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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

竹島を奪還せよ

先日の続きです。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8cc088bf2e7b057729422c74b6285b36


さて、中国の尖閣騒動は急速に萎んだ。ほんの一瞬だけ話題に上ったが、小手先の作戦だったので本格騒動になるわけもない。

目先は変えることができなかった。
その為、韓国は更に窮地に追い込まれてゆくことになった。アメリカ様はまさか日本に「韓国に手出しするな」と言うわけにもいかなくなった。もしそう言ってしまうと、「韓国をけしかけたのは、実はオレだ」と認めることになってしまうから。なので、何も口出しできない。


となると、どうなるか。
アメリカ様が早々に「韓国カード」を切ってしまったので、動きようがない。後は、「韓国、自力で頑張れ」ということである。図に乗った韓国が手痛いしっぺ返しを食らうことになるとしても、アメリカ様としては「どうしてやることもできんわな」と。


韓国は燃料投下を続けている。途中では折れることができないし、引き返せない。中国漁船の尖閣騒動の時に近い。野田総理の親書を拒否し突き返すも、今度は外務省がこの受取を拒絶。何と郵便で送る(書留)という、まるで洟紙扱い。


日本側はICJに提訴、というのは当初に報道されたので、これを取り下げることはないだろう。これを機に、竹島問題を前進させる方がよい。
日本の外務省としても、アメリカ様が折に触れて「韓国、韓国」と日本よりも持ち上げていたことが鼻についていたわけで、アメリカ様の寵愛を受けたい従米派にとってもここは一つ「韓国をギャフンと言わせて、アメリカ様の愛人ナンバー1の地位を奪い返そう」ということにもなるだろう。


韓国の対応は、非常にマズいことになった。
外交の基本的なルールを破ったから、である。

外交というのは、異様なまでの「形式主義」的側面があるのではないかというのが当方の受け止め方だ。それは、慣例、慣習というような不文律が重んじられてきた、ということでもある。国家間の問題であると強制力が及び難い、ということがあるので、紳士協定のようなルールが破られた場合には、相手側に懲罰を与えることが難しいのである。国家が持つ、国民に対する警察権力のような実効的強制力がないのであるから、協定破りは破った方が一方的に得をするということになってしまうのだ。律儀に守る方がバカを見るということになる。

だからこそ、国家間の約束事が破られた場合には、恥をかく、みんなから相手にされない、交流が断絶、というような懲罰を受ける必要があるのであり、外交儀礼の基本が守られてきたのは、破った場合の不利益が大きいからであったはずだ。不文律が簡単に破られたら、残るは戦争のような暴力的解決方法以外残らないということになってしまう。

だから、外交上で形式が重んじられることには意味があると思えるわけである。法体系や社会制度が異なる国々が多く存在してきたし、その国王や支配者が入れ替わることもよくあったりしたので、「儀礼の形式」という形でルールを続けるよりない、と思うわけである。「海賊の掟」みたいなのも、似てるのかもしれない。


だからこそ、韓国の行為は非常にマズいと思うわけである。単に、国内的な問題であるとか、二国間だけの問題ということなら、対応が色々とあるね、ということで片付けられるかもしれない。しかし、不文律の「掟破り」というようなことになると、形式そのものへの挑戦と破壊である。
喩えて言えば、パスポートを持っている人間はこういう権利が守られる、査証はこういう決まり、みたいなものが、韓国という国においては通用するかどうかは分からない、ということに等しい。


形式が守られないことというのは、外交上の原則を破るというのと同じである。そのような国は無法者国家以外はないだろう。

国王の降伏文書を持っていったら受取を拒否し、文書の存在そのものがなかったことにされてしまえば、戦争は終わりがない上に、戦闘継続でどんな掠奪でも可能ということになってしまうようなものである。それとも、柔道で関節技か絞め技で「参った」をしているのに、「ハア?聞こえんなあ」と更に技を極めるようなものだ。


自分にとって都合の悪い文書や意思表示は拒否、というのが通用してしまえば、外交上の原則は崩れることになる。韓国が野田総理の親書を拒否したというのは、そういうことなのである。儀礼を破ってけしからん、という簡単な話ではないのである。「形式」によって成り立ってきた外交上のルールへの反逆と同じ、ということである。


韓国が重大な失敗を犯したのは確実なので、竹島奪還に向けて積極的活動を展開してゆくべきである。法に基づき、白黒つける機会とすべきである。