怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

日本という病〜3

これの続きです。
http://d.hatena.ne.jp/trapds/20120707


国会事故調の出した報告書について、大健闘だったとする見方が示されたものの、福島原発事故が”Made in Japan”であると書いたことなどについて、内外からの批判も上がっている。

加藤祐子氏は厳しい言葉を投げかけている。
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120711-01.html


その気持ちは分からないではない。
だが、私の見方は全く違う。
海外メディアの記者たちも加藤氏も、日本の中で福島原発事故を解明しようとすることが、どれほど困難なことか、実感できないのだと思う。非常に陰謀論的な表現になってしまうが、国会事故調は残りの人生を棒に振るかもしれない、というくらいの覚悟で臨んだのだ、ということである。一生冷や飯食いになってしまうかもしれない、そういう恐怖に打ち克った人間だけが書くことのできた報告書だった。日本的というのは、そのような病根を指す。病根は、個人的資質に留まらず、組織や行政機構などに浸透した「システム」そのものである。そういう点において、「誰か」ではない。「システム」である。


もしもアメリカであったなら、どんな大企業幹部であろうと、官僚機構のエリートであろうと、責任を負うべき立場の人間に犯罪があったと見れば、FBIがきちんと捜査するだろう。国家の犯罪であっても、当然捜査対象とされるであろう。

だが、日本は全く違う。隠蔽を糾弾しようとすれば、警察や検察などの官僚機構が「悪い奴ら」の味方となって立ちはだかる、ということだ。これは、裁判所という司法の独立が約束されている組織であってでさえ、同じく「悪い奴ら」の側に立ってしまう、ということである。本来は「悪事」を追及する側に、これら権力組織や司法組織が「善の味方」となって当然なのに、全く逆なのである。


政府や東電を追及し、隠蔽情報を開示させたり、ウソの説明や証言を正すべきはずのマスコミにしても、「悪い奴ら」に加担して出鱈目の言い訳を正当化し、何も知らない国民を騙すわけだ。マスコミは政府や大企業からの情報統制を受けてしまって、過ちを追及できないのだ。


これらを、日本的な「システム」とみなしたのが、国会事故調の報告書だ。
加藤氏が指摘しているように、菅元総理の過剰介入を喧伝するだけで、それまで行ってきた東電のウソの説明や誤魔化しについて、糾弾していた日本の大手マスコミはあったのか?
ごく一部の良心的マスコミもあったかもしれないが、東電の偽証や虚偽説明などを問題視したり、刑責を問うべきだというような動きも全くないではないか。実際に、東電の幹部は、誰一人として、何らの責任も問われず、これといった釈明もなければ謝罪も反省もなく、さっさと退職金を受け取って立ち去ろうとしているだけである。


このことそのものが、日本的、という病気を的確に表している、ということだ。

当方は、以前から東電の説明は出鱈目だ、と指摘した。何度も指摘した。しかし、マスコミはそういうことに無関心であり続けた。
具体的に、挙げておく。
1号機のIC(非常用復水器)を止めた理由として、東電が当初説明したのは「原子炉が痛む(壊れる)のを防ぐ為」というものだった。これは全くのウソだった。ICを僅か8分程度運転しただけで、巨大な原子炉と内部の水が一気に冷却されるはずもなく、東電の説明は明らかにウソであると分かるのに、これを誰も追及したりはしなかった。


事故後約10日程度経過した時点で、政府官邸HPの公表文書は差し替えられた。重要な手掛かりを示すような公表文書を、彼らは隠したのだ。何故、そのようなことをしたかといえば、後から検証されることを防ぐ為だったろう。こんなことが許されると思うか?
国家の犯罪と言ってよい。
意図的に、元々公表されていたはずの官房長官会見や公表PDFなんかが、全く別のものに替えられたのだぞ!

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a7606b0a18b4209e468cf264e79d9b19

11年4月11日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8bf26566199f8d07ba01607fda050812


このようなことを行うのは、政府側の人間だ。どうしてこんなことをすると思うか?
後から過失を追及されたり、東電の失敗がバレたり、説明が出鱈目だったことが明らかにされたり、情報隠蔽を追及されたり、そういうのを防ぐ為に、政府と経産省と東電が一体となって行い、こういう犯罪的行為を追及する立場にあるはずの警察・検察権力も政府と一体なので、誰にもどうしようもできない、ということである。そういう事実を指摘する一般人がいようとも、マスコミが代わりに政府や検察に糾弾したりすることなどあり得ない、ということだ。

このような「システム」こそが、日本的、ということの意味だ。

単純な文化論などという話ではない。

何故、政府はウソをつき続けるか?
何故、経産省をはじめとする官僚組織は、隠蔽を続けるか?
何故、東電は誰も責任を問われないのか?
何故、法的強制力を持つ組織さえも、手出しができないのか?
何故、第五の権力と呼ばれるマスコミは、これらを追及しないのか?


こんなことが行われている国は、先進諸国であると思うか?
反語ですから、日本しかない、ですよ。
少なくとも、アメリカやイギリスでは、あり得ないだろう。
普通の法治国家でこんなことはほぼ考えられず、癒着が何でもありの独裁後進国くらいでしかないのではないか。
つまり、日本しかない、日本でしか考えられない=メイド・イン・ジャパン、ということなのですよ。


東電幹部でもいい、原子力安全保安院の人でも、エネ庁幹部でも、経産省幹部でもいい、それとも原子力安全委員会の人でも、警察や検察の人でも、経産大臣でもいいし総理大臣でもいい、誰か一人でも「東電に罰を与える」ことのできる人間がいれば、東電がウソを続けることができなくなるのだ。或いは、これらを外部から糾弾できる、まともなマスコミがあれば、どこかの地点で正せるかもしれない。

だが、不正を隠蔽するシステム(意図の有無に関わらず、共犯関係だ)が出来上がっているから、国会事故調の報告が出されるまで騙し通し続けられた、ということだ。裏を返せば、このようなシステムが出来上がっていなくて、保安院が罰を与える、といったことが正常に機能していたなら、福島原発事故は防げたかもしれない、ということだ。「誰にも正せない」という体質こそが、事故の根底にある原因なのだ、ということである。これこそが、日本的、ということの意味だ。


恐るべきことに、この日本の病根は、原子力分野に限ったものではないのである。検察腐敗や検察審査会の問題についても、全く同様の構造を持っている。本来不正や誤りを正すべき側の人間が、こぞって「不正をする側、隠蔽する側」の味方となって、不正を暴こうとする側を邪魔するのである。追及するべき立場のマスコミも、口をつぐんで共犯関係を維持するのである。


こんな国が他にあるか?
ない。
ないんですよ(待てよ、ロシアならあるか?)。
日本だから、なのです。
まさしく”Made in Japan”なのです。