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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

アメリカの経済成長と購買力平価GDP

購買力平価(PPP)による比較というものが、無意味であるとまでは言わない。ただ、それを都合よく利用して、何らかの宣伝文句を正当化するのはよくない、と言っているわけである。

以前にも記事に書いた。>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/258885da7578759177a48c7111f3311b


アメリカさまにとっては、日本ごときに「一人当たり(名目・実質)GDP」で抜き去られたこと(80年代後半から90年代にかけてのことである)が許容し難く、そういう時に取り出してくるのが、このPPP・GDPなのである。日本は実質的にアメリカ経済の水準には追い付いていない、と言いたいが為ということだ(笑)。まあ、それはそれでいい。そういう面もあるかな、と思えるから。

参考>http://www.stat.go.jp/info/meetings/icp/pdf/ppp2008.pdf


だからといって、「日本経済はもうダメになった」ということを強調したい時に、これを言い募るのは意味ないよ、ということだ。PPP・GDPでは、日本よりも中国とインドの方が大きいのだから、アメリカ企業はそっちに行けばいいだけなのに、日本に来ては散々文句を言うわけだな。

具体的には、日本で銀行業や貸金業をやる、という時に、日本の制度がオカシイだの規制は悪だのと、ボロ糞に文句を言う、と。何で、シティグループやGEキャピタルなんかが、日本なんかに来てまで商売をしたがるのかが全く不明だわ。あおぞら銀行新生銀行りそな銀行なんかを買った投資グループもそう。

今後お先真っ暗で、高齢化で衰える一方で、政府借金も世界一多くて、人口もどんどん減って、成長も期待できない日本に来て、法律も悪く規制も雁字搦めで、いいことなんか一つもないのに、何が良くて日本で銀行・保険・消費者金融の貸金屋を是非ともやりたいと言うのか、本当に謎なんですわ。国内企業だって、もう日本では商売にならない、と言って、海外に逃げ出しているそうではないか。アメリカ企業だって、中国やインドや、その他PPP・GDPの大きい国々に行って商売すればいいだけだろうに。


TPPにしても同じ。
中国やインドの規模の方が大きいんだから、まず日本よりそちらを勧誘すればいいだけだろうに。なんでPPP・GDPのはるかに小さい日本に来るんだ。中国とインドの合計は、現在だとアメリカより大きいし、日本の3倍以上の大きさを持つ。そっちを勧誘できるよう、必死で努力すればいいだけだろう。アメリカさまがそれをしない理由は、何だろうね、という話だ。


で、問題は、経済規模の比較を実質GDPで見られると、アメリカさまにとっては大変都合が悪い、ということですね。それは、非常に小さくなってしまうから、だ。アメリカの場合には、ドルという通貨のお陰でPPP・GDPが基本的に名目GDPの大きさと同じ、ということになるからである(2010年の世銀ランキングでは、14兆5824億ドルだったので、166億ドルほど名目GDPより大きい値となっている。笑)。


当方が陰謀論好きだからといって、世銀やOECDが小細工をやってると言いたいわけではないが、やろうと思えば、恣意的操作は不可能ではない、ということ。そして、アメリカさまはできるだけ名目値だけ見てもらうようにしないと、借金帝国であることがバレてしまって、困るだろうなと同情しているわけなんですよ。


まあ、市場が正しい、市場の値付け・価格決定が正しい、ということを散々言ってきた連中にとっては、PPPの存在は矛盾するものとなる。それは、市場参加者たちが全員バカの集まりだ、というのに近いだろう。購買力平価で決定される為替水準が正しいのであるとすれば、論理的に正しい為替レートを市場参加者が全く無視して取引していることになり、現実の為替レートはバカの集まりによって決定された「間違った価格」ということになってしまう。それで「市場が正しい」と言ってきた連中はどんな顔をするのかな?、と。


もしも現実の価格決定の方が重視されるべき、ということであるなら、どうして大きくかけ離れた購買力平価の為替レートが算出されるのか、という問題が残ることになる。つまり、購買力平価の為替レートというのは、あんまり当てにならない・正しくない、ということを意味するわけである。その正しくない水準のレートで計算したGDPの大きさというのを、殊更取り上げることの意味が判らない。


昨日の記事で書いたように、現在「1ドル」と呼ぶ通貨と、2000年とか1990年に「1ドル」と呼んでいた通貨は、厳密に言うなら、「別なお金」である。同じではないのだよ。呼び方が共通して「ドル」という名称になっているだけで、一般の人々には見分けが付けられないことに付け込んで、勘違いさせているのと変わらない。
もしも固定的な指標となる通貨単位があるなら、それを基準としてドルを表示することができ、そうなれば、ドルの価値下落がはっきりすることになるだろう。PPP・GDPの大きさも当然変更される。


架空の共通通貨単位をG(ギル)とすることにしよう。
1980年時点での1Gの価値は、1G=1ドルであったとする。そうすると、1980年のアメリカの名目GDPは例えば「1兆9467億G」、2010年だと「12兆2998億G」と分かる、ということだ。12兆2998億G=14兆4990億ドルということで、ドルの現在のレートが判明することになる、という意味である。ところが、ドルは基軸通貨としての地位を保ってきた為に、昔の「ドル」と今の「ドル」のレートの変化が「見分けがつけられない」ということになっているのだ。それを利用しているのが、PPP・GDPという数値である。


