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吉川洋東大教授の『デフレーション』について〜2.原価とプライシング

シリーズの続きです。

山形浩生が圧倒的な疑問を呈していたのが、この価格決定の仕組みだ。
コレ>http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20130304


当方の意見としては、やはり「価格は原価で決まる」という部分が圧倒的に大きいと思う。
経済学で出てくるような、「一物一価」なる幻想は、殆どがアホみたいなデマであると考えている、ということも言っておこう。これは以前にも指摘した。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/258885da7578759177a48c7111f3311b


経済学理論でどうのとか言う連中は、商売を実際にやってみたらいいんじゃないか、と思うね。世界中で「物の値段はどこでも同じだ」とか本気で信じている人間は、頭がおかしいんじゃないかとしか思えない、ということである。

昔、日本がよく批判されたものに、「内外価格差」というものがあった。貿易摩擦でバッシングを受ける理由として、よく使われたものだ。
こういうことを言う人間も、同じく頭の少しおかしい理論バカ、みたいなものではないかな。例えば「日本とアメリカでは全く同じ値段で売られていないとおかしい」といった意見は、現実にあり得ないことを求めている愚か者の科白だと思える。

それなら、ウォルマートが世界中に展開している各国の店舗において、同じ商品が売られていれば、世界中のどの店舗で購入しても全部「同じ価格」ということになっているはずだろう。アメリカでも、メキシコでも、アルゼンチンでも、プエルトリコでも、全く同じ値段が付けられているか?(笑)
もしもそれが達成されていると言うのなら、是非とも実証で教えてほしい。アメリカでの価格が高く、メキシコでは安い、といった商品は果たして存在しないか?


また例で考えてみよう。
東京で100円で売られている商品があるとしよう。もしも海外業者が自分で東京で仕入れて、そこから先のコストは自分で負担する、ということなら、国内業者に100円で売られているものは、海外業者に対しても同じ100円で売れる。だが、日本の輸出品というのは、日本の業者が海外に販売網を構築して、日本が相手国に輸入手続きまで済ませたりして、「わざわざ持って行っている」=輸出しているわけだ。

そうすると、即分かるのは輸送・物流コストが当然上乗せされるであろう、ということになる。じゃあ、日本国内より海外の方が「必ず高くなるじゃないか」と考える人がいるかもしれない。


ところが、必ずそうとも言えないかもしれない。日本から完成品を輸出する場合であれば、生産コストは国内販売用と海外用では同じである。それ以外のコストに差が出来るわけであるが、海外販売時のコストは日本と同一ではない。


まず初期投資額が違う。東京に販売店ショールームを取得するのと、海外のどこかの街に作るのでは、必要な資金が異なる。その回収計画(年限)が同じであっても、建設コストや用地取得コストなどで違いが出る。
現地の税制や金利水準も違う。
他の大きな要因としては、現地雇用の人件費が違う。商品のコストに占める人件費率の大きさは、価格に決定的な影響を与えるだろう。或いは販売戦略として「高級路線」といったような場合だと、わざと高い価格設定にしていることもあるかもしれない(利益率が変更されている、ということかも?)。ドイツ車や欧州有名ブランド品などでは、日本国内の方がはるかに高い。米国価格よりも高い。


なので、賃金水準、土地等不動産の値段、税制、金利、等々が異なるなら、同じ商品を売っているとしても、価格が異なるのは普通であろう。それら諸条件を全くと同一にできない限り、一物一価は実現できない。日本よりも初期投資が少ないとか、人件費率や税金が低いなら、商品価格が日本よりも下がっている場合はあり得る、ということである。水道光熱費やエネルギーコストなんかも当然影響するだろう。


需給で厳密に価格が決まる、というほどでもないが、売れる数量というのは重要な意味を持つ。極端な例を挙げると、輸送費は1個運ぶのも100個運ぶのも同じであると、1個当たり輸送コストが価格に反映されることになるので、高くつく。「原価による」というのは、そういうことだ。


ここまでの小括としては、国内と国外での価格差があるのは(為替要因がないとしても)当たり前、ということである。諸条件が同一ではないから、というごく普通の話に行き着く。諸条件とは、輸送費等流通コスト、初期投資額、人件費、金利、エネルギー価格、税制、等々、である。経費に影響を与える全て、ということだ。


