怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

日本という病〜4

国会事故調査報告書の本文の方は、まだ全部読めていない。今後断続的に取り上げることがあるかもしれない。今日取り上げるのは、本文ではなく参考資料中の記述についてである。


が、本題に入る前に、ちょっと述べておきたい。
ニュース配信の見出しは、あまりに酷いものだったので。



日本の大手マスコミは、海外メディアの論調を持って来て、国会事故調の批判をしているものがある。彼らは、恥というものを知らないのだろうか。「文化で片づけていいのか」と言うのなら、日本のマスコミ自身が徹底追及をして、「行為を行った各個人」の責任というものを明確にしてもらい、それぞれ「誰がどんな過失や責任があったか」を報道すればいいではないか。そういう強制力のある調査なり、国家権力による捜査なりを、強く求めればいいではないか。


海外メディアの原文を見たわけではないから、どういう文脈で批判したのかということを正確には言えない。だが、日本の処分は生温い、個人の判断や行為のひとつひとつまで踏み込んで責任の所在と有無を明らかにすべし、というのが、欧米メディアの考える「事故調査」ということであろう、ということだ。誰が何をやったか、そこに過失は存在したかしなかったか、ということを一点一点解明せよという意味だ。過失があったなら、法的に責任を問え=罰を受けるべし、ということだ。


間違っても、こんなロクでもない論点ではないであろうことは、確かだろう。

これだ>http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/qapolitics/20120712-OYT8T01094.htm?from=navlk

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最近公表された報告書がその英語版で、事故の背景に日本固有の習慣や文化、人間関係があると指摘したため、一部の欧米メディアが批判を加えたのです。「だったら、何でも文化のせいにできるではないか」、と。
 政府の調査委員会とは別に、国会も時限立法に基づいて調査委員会を設置したのは知っているよね。ただ、任命された10人の委員に議員がまったく入っていなかった。正副委員長くらい現職議員であるべきだったと思いますね。
 そして、報告書の英語版で「メイド・イン・ジャパン」の大惨事、つまり、「権威にたてつかない」「グループ志向の行動」「なんでも従順」、そんな日本文化があって大事故が起きたという評価でしめくくった。それでは、根本原因が日本の人間関係、慣習、文化にあるといったのに等しい。
 アメリカの日本政治専門家ジェラード・カーティス氏が英ファイナンシャル・タイムズ紙(7月10日付)へ寄稿し、「そういうなら、リーマン・ショック金融危機アメリカ文化のせいだ、というのと同じ」とかみついている。米通信社なども、その点で疑問符がつく、と批判しているそうです。
 本来、再発を防ぐ国会の立法審議に役立てる目的の委員会。やはり議員主体の構成で調査を貫くべきでした。そうすれば、調査自体が国会審議に近いものになり、もっと成果と教訓を今後の立法化に生かせたと思うからです。

 (調査研究本部 池村 俊郎)
(2012年7月13日 読売新聞)

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よくもまあ、こんなことを言えますね。国会議員主体の構成にしておけばよかった、みたいな物言いって、それは、議員さんなら何とでも「騙せるから」ですかな?
国会議員が、どんな専門的な調査ができると?
讀賣の言う「国会審議に近いものになり」、なんてのは、議員さんならばどんな圧力でも人的操縦でも可能になるから、ではないのか。


こういうことを臆面もなく書き立てるマスコミの存在自体が、「日本的」ということの象徴なのだよ。日本国内のマスコミが、これまで東電幹部の法的責任について、追及すべし、というキャンペーンを張ったりしたことなどあったか?


ふざけるな。

東電の内部調査、民間事故調政府事故調と、いずれにおいても、厳しく責任追及などしてこなかったし、東電が繰り返してきた「整合性のないウソの説明」というものさえも、諾々と放置してきたではないか。


いいか、民間事故調の人間たちは、少なくとも当方よりは原発に詳しい人間がいたはずだ。

運転操作方法についても、当方には全く検討もつかないものだったが、民間事故調の人間ならば専門知識があったはずだ。

それなのに、何故、当方ですら「おかしい、疑問だ」と感じられる部分を放置したのだ?
東電の説明は、整合的ではない、ということが分かるのに、それを問題視しないという姿勢はどうしてなのか?
そういう姿勢が問題だ、と言っているのだよ。


東電が事故対応マニュアルを黒塗りで出してきて、あのままだったら、当方にだって、各報告書に書かれていることは何が何だかちんぷんかんぷんだった。

東電の奴らは、全部正しく開示し説明するとバレるかもしれない、ということを十分分かった上で情報を選んで開示していたし、大量に出しておけば、どうせ「お前らド素人が見たって分かるまい」ということだったろう。

だがな、あの開示されたマニュアルを読めば、ある程度きちんと書かれているんだよ。どうりで隠したがるはずだ。東電のウソが明らかとなり、化けの皮が剥がれていったんだよ。


それでも、当方が疑問を提起した部分については、政府事故調も含めて踏み込めていない感があったわけである。唯一、疑問点について掘り下げた報告書を出してくれたのが、国会事故調だったのだ。


ウソをついている人間は、恐らく東電だけじゃない。
政府側の人間にも、確実にいる、ということだ。


彼らの結託と隠蔽を続けさせているのは、誰だと思うか?
何だと思うか?

これこそが、日本の病的な「システム」なんだよ。



話が大きく逸れたので、記事を改めて書く。