怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

日本の金融システムはどのように破壊されていったか

昨日の記事に補足です。
後述すると言ったのに、まだ書いていませんでしたね。



当方の印象では、やはり最初の頃から同じでした。


参考:

05年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/86e3f2eebab0ac82859e869f5addb51d

08年5月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/d69462dce7fb0c8efa2e77e2e047fab6

09年6月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/234ecc65543be43a5f6c93b0d5a82fc0

11年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/afa5644de0833fdb90e28c97f12e1c47



どのように攻撃されたか、というのを書くことにする。


シリーズ中でも書いてきた通り、まずはルールを変更しよう、ということであった。”バーゼルⅠ”を適用することで自己資本規制を課し、日本の主要銀行の足枷としようと画策したわけである。

これが導入されたことで、銀行貸出はそれまでの伸び率より低下したものの、貸出残高そのものが急減するところまでは行かなかった。不動産、建設、リースやノンバンクといった部門では、バブル崩壊で倒産が出たりもしたが、不良債権ということで言えば、そう大騒ぎする程にはなっていなかった。
貸倒引当金は、単年で4〜5兆円程度であった。


住専問題と大騒ぎされた94〜95年くらいの時期でも、住専不良債権額は約6〜7兆円程度で、銀行本体の経営を傾かせるほどの影響度はなかっただろう。民間銀行の任意積立金の合計額は15〜20兆円規模で存在していたので、全額破綻処理だったとしても、どうにかできる水準であったろう。

不良債権を大袈裟に取り上げることで、監督官庁の責任問題へと繋げたい、という思惑があった為であろう。生保会社の破綻とか、地方の信組などの破綻はあったものの、日本全体の金融システムを揺るがせるような問題とはなっていなかった。


日本は、住専問題も乗り切ってしまったのだった。そこで95年の「超円高」演出という為替攻撃が行われたわけであるが、これも決算は無事に過ぎたのだった。内需が好調だったお陰だ。96年には2%超えの実質成長率を記録し、近年で言えばほぼ絶好調、ということだろう。
94年くらいであると、景気対策の必要性が叫ばれて財政出動があったことと、郵貯に大量にシフトした資金は、偶然にも預託金等となって「財政投融資資金」的役回りで「ハコモノ」公共事業に投下されたので成長率維持に一役買っていたであろう(苦境の建設業界なんかには乾天の慈雨となったかも)。

8%という自己資本規制=バーゼルⅠのルール変更、ノンバンク&住専破綻、超円高という為替攻撃、これらを全て耐え切った、ということだ。
この頃には、「格付け」ビジネスというのが日本でも知られるようになっており、「トリプルA」の宣伝文句が広告に踊るようになっていった。破綻した生保や証券会社や地方信金等は、格付け低下の生贄的な存在だったろう。

次の攻撃手段はこれだった。
「格付け引き下げ」攻撃、だった。
けれども、日本国民の多くはそういうのを目にしてもパニックに陥ることなく、多くの金融機関で取り付け騒ぎのようなことにもならなかった。預金引き揚げの動きなんかも、そんなに言うほど目立ってはいなかった。せいぜい郵貯に流れるくらいであった。

外資系保険会社が日本市場に上陸したものの、圧倒的大多数の日本人はそれら外資系保険会社を選択するようになっていなかった。


侵略側は、日本の銀行を攻撃するのに、貸出先(ないし出資先)であるノンバンクや住専を破綻させれば、不良債権額がもっと多額になって銀行が潰れるのではないかと期待していたのだろう。
だが、何故か銀行は破綻しそうにもなかったわけである。
どうしてか?

