怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

法治国家を名乗る資格なし

日本の政治家というのは、本物の異常者なのだろうか。
それとも、記事が捏造であって、言ってもいないようなことを、記者が勝手に記事したのか?


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121119-00000106-jij-pol


一方、自民党石破茂幹事長は都内で記者団に「法的には無罪であっても政治倫理綱領に照らしてどうなのか」と語り、小沢氏に説明責任を果たすよう重ねて求めた。公明党幹部は「これで小沢氏の無罪が証明されたわけではない」と突き放した。

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もしも、この報道が本当だとすれば、政治家としてあるまじき発言であり、法を無視する質の悪い政治家揃いであることを証明しているわけだ。

そういう、法を無視する連中ばかりだからこそ、違憲状態であろうとも平気の平左で自分勝手な選挙をやってしまう、と。まさに、愚か者揃いの、無法政治家ばかり、ということろだろう。日本の政治家のレベルの低さが如実に顕れている。


石破は、「政治倫理綱領」に照らしてどうよ、と言ったのだそうだ。ならば、自分がどこの部分がどうなのか、ということについて、説明する義務があるわけである。裁判でも、原告側が挙証責任を負うわけであろう?
つまりは、指摘している人間にこそ、何がどうなのか、ということを立証する義務があるわけである。石破は何らの立論もない。これは、検察ができなかった、検察審査会の強制起訴でもできなかった、そういうことを石破ができるなら、代わって立証すればよいのだ。

できないのに、永久に違法を言い募るのは、最高裁が違法はないと判示したことを、裁判終結後であっても、「やっぱり敗訴はおかしい」と言い続ける人間みたいなものだ。


更に、公明党幹部というのも、頭がおかしい。

「無罪が証明されたわけではない」って、じゃあ、冤罪で被告にされてしまった人はどうやって無罪を証明するの?自ら、説明して、それで、どうやって無罪の立証が行えるわけ?

やってみろよ。

例えば、村木局長の検察の証拠捏造なんかがあったわけだが、あれも、本人がいくら「やってない」と言っても、マスコミはみんな当初「犯人扱い」して、聞く耳なんか持ってなかっただろうに。それを、無罪判決が出た後であっても、村木さん本人に「あなたの無罪が証明されたわけではない」と言って、本人の「説明責任を果たせ」だの、「倫理的にみてどうなのか、まだまだ無罪と証明されたわけではない」と言うつもりかね?


こういうのを、司法無視と呼ぶのだろ。
完全なる司法軽視、司法権の存在すら認めていないのではないのか。

嫌疑をかけられた本人の立証責任というのは、課せられていないのだよ、ボケ。
大体、犯人と疑われている人本人の証明を、ただ黙って受け入れるかね、石破や公明党幹部というのは。「本人がいくら言っても、本人が言ってるだけだ」とか言って、受け付けないだろうよ。そういうのを回避する為に、裁判所という中立公平な場所と裁判官という人が、検察と被告双方の立論・立証を比較検討、吟味して、どちらがより正しいと判断できるか、ということで判決を下すんじゃないのかよ。


すなわち、裁判官が既に石破や公明党幹部の言ってるようなことは、既に検討した結果、「無罪」判決を出しているんだっての。それを無視できる、ということなのだから、石破や公明党幹部というのは、裁判官以上の独自の判断や立論があると言っているのと同じ。そして、自分にはそれができると考えているわけだから、それをやったらいいよ。

これは、魔女狩り(異端裁判)や人民裁判というのと違いが分からんわ。


石破も、公明党幹部とやらも、双方とも三権分立を無視した、司法無視という国会議員であることは明らかとなった。その上、検察捜査や裁判所以上の判断ができると豪語してるも同然の、傲慢な自信家であるということも分かった。

判決で無罪が出ても、「これで無罪が証明されたわけではない」と言えば、永久に無実なんかあり得んだろうて。無限に続く「負け惜しみ」ってことだ。あれか、巨人が阪神に負けた試合があっても、「これで巨人が阪神に負けたことが証明されたわけではない」と言えばいい、と。アホだな。


公明党幹部は本物の異常者―偏執狂のような―であるかもしれない。執拗さでは、人後に落ちない。石破も、だな。


こういう「無法者」が政治の中枢にいるからこそ、日本の政治はダメなんだろうよ。法を無視するな。