怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

腐敗司法〜従米派支配の系譜

戦後日本が米国の言いなりに過ぎなかった、ということがよく分かるというものだ。

http://mainichi.jp/select/news/20130118k0000m040097000c.html


最高裁長官の田中耕太郎がどんなことやったか。彼の行動は、合理的だ。そして、こうした行動原理は現在でも同じであり、継続しているということである。それが司法腐敗の根本原因と言えよう。検察官が悪いというだけではない。裁判官がこれに加担し、最高裁という司法の頂点そのものが腐敗システム温存の装置と化しているのである。下級裁判所の裁判官たちがどれほど頑張ろうとも、これを「絶対に許さない」という仕組みになっているのだ。

だから、上に行ける人間というのは、「言いなり」になってくれる人間ということで選ばれるわけである。時折、正義漢が登場してしまって、万が一、過去の不正なんかが「改めよう」ということで暴かれてしまおうものなら、日本の司法システムも政治的権力システムも、「民衆を騙してきた」ということが明らかとなってしまって、崩壊の危機に立たされるわけだから。


故に、腐敗組織を維持し続けるには、腐敗に加担してくれる人間だけを上の方に集め続けねばならない、ということになるわけである。それは、ショッカーの幹部に、いきなり仮面ライダーの誰かみたいなのが誕生してしまうと、「ショッカー」という悪の組織そのものの存立が困難になる、というようなものだ。だから、腐敗組織維持に役立つ人間だけが上に行くシステムが出来上がってしまうわけであり、それは現在まで連綿と続けられてきた、ということである。


このことは、小沢の強制起訴となった東京第五検察審査会の起訴議決が生み出される為に活躍したであろう、最高裁事務総局の存在意義というものがよく理解できるということである。確率的にほぼあり得ない出来事というのは、「単なる偶然」などとは見ない。勿論、そのこと自体にバイアスがあるのであり、時には間違っていることもあるかもしれない。
だが、例えば海外の情報機関のプロの人間が、何らの疑いの目を向けずに、単なる偶然の一致に過ぎないなどといって片付けているといったことは、到底信じられるものではない。


司法が真の外道であることは、疑いの余地はないわけである。
3月の一審判決で、最高裁判決が12月という、異例の超スピード結審とは恐れ入った。人間というものは、かように浅ましいということである。現代の日本に於いてでさえ、「戦後」は終わっていないのだ。米国の日本支配戦略は未だ継続されたままである、ということだ。


更に、情報統制に加担する連中が必要なわけだ。例えば、砂川事件とよく似た「砂川訴訟」ということがあったのは、記憶に新しい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9D%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E8%A8%B4%E8%A8%9F


これも単なる偶然だ、というかもしれない。まあいいだろう。
だとして、砂川事件の公文書発見などが08年くらいにはあったわけだが、同じような時期に、似たような言葉を被せて、あたかも「別な事件」であったかのような錯誤をもたらすようなものではないのかな、と。

「ビキニ」ってあったでしょう?
水着ですけどね。確かに、衝撃的なデザインではあったでしょうが、ネーミングとして当時には殆ど人口に膾炙していなかったようなマイナーな地名の「ビキニ」がどうして命名されたと?
偶然かもしれない。発案者がたまたま目にしたニュース記事の地名なんかをヒントにしたとか、何らかの理由があるのかもしれない。けど、「ビキニ」=水着という発想は既に定着されており、それ以外の水爆実験や第五福竜丸事件なんかは記憶から消し去られてゆくということになるわけだ。


ニクソン・ショック」にしてもそう。電撃訪中というのは、確かに意外性が高かったのかもしれませんが、日本外交筋が日中国交正常化に動いている、ということは知られていたはずで、その先手を打たれただけに過ぎないでしょう。
実際には、ドルの通貨崩壊危機ということの方が重要であったはずであり、米国経済はこの時からペテンと虚飾によって維持されたものだったということでしかないわけである。
その後にも度々起こる「米国の金欠病」に対して、日本へのバッシングだとか、プラザ合意だの貿易摩擦だの何だので、日本に「金を回せ」とカツアゲを繰り返してきただけであり、そういう詐欺的経済システムがいよいよ行き詰ったというのが、08年のリーマン・ショックだったというだけだろう。そして今度は、TPPという新たな騙しの手法を考え出してきた、というだけだ。


話が逸れてしまったが、最高裁を頂点とする司法システムは、戦後ずっと従米派支配に置かれてきたのであり、彼らの支配が及んでいるからこそ、真に司法が腐敗したままで誰にもどうすることもできない、ということになっているのである。

行政が暴力的な手法をとっても誰にも止めようがなく、法が守るかといえばそれも不可能なのだ。司法がヤツラの側にいるからだ。立法府が立ち向かえそうになると、マスコミや官僚が潰してきたわけである。立法、司法、行政、マスコミ、いずれもヤツラの手先としてやってきたのだ。ごく一部に良識のある人が残っていた為に、どうにか踏みとどまってきたのだ、ということなのだろう。


それもいよいよ危機にある。
ヤツラはなりふり構わず、ということになってきているからだ。そうなると、暴力的な手法がエスカレートしてゆくことになるだろう。砂川事件と瓜二つとも言うべき大阪駅構内での逮捕事件は、そうした兆候を示す象徴的事件と言えよう。


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