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吉川洋東大教授の『デフレーション』について〜4.雇用の流動化

これまでの続きです。


90年代後半以降から社会の雰囲気が大きく変わっていきました。
それは、言わずと知れた金融危機に代表される、拙ブログで言う所の「97年ショック」というものです。


90年代前半までのバブル崩壊期というのは、それなりに「ああバブル崩壊だったね」ということで若干の落ち込みは感じてはいましたが、全部がそういうことであったというわけでもありませんでした。

例えば08年のリーマンショックの後みたいな、「天から空が降ってくるんじゃないか」的なカタストロフィ感はなかったように思います。だからこそ、株式市場の急落は90年に起こっていたし、株価は半分にまで落ちてしまっていても、そんなに言うほど大騒ぎをしている人たちはいなかったのではないかと思えます。

なので、新卒採用の拡大は93年まで続いていたはずなのですから。
フリーターなる言葉とポジションというのが登場してきたのも、丁度この頃であったように思います。


話が戻りますけれども、バブル崩壊と言われる90年とか91年くらいでも、まだ土地取引問題(土地転がしで値段を釣り上げているんだ、的な批判だったかなと思いますが、定かではありません)が法制化の俎上にあったわけですから。


95年の超円高という局面においてでも、ちょっと困ったねということはありましたが、そんなに言うほど絶望的ではなかったように記憶しています。世の中の多くの人々には、そんなに言うほどの直接的ダメージというのが実感されなかったはずですので。むしろ、「円高還元セール」と称して(いま問題視されている「消費税還元セール」を禁止せよ、みたいな話題だ)、バーゲンセールなんかが組まれていたはずです。


世の中の様相というか、空気が一変したのが、やはり、山一や拓銀破綻などの一連の金融機関破綻であったはずです。


それまで、公務員とか銀行員というのは、言ってみれば「鉄板」みたいな職業観があって、安全なイメージが定着していたから、と思います。それが、「一寸先は闇」のようなことが起こると、安全地帯というものが「実感できなくなる」ということだったと思います。


「リストラ」という用語を始めて耳にし始めたのも、丁度あの頃だったと思います。
そんな外来語だかは、殆ど知られていなかった。
けれど、90年代半ば以降に入ると、大手企業を中心にリストラだ、ということを盛んに言い始めた。特に、先鞭をつけたのは、ソニーだった。


外国人株主比率の高い会社であったソニーは、何でも欧米化みたいな感じで、米国式をどんどん入れていった。年俸制みたいなことも、日本企業にはかなり抵抗感のあった「人員整理」についても、障壁を取り壊す役目を担っていたようなものであった。

だから、ソニーのITバブルも偶然起こったわけではなかったはずだ。株式市場の主役として、常に振舞っていたのだった。



話を戻そう。
電機業界なんかを中心にリストラというのが推進されていったわけだが、銀行が潰れるとはそれまで誰も考えてこなかったので、受けた衝撃は大きかったはずだ。自分がいつ切られるか、どうなるのか、誰にも判らない、ということなのですから。



この少し前から、安定の代名詞とも言うべき公務員の世界でも変化が起こっていた。

ひとつは、「非公務員化」の流れであった。
公務員への批判がよく取り上げられ、公務員を減らせ、という傾向を産んでいたように思う。その先鞭となったのが、国立大学の改革であったろう。


大学院重点化ということから始まってはいたが、実質「ポスト削減」圧力として作用したのではないか。それまでどちらかといえば院生の多かった理系のポストは減らされ、一方では法学系や経済系の大学院というのが拡張的となっていった。後に続くのは、「国立大学法人化」であった。つまりは、非公務員化ということなのである。

これに類するのが、国立病院の改革だった。赤字だ、潰せの大合唱。そして、非公務員化と似たような「国立病院機構」という独法化となったわけである。いずれもポスト削減、というのが起こることはほぼ必然だったろう。


手がけたのは、良識や知性というものの集まっている部分を、踏み潰していったということである。


また、特殊法人整理というのも行われていったわけだが、これはまだ道半ばというところであろうか。実際、無駄の温床となってきたということはあるので、これを放置するわけにはいかなかったろう。統廃合を経て(官僚たちの猛烈な抵抗で看板を替えただけ、とか、無駄は温存したまま、というのは常套手段だったかもしれないが。このヘンは、みんなの党の渡辺さんに聞いてみては)、若干は縮小されていったろう。これもまた、雇用の不安定化の一因として作用したかもしれない。


省庁統廃合も行われた。
今の形になったのは、確か橋本政権時代だった。

こうした、省庁再編、独法化、国立大学・病院改革、等を通じて、非公務員化や公務員削減というのが達成されていった、ということである。
国家公務員共済の組合員数(長期経理対象=常用雇用で共済年金がもらえる対象者)で見ると、次のようになっていた。


年度   組合員(万人)
1996   112.37
1998   111.06
2000   111.92
2002   110.22
2004   108.61
2006   107.64
2008   105.34
2010   105.50


ほぼ減少という傾向であり、増加したのは2回(99年→00年、09年→10年)しかない。96年から09年までの数字で言えば、組合員数全体でも約115.1万人→約106.6万人と−8.42%の減少であった。



リストラの嵐、公務員切り、生保・銀行潰し、これらが一致して起こった時期は、90年代後半だった、ということである。これが雇用不安を増幅し、人々を極端な防御反応へと導いてゆくこととなったのだ。この恩恵を最大限に受けたのが、人材派遣会社のような「労働力搾取システム」だった、ということだ。
狙いは的中した、ということだろう。


人々にショックを与え、防衛反応へと駆り立てさせる。
それは、仕事にありつこうと殺到することで、悪条件の雇用条件にも応じるようになる、ということでもある。

もう亭主の稼ぎだけでは、食べてゆくのが苦しくなった、と多くの女性が実感したのだ。もう男には頼っていられない、と決意した女性が多くなっていったということだ。それは晩婚化の進展と、少子化の加速を生んだのであろう。


賃金の切り下げ圧力としても、当然作用してきたはずだ。
条件のよい雇用先(例えば公務員、銀行等金融機関)の数を減らして流動化させ、不安定雇用(請負、派遣、契約社員、パート、日雇い派遣など)へと追い込んでいったわけだから。

しかも、公務員や金融機関というのは、地方でも雇用先として存在できてきた職種であったものであるが、それがそぎ落とされていった、ということだ。こうした流れは、当然に地方公務員なんかにも波及したであろうことは、十分想像できるわけだ。


賃金低下要因として作用したはずだろう、ということである。
地方の緊縮財政化が図られた小泉政権時代以降には、それが加速したはずだろう。これら非公務員化と公務員バッシングによるポスト削減は、雇用条件悪化を後押しし、賃金切り崩しには役立ったはずだ。

すなわち、デフレ圧力として作用したであろう、ということである。