アメリカの基軸通貨という特権的地位を剥奪すればよい、ということになる。これが共通通貨単位を創設すべし、ということの意味だ。ドルは、決済通貨としての地位が確保されてきたが為に、アメリカがただの紙ぺらを諸外国に売りつけて海外通貨と交換してこれた、ということだ。
全世界の外貨準備高は、90年から今までの分で何倍かに増加しているはずだ。新興国は軒並み準備高を増加させてきたのだし。アジア諸国通貨危機で怯えて、ドルの持ち高をかなり増やしたはずだ。

これは、海外からのドル=アメリカへの投資ということになり、結局はアメリカの借金を増やすことに手を貸してきた、というのと同じだ。中国が米国債投資を続けてきて、それがアメリカの借金増加を手助けし、結果的にリーマンショックの遠因となってきたんだ、みたいな言い草まであったくらいだから。
準備通貨ではドルの比率が高くなり、同時に持ち高を増加させてきたということであると、それは、アメリカがジャバジャバとドルを供給し、海外通貨と交換を繰り返してドルの大特売を長年やってきた、というのと同じであるということ。そのお陰で、通貨供給をガンガンやってもインフレ抑制になってきたか、ドルの暴落は防がれてきた、ということにもなる。
もし別の中立的通貨単位があって、それを準備通貨とするなら(合成通貨単位でいいはず)、ドル価値はもっと大幅に減価していても不思議ではなく、そうするとインフレ率も更に高くなっていたかもしれない、ということだ。


購買力平価による評価は、アメリカのドル価値下落を誤魔化す為には大変都合のよい、「基準点の移動」をやっているのと同じ、ということだ。もし国際比較をしたいなら、別な単位を作ってからやるべきだろう。そんなことをされたら、アメリカさまのペテンのような手法が明らかになるから、激怒して絶対に許さないということなんだろうけど(笑)。


アメリカの実質GDPなんざ、11兆〜11.5兆ドル程度(80年基準か90年基準くらい)でしかないのだよ。
しかも90年代以降の成長の大半は、何だったか?


正確な要因分析をやらないと判らないが、実質で平均3%成長だったとすれば、その1.5〜2%くらいは、消費増による寄与であろう、恐らく。
GDPに占める消費の割合が以前は7割以下だったものが、今世紀では70%を超えるまでになったという事実があるから、である。個人消費に依存する成長率、ということだ。うち、人口増の効果というのがあるわけである。90年に2億5千万人だった人口は、2010年くらいだと3億1500万人と約6500万人増加していた。そりゃあ、人口が26%も増えたら、消費は増えても不思議ではない。人数要因で増えたわけだ。


もう一つの面としては、一人の人が消費を増やす、という効果もあるかもしれない。簡単に言えば、「強烈なデブ」が増えた、ということだ。普通の消費では飽き足らず、「もっと食いたい」ということで消費を増やす、これが成長の源泉となってきた、という意味である。人々に「もっと食え」と煽る(広告効果?だな)と、うっかり引っ掛かってしまって、更に食う、と。それが消費の増加という成長要因になってきたのだ、ということさ。


要するに、アメリカの成長力の大半は、「暴食」と「虚飾」を煽り立ててきたことによって達成された、ということだ。ブヨブヨに太ってデブになる=消費増、見栄を張って「いい家、いい車、いい服、宝飾品、パーティ…etc」で消費増、ということさ。そういうのを羨ましがる人間の頭数が増えた(=人口増)、というのも加わったのだ。


上記で参考に挙げた総務省の資料では、アメリカの個人消費水準がOECD平均から飛び抜けて高く(順位は勿論1位だ)、指数では140を超えていた。その消費に充てられた原資は、基本的にはクレジットカードだのサブプライムローンでのキャッシュアウトだの株高担保の借入だのといった、「借金」なのだよ。


景気がいいように見せかけていたものとは、「暴食」と「虚飾」による過剰な消費、その金の出所は借金、ということさ。
収入(GDP)が増えたようなフリをしてきたが、それも本当は違っていて、ドル紙幣という紙切れを海外に売り捌いて、それで借金を重ねたということだ。収入を多く見せ続けるには、基準となる数値を誤魔化し、都合良く使える購買力平価というもので殊更名目値の方を見るように仕向けてきた、ということだ。


今は、これまでの「借金で消費」というのが難しくなってきて、成長の大部分を消費に頼ってきたが故に、人口増くらいしか成長の寄与がなくなった、ということではないかな。設備投資や公共投資をするには、金が必要だが、それを出せる人間はそうそういない、と。すなわち、個人消費が抑制されると、アメリカの成長の大部分は失われる、ということだ。しかも個人消費を支えたのは、愚かな”gula”なんだよ(笑)。



アメリカのGDPの大きさを見る時には、実質値を必ず見るか、かなり古い時代からの時系列データで過去基準の数字を見るべき。アメリカの場合には、購買力平価GDPの大きさの絶対値は、何の意味もない。低所得国の成長の感じをつかむには良い、というくらいでは。

ああ、アメリカの経済を見るなら、コーラ何杯分、という基準で測ればいいかもね。1950年くらいには1カ月の給料が「○杯」分、1990年だと「×杯」、2010年では「△杯」という具合に。