TPPを考える上で
日本はもっと過去から学ぶべきなのだが、それができないのだ。
自由な貿易、公正取引、これは大事だ。
そのことと、社会を強制的に変革させたり、社会制度や慣習などを破壊するのとは違う。
90年代後半、ジパングを襲ったのは銀行や保険会社などの「金融危機」だった。
まさしくショック・ドクトリンの実験場と化した。
メリケンなどの外資軍団は、手始めに破綻先を大量に見繕わせた。
ジパングの保険会社というのは、中々不透明な構造(笑)で、海外企業が簡単には買収というわけにもいかないものが多かったのだ。
メリケンの巨大保険会社などは、株式発行で資金を調達して、株式交換やTOBなんかでサクっと決めたい、という考えを持っていたのだが、日本の生保(バブル期には海外を席巻したセイホだ)は何と上場していない!、のだった。
メリケン人は思った。
こいつら、何でこんな馬鹿な制度でやってるんだ。
総代って誰?
総代会って、どうなってんの?
どうやったら、買収できるんだよ。
総代会で賛同を得ないと、簡単に買収もできない。上場してないから、TOBもできない。
めんどくせー!!
ということで、いくつも相互会社を破綻させてあげました。
それらの消滅した生保の多くは外資系に変わり、独占分野の第三分野を中心に契約を伸ばしてゆくことになったのです。
株式会社は、株主利益の最大化を目指します。
けれど、旧来の生保の相互会社は社員制度がとられ、株主に利益配分する必要がないので、保険加入者に利益が還元されることになります。その上、投票権も一人一票なので、外資系には簡単に買収できない仕組みになっています。株式会社であると、持ち株数が多ければ一人でも議決権の大きさが圧倒的に大きいといったことがあるのです。
共済も似たような仕組みになっており、出資者が加入者となって利益還元を受けるのです。
メリケン式の外資は、そうした利益を全部株主によこせ、という仕組みに作り変える、ということになってしまうのです。法制度を共通化する、ということは、そういう社会に強制的に変えるということを意味するのです。
日本のような、株式会社もあり、相互会社もあり、共済もある、というのが、本来の望ましい姿のはずです。選ぶのは、加入者であり、利用者であり、出資者であるからです。株式会社が本当にいいのなら、そちらが「黙っていても勝つ」はずで、共済は淘汰されるでしょう。けれども、そうならないのはどうしてだと思いますか?
これを、強引に統一せよ、というのは、多様性を失わせ、競争を阻害することです。
TPP加入というのは、そういうことを受け入れろ、ということです。
メリケン国では、保険会社が非常に強い力を持っています。そういう国であっても医療保険は本当に効率的と呼べますか?
ただ単に、会社の利益、株主利益を追い求める結果、保険金額が高騰したのではないですか?
日本の保険、共済市場は、魅力的な市場です。
外資の比率は約20%でしかなく、伝統的大手4社は6割くらいのシェアを持っています。
共済などが破壊された後、メリケン式の保険制度になったとして、それは本当に加入者のためによいことなのでしょうか?
経済理論というのは、用い方次第です。
よくお考え下さい。