怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

増原義剛氏の記事に異議あり

前にも取り上げたけれど。例の上限金利引き下げに関する記事のシリーズです。


http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1209/28/news010.html


著者の増原義剛氏は、東大卒の大蔵官僚のエリートで経済学部教授ということのようだが、これを真剣に書いているのだとすると、やや残念に思える。

ヤミ金利用に走りたくなる気持ちは、判らないではない。実際の体験ですから、話を聞けば、もっともらしい言い分のように思えなくもないが、お涙頂戴と大差ないようにしか見えない。
増原氏は、本当に正しく分析したのだろうか。疑問が残る。


以下、引用しつつ当方の意見を書いてみる。
(引用部は青字)


「銀行で気軽に借りられていたうちは良かったが、そのうち銀行経営が不安定になり資本の増強、不良債権処理が大きな課題になると銀行融資がピタリと止まった。次に頼ったのがノンバンク。年利30%から40%の商工ローン的なところから借りるようになった。金利が高いというが、100万円借りて翌月で104万円とかの世界。70日後には必ずカネが入るので、そんなに高い金利とは思わず重宝して使わせてもらっていた」。


この前段に書いてあるのは、2005年頃からのマンションモデルルームの造園仕事であるが、そのことと、この記述は関係があるのだろうか?少なくとも、景気が良かった時の話と、引用部の時の話は別な時期だろうと思うが。


元々銀行や信金などから借入をしていたが、全て短期間で完済してきていながら、そういう取引先の銀行等金融機関が、どこも全く貸さなくなる、ということはあるのだろうか?
いや、返済状況とか実際の銀行との取引実績とは知らないから、何とも言えないし、銀行には銀行の審査基準があるだろうから、それではダメと撥ねられたということかもしれないが。
普通に考えると、貸し剥がしなどが徹底的に行われた98〜02年くらいまでは、厳しい借入環境だったろうと思うが、それ以降だと銀行が貸出先を必死に探していたわけだし、中小企業にも貸し出すようにしましょうという機運はあったはずだ。だって、その流れに便乗して石原銀行と揶揄された新銀行東京や木村の日本振興銀行なんかが設立されたわけで。


銀行借入が不可能ではなかったのなら、大きな利益が上がる商売だったのなら、安定的な資金として70日後返済までの運転資金分くらい調達できても不思議ではないだろう。仮に1000万円を借り入れて、5年返済だと年200万円元金に金利部分だけだから、それこそ「大したことない」金利負担しかなかったんじゃないですかね。今世紀に入って以降の5年貸出金利が、銀行で年利4%とか5%とかを超える水準ということであると、これはもう「かなりの高金利ですね」という印象ですもんね。もっと安く借りられたはずでは、ということ。


しかし、過去の債務返済状況があまり良くなかったり、事業内容とか資金繰りが悪いということであると、いい顔はしないわな。それとも、90年代から銀行資金が絶たれた後(新規借入には応じられなくなった)、ノンバンクから継続的に借りていたとか、銀行返済資金そのものがなくなり、ノンバンクから借りて返済した結果、その後の銀行借入が困難になってしまった、という可能性はないのだろうか。


事業が好調だったのなら、利益が蓄積されるはずだし、借入が短期で毎回完済していたのなら、返済負担だってそう多くはなかった、ということでしょう?それなら、会社(個人事業かもしれないが)としての財務内容が悪化するとも思えず(だって長期借入金が殆どないはず)、キャッシュがあまり積み上がらない、というのは考え難い。


それと、Cさんの言う「年利30〜40%の商工ローン」というのは、出資法改正前の金利ということでしょう?その時代は、2000年改正前、ということでは。つまり、業績好調のモデルルーム造園の話とは、関係ないんじゃないですか?
恐らく、90年代後半には既に銀行取引が不可能となっており(財務内容か返済状況が悪かった、などでは)、恒常的にノンバンク借入をしていて、すなわち、ほぼ慢性的な運転資金ショートを繰り返していた、ということなのでは。


一般の企業の借入とか諸外国の国債でもいいんですが、返済期限が非常に短い3カ月物だけの資金手当てで、そんなに高速回転をしているのは、あまり見ないわけですが。もしやってるとすると、大抵の場合には、借り手の信用不安があって、長期貸出を受けられないということであり、いつ倒れてもおかしくないというような状況なのでは。

いつの時点においても、運転資金が積み上げられない、というのが決定的な問題点だったのでは。それは、一般的に言う「自転車操業」、つまり、いつ溺れてもおかしくない「アップアップの状態」ということにしか見えないわけで。業容が拡大できた時期があったのなら、そこでノンバンク借入を止めることができるはずだし、安定的な銀行資金への変更を考えるべきだったのでは。

