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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

原子力政策に関する日本政府のウソ

野田総理は「原発が必要だ」と宣言したらしい。国民生活を守るのではなく、明らかに「国民生活を破壊した」のが、原発事故であった。何らの正当性もない、言いつくろいだけだった。

よく「オオカミ少年」とか簡略化して言ったりするのではないかと思うが、狼人間の少年とか狼に育てられた少年ではなく、「狼が来たぞ」と幾度もウソを告げる少年のことだ。ウソを言って村人を騙し続けると、しまいには信用されなくなる、というごく当たり前の寓話である。

日本の原子力政策というのは、これとほぼ似ているのだ。事故や原子力災害などが起こる度に、反省します、もうしません、二度と起こしません、等々、言い訳や反省の弁を述べるが、これが達成されたことがない、ということだ。
むしろ事態は悪化を続け、遂には福島原発事故のような大惨事を招いた、ということである。

具体的に書いておく。


◆事例1: 05年11月11日 内閣総理大臣 小泉純一郎
質問主意書への答弁書

共産党 吉井英勝議員の質問
『巨大地震時に津波が発生すると、発電所内へ進入する遡行してくる高波とともに、逆に潮が引いて海面が下がることによって冷却水が異常を来す場合がある。そこで、総ての原発のそれぞれの冷却水の取水口の位置(標準水面から幾らか)と波が引いた時の海水面の高さが標準水面から幾ら下にきているかの関係を明らかにして、巨大津波の発生時にも機器の冷却がうまくいくのか、国内の総ての原発について示されたい。』
に対して、

いずれの原子力発電所についても、津波により水位が低下した場合においても必要な海水を取水できるよう設計され、又は必要な海水を一時的に取水できない場合においても原子炉を冷却できる対策が講じられているものと承知している。

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・拙ブログの評価→

巨大津波発生時にも冷却がうまくいくか、との問いにまともに答えず、対策が講じられていると思っていたが現実にはそうではなかった、ということが福島原発事故で実証された、というわけだ。
簡単に言えば、政府が事業者に「対策はできてるよね」と確認したら、事業者は「対策は講じてます」と答えたので、政府は「対策が講じられている」と”知ってる”よ、と答えただけ、ということ。何らかの対策をやっている、ということと、その対策が有効であるとか、過酷事故にどの程度通用するかどうか、といったことは別ですから。
自動車の衝突時対策で「ブレーキとシートベルトが付いています」ということで「事故対策はやっている」ということは言えるが、エアバッグ付きとの安全性比較をしているわけではない。時速○kmといった具体的条件での検討とか、高速道路での衝突想定といった、よりシビアな条件下での安全性を比較検討したものでもない、ということである。過去の政府(経産省保安院原子力委員会原子力安全委員会なども含めて)の発想は、「高速道路で衝突するとは思いもよらかった、想定外だった」という言い逃れ、ということだ。


◆事例2: 08年4月9日 経済産業大臣 甘利明
衆院 決算委員会での答弁)

新指針に基づく耐震安全性評価、いわゆるバックチェックであります。これによりまして、すべての原発の耐震安全性評価というのを見直しをさしているわけであります。今その各電力会社からバックチェックの報告が、中間報告でありますが、来ております。その結果、新指針に基づく評価においても耐震安全性が十分確保されていると。これは私も、地震の大きさが想定をかなり上回ると、それについての耐震安全性について、つまり基本的な、止める、冷やす、閉じ込めるが基本的な一番大事なところでありますが、それについていろいろと聴取をいたしました。原発は、想定される地震に対して耐震安全性を確保すると、それも相当な余裕を持っている設計になっておりまして、施工がまた相当余裕を持ってなされているわけであります。でありますからバックチェックの報告に関しても十分な安全性は確保されていると。しかし、余力の問題でありますから、そうではあるけれども、更に補強をせよということで、更に余裕を積み増すということで補強をさせているわけであります。

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・拙ブログの評価→

この当時にも、新指針を作ってやったわけである。地震に対し、相当の余裕を持っていたはずの原発は、一番重要とされる止める、冷やす、閉じ込めるが機能しなかったということが実証された。ここで大臣の言う、余裕、余力、十分な安全性なんてものは、全て否定されたということだ。
今日でも、野田政権が”新基準”と呼んでいる怪しげなものがあるが、それのどこが安全を担保するものであるのか、全く分からない。そんなものをどうやったら信じられるというのか。


◆事例3: 08年1月23日 内閣総理大臣 福田康夫
参院 本会議での答弁)

原子力発電所の運転状況を考え直すべきではないかということでありますけれども、原子力発電所については、安全の確保は大前提であり、地震についてもしっかりした対策を講じることが必要不可欠であります。現在、すべての原子力発電所について、新潟県中越沖地震などで得られた最新の知見も踏まえ、耐震安全性の再評価を行うよう電気事業者に求めております。政府としてもその評価結果を厳正に確認し、安全の確保に万全を期してまいります。

