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吉川洋東大教授の『デフレーション』について〜6.デフレは97年の金融破壊から始まった

これまでの続きです。


デフレを定着させる要因というものに、賃金の問題というのがあったはずだ、というのが拙ブログでの見解である。ただ、発生のきっかけとなったのは、やはり「97年ショック」であり、これは意図的と言ってよいくらいの、「作られた危機」であったのではなかろうか、と思うわけである。


金融危機は偶然に発生してきたものではなかった。
疑わしいということで、過去の記事中にもそういう妄想を書いてきたわけであるが、今回の一連の記事を書いてゆくなかで、やはりそのことを再確認するに至った、というわけである。


とりあえず、民間金融機関の動向を見てみた。



日銀の銀行勘定の集計結果による(国内金融機関の資産・負債)。
(注):
1.貸出金=割引手形+貸付金
2.現金=現金(含切手手形)+預け金(含む譲渡性預け金)
3.単位は兆円



年  貸出金 株式  現金  預金
84  210  10.6  24.0   211
85  237  11.7  25.9   231
86  300  13.0  32.5   294
87  337  15.9  45.2   351
88  372  20.5  55.8   395
89  412  27.8  78.0   460
90  443  34.3  77.2   495
_________________
91  463  36.7  64.1   478
92  474  37.1  49.3   453
93  480  37.9  50.8   456
94  480  41.5  50.1   462
95  486  43.9  45.0   479
96  488  46.9  41.6   478
97  493  47.3  38.4   482
98  488  46.0  27.7   483



バブル頂点とも言うべき90年で前半と後半を分けてみた。いくつか気付いた点を書いてみたい。


①92年までのマネーサプライ低下の主原因は、預金急減では?

シリーズ中の3の回でも触れたが、郵貯金融債などへの急激な資金シフトがあったということが関係しているのではないか。
83年に195兆円だった預金額は、88年には395兆円とほぼ倍の200兆円も増加、90年には495兆円と更に100兆円も増加していた。かなりのハイペースで預金額が増加してきていたものが、91年−17兆円、92年−25兆円と急速に減少に転じた。2年で100兆円増加した所から逆に2年で42兆円も減少したのだから、マネーサプライの伸びに影響しなかったとは考えにくい。民間銀行―日銀という資金循環ネットワークから純粋にヴォリュームとして40兆円も消えた(約8.5%もの減少)わけであるから、マネーサプライ全体としても落ちるであろう、ということだ。


②91年以降も貸出額は増加していた(98年まで)

バブル崩壊と言われてはいたものの、銀行は機能していたというわけである。90年443兆円から97年の493兆円まで、何と50兆円も貸出額増加を支えていたというわけである。銀行預金残高が40兆円も減る中であってでさえ、企業への資金提供を続けていた、ということだ。従って、バブル崩壊が銀行の貸出機能をすぐさま奪ったというわけではなかった、ということである。これ以後、2004年の404兆円まで貸出残高は減っていったわけだ。97年を境にして、ということである。


③貸出が減ったのはノンバンク

バブル崩壊の影響を早期に受けていたのが、ノンバンク市場であったろう。住専問題というのもあったわけだが、貸金業者の信用供与額が減少を始めたのは91年からで、変化は直ぐにやってきた。
以前に貸金業関連の記事を書いていた時に長期統計を見ていたので記憶にあったわけである>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/b48fb5c576591b3b5ac84817b51abb12

金融庁の長期統計「貸金業者総貸付残高」によると、90年の総貸付残高は84.9兆円、うち事業者向け43.4兆円、リースが17.8兆円であった。これが95年には順に68.5兆円、35.8兆円、10.9兆円と減少し、98年には(97年は混乱の為か統計数値そのものがない)54.5兆円、26.7兆円、5.9兆円まで減ったのである。事業者向けで16.7兆円、リースは約3分の1まで市場縮小となる11.9兆円もの減少を記録した(両者で約29兆円の貸出減少)。

住専問題もあって貸出は減少傾向は避けられなかったかもしれないが、実質成長率は95年1.94%、96年2.61%と乗り切れそうな勢いを取り戻していた。預金残高低迷時期も呼応するように92〜94年は460兆円前後だったが、その後には増加へと回復の兆しを見せていたわけである。必ずしも銀行貸出が減ったのではなかった、ということである。


④銀行バランスシートは株価下落でそれほど傷んでない

思ったほど影響は少なかったのではないか、と思えるのが株価指数の下落だった。日経平均が半分くらいに落ちてしまっても、銀行の資産残高に占める株式のウェイトが大したことがなく、85年から約3倍に膨れ上がった90年でさえ僅か34.3兆円しか計上されていない。これが半分になってしまったかというと、全然違っていて、むしろ97年に向かって「増加していた」のだった。日本特有の会計制度の恩恵、ということであろうか(後述する)。貸出余力が株価下落で奪われたのではないかと思っていたのだが、現実にはそうではなかった。預金残高の純減の方が、はるかに影響度が大きかったはずだろう。


⑤影響が大きかったのは多分「手元流動性」では?

意外にも、資産中に占める株式の金額より現金の方がずっと大きかった。90年77.2兆円から、翌91年には64.1兆円、92年49.3兆円と急減。98年には約3分の1くらいの28兆円弱まで減少が続くこととなった。
92年までであると、預金が減少していた中で貸出残高を増加させていたわけで、手持ち現金の持ち高を減らさざるを得なかった、ということではないか。97〜98年では、短期資金を相当絞られて流動性が枯渇させられ、その資金手当てのできなかった拓銀は破綻処理ということにされたものと見られる。要するに、銀行が手持ちで持ってるキャッシュが減ってしまい、その資金手当がつかないと破綻処理ということになったわけである。
普通の企業でも見られる「運転資金枯渇」みたいなものである。製品在庫を抱えていても、健全時には通常の資産価値が認められバランスシート上でも資産計上されているわけだが、ひとたび破綻処理ということになってしまえば現金回収が優先される為に「資産劣化」は避け難くなるというわけだ。



以上のことから、

・銀行は97年まで貸出を維持していた
・株価下落より預金額減少の方が影響度が大きかった可能性
・92年までのマネーサプライ減少は預金額減少で説明可能
・ノンバンク貸出は91年から減少(マネーサプライ減少要因)
住専問題など処理を乗り越えて95、96年はプラス成長達成
・97〜98年の金融不安は手元資金減少による資金循環逼迫の可能性

などが言えよう。


言い換えると、金融破壊は意図的にもたらされて、それ以後日本の金融システムは機能低下状態に陥った、ということであろう。それがデフレの引き金を引いたのだ。

つまり、作られた危機、ということだ。
勿論作った連中とは、日本収奪作戦を考えてきた連中だった。本物のグリードどもだ。


ヤツらは、大挙して日本の金融市場に乗り込んできた。
新しい銀行システムを構築しようとやってきたのだよ。