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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

日銀の「2%物価目標」導入と共同文書

これまでの長きに渡る論争は、遂に日銀にインフレターゲットを認めさせるに至って一応の決着をみた。

無駄な時間だったとしか思えない。
06年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8d44d362632cefbc2db7264cbb3ccb8c

06年当時記事に書いている時点でも、既に7年が経過していた。05年までの段階で多くの時間を失い、失敗を積み重ねていたわけだ。唯一得られたことは、世間や煮え切らない政治家たちを説得する材料だけだった。「このままではずっとダメだ」ということが世の中の大勢に知られ、明らかに日銀の失敗であったことが確定し、ようやく今回の決定へと繋がった。インフレ目標を導入させるだけの失敗の数々がなければ、日銀は決して認めることなく同意することもなかったということである。


日本は、失敗から学ぶまでには、あまりに無駄に時間を浪費するのかもしれない。
2%のインフレ目標を掲げるまで、何故15年もかかってしまうのだろうか。しかも専門家とやらがあれこれ議論をしてきたのに、だから、余計にゲンナリするわけである。素人たちがあれこれ口出しするから決まらなかった、とかいうレベルではなく、専門の連中がよってたかってダメにしてきた、ということである。これに加担してきたのは、マスコミや識者や経済関連の人々だったわけだ。


経済学という理屈からすると、自然と「こうなるだろう」という結論であったはずのものであるのに、デフレ脱却に向けた政策というものがこれほど時間をかけないと実施できない、ということの方が驚きだ。
インフレ目標というものが導入困難であった理由というのは、全く見い出せない。当方がこの議論を知ったのはブログを書き始めて以降だったから、大きく遅れていたのは確かだったが、結論を得るまでに何年もかけないと理解できない、などというものではないように思われた。それなのに、どうしてここまで大幅に遅れていたのだろうか?


15年も経たないと考えを改められない、というのは、本当におかしいとしか思えないわけだ。
これまでにも日銀との論争に関する記事をあれこれ書いてきたが、日銀にも批判する側にも色々と問題点があったのであろう。


日銀の公開している文書は一通り読んだが、特にこれといって目新しいものはなかった。まあ、強いて言えば、「目標」という語を遂に使うに至った、ということくらいかな。

参考:
12年2月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c5a74247f8ba74b673c149563e09e330
12年12月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/c16de30b0ae73ca1da33d31d0039007e


で、文書を読んでいて気付いたことがあった。
当方には、お詫びせねばならないことがある、と気付いてしまった。
それは物価指数の説明の所に出てくる言葉なのですが、「ラスパイレス指数」というのをうっかり間違って記憶しておりました。すみません。当方が過去の記事に書いたものでは、「ラスパレイス指数」となっておりました。完全に勘違いでした。

こんなの
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/f9680fdcb431f31505be046a2cacc48e


だって、ラスパイレス指数って、なんか「けしからん」雰囲気の語感があるでしょう?(笑)
想像ふくらみすぎですか、そうですか。


まさか、そういう不謹慎な感じの語が専門用語として定着し用いられるのはあり得ないのではないか、という先入観のようなものがあり、一息で発音し易い感じの「ラスパレイス」とうっかり記憶してしまったのですね。本当にすみませんでした。ですので、文中にラスパレイス指数と出てくる過去記事については、読み替えて下さいませ。


あーあ、自分だって、長年ずっと間違いに気付かなかったじゃないか、日銀のことは批難できないな、というのは当たっている(笑)。間違い続けることもあるわな、人間だから。