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・拙ブログの評価→

内閣総理大臣が国民の前で確約したのは、何も最近のことではない。安全確保に万全を期す、と言いながら、それは全くの絵空事であったことが証明された。総理大臣が何と言おうが、事故対策なんぞに何らも効果もなかった、ということである。
しっかりとした対策を講じることが必要不可欠と言いながら、津波対策も整ってない、具体的な事故対策が進んでいないにも関わらず、これまで通りに原発運転を再開しよう、というのが政府のやり方ということである。
野田総理が言った内容と殆ど変ってなどいないノダ。最新の知見も踏まえ、って、要するに同じことの繰り返し、ってことだ。


◆事例4: 1999年11月24日 科学技術庁長官 中曽根弘文 
衆院 科学技術委員会での答弁)


○吉井委員 (一部略)

それから次に、原子力安全審査の中で、過酷事故を想定して、炉心溶融の場合の溶岩流が圧力容器を破壊する場合、その場合の格納容器の健全性が守れるか、あるいは万一格納容器を破壊されたときに災害はどういうふうに拡散するかとか、それに対してどのような防災対策をとるかということについては、国際原子力機関のINSAGが八八年に出した「原子力発電所の基本安全原則」ではどういうふうに示しておりますか。


○間宮政府参考人 

一九八八年のINSAGの報告書におきましては、今の点につきまして、発生確率が極めて低い事故に対して、それが重大なものではないということを確かめること。シビアアクシデントの可能性は極めて小さいことを確認すること。起こる可能性は非常に低いとはいえ、設計段階で考慮されたものよりも深刻な事故、設計基準を超える事故でございますが、これについても注意を向けなければならないということ。このような事故は起こり得るため、その進展を管理し、またその影響を緩和するための手順措置が用意される。このようにして、大きな影響を伴うシビアアクシデントは、深層防御による効果的な発生防止及び影響緩和によって極めて発生しがたくなる。こういうようなことが書いてございます。

○吉井委員 

そうなんですね。ですから、シビアアクシデントのときに格納機能に悪影響を及ぼすことを防ぐことはもちろん大前提として、防ぎ得ない場合には、そういう事故の影響を防ぐ特別な対策が備えられていることが必要である。ですから、要するに、過酷事故を想定してそれで食いとめる対策とともに、それも破られたときにどうするのかということを、そこをきちっと考えていかなきゃならぬということにしているわけであります。
 私はこの点で大臣に伺っておきたいんですが、政府として、国際原則となっている過酷事故を想定した審査基準を取り入れるということについて、これは少なくとも原子力安全委員会に諮問をする。これは、国際的には過酷事故想定というのはもう原則になっておりまして、各国、それぞれの国によって想定の仕方とかいろいろ違いはあるにしても、やはりやっているわけですね。炉心溶融で溶岩流になって圧力容器が破壊される、その場合格納容器が破壊される確率が五〇%だ、アメリカはそういう計算までやって議論したりとか。ですから、それを安全審査基準に取り入れるかどうかということについては、少なくとも原子力安全委員会に諮問をされて検討するということが、私は大臣として必要じゃないかと思うんですが、これは大臣の方に伺っておきたいと思います。

○中曽根国務大臣 

委員御案内のように、シビアアクシデントとは設計で考えられた仮想事故を超える過酷な事故でありますために、安全審査の対象とはなっておりません。
 我が国では、さまざまな安全対策によりまして、そのような事故が起こる可能性は非常に低いと評価はされております。しかし、念のため、現在の低いリスクをより一層低減すべく、原子力安全委員会は、平成四年、シビアアクシデント対策について強く推奨しているところであります。
 これを受けまして、事業者におきましても、おおむね二〇〇〇年を目途に過酷事故に関する対策が進められているところでございまして、シビアアクシデントに関しても、安全確保について十分努力をしているところでございます。

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またしても共産党の吉井英勝議員のご登場です。
残念ながら、10年以上前の議論から全く進歩していない、何らの進展もなかった、そうであるが故に、福島原発事故は起こってしまったのだ、ということを再認識しました。
この当時には、既に「発生確率は低いが、設計段階で想定されたものより化国な事故、設計基準を超える事故というものにも注意を向けよ」ということが分かっていた、ということなのです。防御を破られた時にはどうするか、ということを考えてこなかった、ということなのです。深層防御という考えがなかった、事故進展への対策手順や措置も用意されてはこなかった、ということです。


東電などの事業者にやらせてきたら、ロクな対策などしてこなかった、というわけです。


この続きがあるのですが、長いので次の記事で。