取引先の70日後の入金まで常に耐えられないような短期資金不足では、万が一、取引先の企業が不渡りとなったり、入金遅れが発生したり、倒産したりしようものなら、それこそ一蓮托生で連鎖倒産するのを怖れるよね。まあ、「デカイ金が入るんだ」というような場合、入金直後に「ある」と思って金を使ってしまうと、また資金不足がやってくるというのを繰り返していたのでは。


本当に苦しくなった原因は、上限金利引き下げだったのですかね?
むしろ、サブプライムローン問題が大きくなって、マンション業界が軒並み倒れたことの方が原因だったんじゃないでしょうかね。それは、これまで受注が多く取れていたはずの、マンションモデルルームの仕事が急激に細ったことで、「いずれ入ってくる」と期待していた入金が途絶えた(売上が消滅した)、ということでは。
そうであると、過去のストックがモノを言うので、体力がなければ、あっという間に資金不足に陥ることになる。しかも、05年以降の好調時でさえ、恒常的にノンバンク利用で運転資金ショートを補ってきていたのであれば、仕事が減少するとあっという間に資金が底をつく。そこで頼みのノンバンクといっても、売上高の絶対量が減少していれば、給料等の経費が払えなくなることは明白なわけで。



「一度、それまで気軽に借りていたノンバンクの社長と話したが、年利39%が貸し手の事業が成立する採算ラインだという。私らも、そんな金利で借りても仕事が動きカネが入ってくれば高いとは思わない、ありがたいの一言。それを貸せないよう、借りられないようしている法律改正はホント無茶苦茶おかしい。返せないで強硬に取り立てに遭う人たちが被害者というよりも、私らのように借りてきちんと返していた人たちが、法律改正で大きな被害を被っているのですよ。仕事はおカネさえ借りられればいくらでもあるのに、それができない。日本経済のパイを縮小させ雇用も鈍らせているのは誰なのか、ですよ」。


んー、そのノンバンクの社長さんの言う「39%が採算ラインだ」というのは正しいのかもしれないが、採算の悪い企業は競争に負けて退出するよりない。田舎の電気店なんかが、「ウチはこのテレビは10万円が採算ラインだ」といくら言おうとも、量販店やネット通販なんかが5万円で売れるなら、負けても文句は言えないわけで。
そもそも採算ラインの高い企業は、生き残れないのが普通です。29.2%ですら達成できなかったのであれば、その時点でほぼ負けは不可避でしょう。それは、06年改正以前の話ですね。


それから、Cさんがマンション造園をやらなくなって、その業種とか仕事は消滅したのでしょうか?他の誰かがやっているのでしょうか?
だとすると、単に代替された、というだけであり、その仕事や事業や売上やGDPがまるまる消滅したわけではないのでは。他の誰かがやってるなら、その事業は残っていて、市場も残っているでしょう。それとも、マンションモデルルームの造園仕事そのものが減ってしまったか、消滅してしまったのであれば、(金利40%で借入ができていたとしても)早晩行き詰っていたのは確実です。


ラーメン屋の1軒が潰れたとしても、市場から退出させられるけれど、他の店が代替するということでは。そのラーメン屋の店主の腕がどんなによいと自負していようとも、経営的にダメなら退出させられますね。



「しかし、所詮実績など作れないで話はコロコロ変わるばかり。そこで私はヤミ金をあきらめ、その代わりに手持ちのカネでやれるよう従業員も事業規模も一挙に縮小、なんとか急場を凌いだ。今はなじみ客の庭の植栽で細々と食べている」。


これは、正しい判断だったのでは。縮小せずに維持し続けようとして、借入を無理に増やしてしまうより、妥当な選択だったのではないでしょうか。借入を増やして破綻するより、勇気ある撤退を選択したことで、今も生き残ったということなのでは。


外資系金融機関がレバレッジを効かせて、借入と投資との両建てでバランスシートが大きくなっていたのを、借入を減らして縮小せざるを得なかったのと似ているかもしれません。

ノンバンク借入を恒常的に行うより、手持ち運転資金でできる範囲にした方が経営的には安定するのでは。利益が上がれば、いずれ銀行借入も可能となるのではないでしょうか。だって、どこからも借入が一切ないのですから。



以上、ざっと書いてみましたが、増原教授がCさんの言い分を全部真に受けて、金利規制のせいでこうなった、ということだと考えているのだとすれば、それはおかしいと思いますね。はっきり言えば、世間知らずなのか、金利規制のせいだという先入観で、それを指摘する為だけに取り上げた事例なんじゃないのかな、ということです。