特捜部の連中は「ラッキー」と嘯いているに違いない、ということだな。