次に、完成品輸出ではなく、現地調達である場合を考えてみよう。
また例で考えるとして、たこ焼き屋を経営するとしよう。まず日本国内の店ではどうか。
日本で調達できるタコや小麦粉なんかの材料費が原価に大きく影響する。焼く際のガス調理機のガス代もかかる。原価というのは、そういう調達コストの積み上げによる、ということである。じゃあガス代はどうやって決まるんだ、ということになるが、それもガス販売業者の調達コストによるわけである。突き詰めてゆくと、掘削業者のコストにまで遡ることになる。コストより販売価格が低すぎる場合には、誰もガス田を掘らなくなる。

タコやガス代なんかだと、市場のセリのような価格決定の仕組みが効くので、価格変動は回数も多いし変動幅も(他商品に比べて)激しい、ということになる。それらは確かに需給で決まる、という面が強く出ている。
小麦も世界需給で価格が変動するわけだが、日本政府が一括で価格を決めているので、変動は年1回とかの小さいものだ。改定幅は小さいとは言えないかもしれないが、生鮮品やエネルギー価格に比べると、安定的と言えるだろう。


たこ焼き屋での1個の販売価格が仮に100円だとして、この販売価格をしょっちゅう変動させているか?
日々、売れた個数に応じて価格改定が行われているか?
たこ焼き屋の前に行列が出来ている時には、値段が急速にアップしてゆく、なんてことが現実に起こっているか?
需給で決まる、という説を妄信している人たちにとっては、そういう価格変動が起こらないと「オカシイ」と主張するのかもしれない(笑)。


たこ焼きの販売価格の決定は、基本的にコストの積み上げによる。これを下回ると営業できないので市場撤退となる。次に、競合との価格比較、といったことになるだろうか。この水準は利益率を大きく変える。あまり他よりも高いと競争に負けるし、競合代替品(お好み焼きとか?パンやピザ?)に奪われるかもしれない。なので「適度な値段」というのが設定される。


ここでも一番影響度が大きいのは人件費である。仮に上記販売価格100円のうち、賃金部分を固定して50円だとすると、原価が変動した部分は利益が緩衝することになる。価格改定の激しい生鮮品(タコやネギや生姜、ガス代など)の変動幅を吸収するのは、利益部分ということになるが、規模の経済が働いているはずなので(ある程度の量が売れると原価率は逓減するだろう)、需要量に影響される。コスト増加分を利益で吸収できればいいが、それを越えてしまうと人件費を削らざるを得なくなる。
日本のデフレは、そうした傾向があったのではないか、ということである。人件費率の大きい、こうした外食産業に代表されるようなサービス業での価格低下というのは、原価の低下だけではなく、人件費率の影響があったのではないかということである。


同じたこ焼き屋を海外でも出店する、という場合、初期投資額が違う、というのは前述したのと同じである。完成品輸出の場合と異なり、原材料を現地調達する場合には、原価は大幅に変わる。タコや小麦や野菜の安い国であると、日本では原価が30円だったものが5円とか10円くらいでも作れてしまうかもしれない。新興国なんかの物価水準の低い国であると、それは珍しいものではないだろう。原価が10円なら、同じ人件費率や利益率を乗せたとしても、安く価格を設定できる。利益額を同じくしたとしても、安くなるかもしれない。


現地調達であれば、完成品輸出よりもずっと価格差が出やすくなるだろう、ということである。

それは、つまり「ビッグマック指数」のようなバカげた話は、現実の世界では殆ど無意味である、ということでもある。「一物一価幻想」を強化する為の作り話でしかないのかもしれない。


マクドナルドのような原価の大きく動く商売で、もしも本当に世界中で同一価格が達成されるとすれば、かなりの「かっぱぎ」(笑)が行われた結果である、という意味である。日本で売られる200円の商品が、物価水準が5分の1くらいの国でも同一価格であるなら、現地人件費は相当低いはずであり、利幅がべら棒に多く取られているのであろうな、という話である。


いずれにせよ、生産原価と労働者の賃金が捻出できない場合には、市場から退出することになる。プライステイカーとしてのみ行動する、なんてことはほぼ想定できない。需給は価格決定要因として影響するが(大量仕入れで原価を下げる、などの効果がある)、改定率(頻度、値幅)はそう大きいわけではない。特に、川下に行くほど、改定はかなり少なくなるであろう。
上の原材料、エネルギー価格の改定は日々起こるし、変動幅もそれなりにあるので、需給が反映されやすい。その変動吸収が段々と困難になってしまったのが、日本のサービス業であった可能性がある。労働集約的であるが故に、人件費率が相対的に高く、原価率上昇を価格転嫁できないと人件費圧縮に繋がり易い、ということである。