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朝霞公務員宿舎の判断すらできない野田総理に原発判断は無理

今日、野田総理が国民に原発を動かすことを訴えるノダそうだ。
そのことに何の意味があるのか、当方には全く理解できない。

こうしたいと言うことは誰にでもできるが、その判断が妥当かどうか、多数派の賛同が得られるかどうか、といったことは全く別問題だ。


仮に、野田総理が「原発が必要だから動かす」と言ったとしよう。この考えは妥当なのだろうか、という判定はどのように行うだろう?

普通は、その意見を言っている人の権威の具合とか、レベルとか、信頼性とか、そういうのを見て判断するわけです。具体的に詳しい専門知識を持ってない人の方が圧倒的に多いので(みんなが個々に専門知識を持つと専門家はいらなくなる)、そういう専門家の意見を信じることが多いわけですね。

じゃあ、野田総理の判断、これで原発の稼働か否かを決められる、ということになると、何を根拠に判断すればいいのだろうか?それは、野田総理という人間が、信頼に値するか、正しく判断できている人間かどうか、そういうのを見て判断するよりない、ということになる。野田総理は、原発の専門家でも何でもない、ただの凡人だからだ。


では、具体例として、朝霞公務員宿舎の件を比較対照として見てみよう。

①事前(予備評価)→09年事業仕分けに選定
  評価者:民主党議員?官僚?仕分け担当者?
事業仕分け→凍結
  評価者:民主党議員、第三者有識者)仕分け人
③政務三役で検討→10年12月凍結解除
  評価者:野田総理(当時財務大臣)、副大臣政務官
野田総理財務大臣)自ら着工にゴーサイン
  評価者:野田総理
⑤11年9月26日、変更するつもりは毛頭ないと国会答弁
  評価者:野田総理
⑥11年10月3日、現地視察で凍結(中止で賠償40億円と公表)
  評価者:野田総理
⑦11年11月23日、5年凍結から中止へ
  評価者:第三者有識者


要するに、①、②、⑦で行われた、野田総理以外の第三者が入っている時の判断は「中止」か「凍結」しかない、ということだ。建設という判断はただの一度もない、ということ。
政務三役が集まって決めたとされる凍結解除についても、”政治判断”というものに他ならず、その上で決めたことを総理大臣として追認しているわけである。途中、再考の機会を有していなかったわけではなく、判断修正を行うことだってできたのに、再度検討(④財務大臣として、次は⑤総理大臣として)した上で、なおかつ建設と判断したわけである。

いよいよ窮してからの⑥で、凍結と言ったものの、それは判断の先送りというのとほぼ同じだった。困ったので、とりあえず今は結論を出さず棚上げしておく、先送りしてみる、というだけ。それが、5年凍結という意味だったわけだ。


野田総理の考え・判断は、「妥当だ」「正当性がある」といったことの証明は見たことがないわけである。さすが総理になるような人物であるな、彼の選択は正しかったな、という実証を見た記憶がないということ。逆に、野田という人間は、信用ならない人間だな、という感想を抱くことはあった、ということだな。

ところで、財務省は賠償金を40億円も払ったのか?
口から出まかせか?
それとも本当に払ったのなら、野田総理個人に賠償請求したらどうか。


こんな公務員宿舎さえ満足に判断できない人間が、原子力発電所の何を判断できるというのかね。


逆じゃないですか?
野田総理の判断だから大丈夫、なんじゃなく、野田総理の判断だから「余計に危ない、寧ろ反対意見の方を選ぶべき」ということになってしまうのではないか?

野田総理が「原発は安全で必要である」と意見表明をしたとして、何の根拠なり担保があると?
これは、野田総理が「公務員宿舎は必要である」と宣言したのと、どう違うと思うか?


自民党の塩崎議員(元官房長官)の
野田総理、もう一回、止めるべきだと思うけれども、止めるべきじゃないということを、もしそう思うんならはっきり言ってください。それだけでいいです。』
という問いに対して、野田総理は、
朝霞市の事情であるとか全体的な公務員宿舎の事情とかを含めての判断をしたことでございますので、今、特段、変更するつもりはございません。』
と断固として変更しないと答えたのだぞ。


おおい町福井県の事情であるとか全体的な原子力発電所の事情とかを含めての判断をしたことでございますので、今、特段、(再稼働決定の)変更するつもりはございません。」
野田総理が今言ったとしても、何の不思議もないわ。
裏付けもなけりゃ、根拠もない、ってこと。
政務三役の会議で検討し建設を決めたことは、4大臣会合で原発再稼働を決めることと何らの違いもない、ってこと。正当性の根拠なぞ、どこにも存在していない、ということである。


あるのは、単に、「野田(という人間)が決めた」、という事実だけである。野田に意見を聞く意味って何?
原発のことは、野田に聞けば正しいことが分かり、正確に判断できるとでも言うつもりか?(爆)

無駄である。
何の意味もない。
自民党が「所謂”菅リスク”」と呼んでいた、そのものじゃないの。総理が判断する方が正しい、ということでもない限り、野田総理の判断を重視する意味はない。専門家の判断を優先せよ、という理屈に反するじゃないの。


自民党は、野田総理が再稼働を判断することに、何故反対しないノダ。
理屈からいって、おかしいだろうよ。