銀行の決算を研究していたのが、恐らく米国の会計士や弁護士なんかだったから、であろう。
彼らは、日本式の帳簿の見方というのを”知らなかった”のだろう。


日本の銀行は、どこからカネを調達しているのだろう?
彼らには、当初判らなかった。
日本では「含み益」経営というものがあったから、だろう。日本では完全な時価評価会計ではなくて、低価法だったはずだ。簿価に記載されている数字は、取得時の低い価格のままでもよかった、ということだ。すなわち、株式1000株があっても、取得時100円なら簿価は10万円だったが、たった今市場で売却しキャッシュアウトすれば10倍の一株1000円で合計100万円分の資産となる、というような仕組みがあったのである。

だから、貸倒引当金が増大しても、益出し売りでいくらかは補うことが出来ていたのである。その含み益水準というのが「開示情報」だけからはよく判らなかったのである。つまり、日本の銀行群を攻略しようと目論んでいた連中は、日本の銀行がどこからともなくカネを用意できてしまうカラクリに当初気付けなかったのだ。彼らは後に「会計制度が悪い」と言って非難し、米国式会計に全部改めろ、そうじゃないとオレらが攻略法を研究できないから、ということだな。会計制度が問題視されたので、大変革へと繋がっていったのだ。


こうして、彼らのアテが外れたというわけである。94年まで、バブル崩壊を耐え切ったことが、許し難かった。そうして次に「通貨攻撃」が仕組まれたものと思われる。が、この時にも、どうということもなく超えた。輸出比率はGDP比でそんなに大きかったわけではないから、だ(ただ半導体協定なんかの交渉では意味があったのかもしれない)。


少なくとも96年時点までだと、苦しみながらも危機は乗り越えてきていた、ということだ。


さて、侵略側は日本の金融界にどうしても火の手を上げたかったので、政治的な工作も当然やったわけである。リクルート事件、佐川急便事件などで政治家を撃ち落としていくという、これまでと同じ手法が取られたわけである。検察権力を動員して、邪魔な政治家を排除してゆくことを実行していった。

そうして自民下野で細川政権が誕生することになったわけだが、政治家が変わっても日本の銀行や企業群はそれなりに耐える力を残していたわけだ。霞が関の「対抗勢力」も依然として残っていた。


そして、もっと直接的で強力な手段を取らねば、日本の銀行を倒したり企業破綻を演出することは難しい、と悟った侵略側は、日本の官僚機構の頂点であり牙城であったところの「大蔵省」攻撃へと焦点を絞ったわけだ。「ノーパンしゃぶしゃぶ」とか大蔵官僚攻撃というのが、毎日毎日ワイドショーネタとして取り上げられていった。薬害エイズ問題で厚生省の隠蔽などが取り沙汰され、霞が関官僚への信頼を失っていた後だったこともあり、大蔵解体すべしのマスコミ工作で世論喚起に成功した。


こうして、金融庁分離が成功し、大蔵の支配下から銀行や生保・損保を奪い去ったわけだ。日銀も同じく、規制庁としての実質的権限を失ったのである。


グリード達の前に、大蔵・日銀の庇護が失われた日本の銀行や生保が剥き出しのまま生贄として差し出された瞬間だった。

銀行は、メインバンクとしてこれまで貸出先企業を支えてきたわけだが、それが「ゾンビに追い貸しだ」として糾弾された。そうした批判は、必ずしも妥当ではなかった。だったら、GMなんか絶対に救済すべきではなかったろう。JALだって同じ。しかし、97年以前の世界においては、日本がどんなことをやろうとも批判されるだけであったのだ。倒産させて解体するといったような、ドラスティックな処理をすることの方がはるかに資産価値を失わせるものであったのだ。


要するに、大蔵解体と日銀分離(独立性という錦の御旗だ)によって、銀行を守るシステムそのものがなくなったということだ。
侵略側の手に落ちた日銀は、銀行への資金供給を絞ることを選択させられたのだ。


短期資金のやりくりに逼迫した銀行や企業には、カネを回せる余裕のある人間は誰もいなくなった、ということである。日銀の最後の貸し手機能が殆ど喪失させられてしまって、つなぎ融資さえも止まれば、借換ができなくなった企業は倒れるよりないわけである。

こうした資金繰りをわざと邪魔する動きは、海外金融機関が日本の銀行に対して資金を出さないという「国際イジメ」を呼んだのだ。これを称して「ジャパンプレミアム」というらしい。
運用部ショックとか言われた事件があったはずだが、あれもどうせ米国系の金融機関の救済に関わるあれこれか何かがあって、従米派官僚たちを動員してヤラセたものではないかと疑っているわけである。LTCM破綻での処理規模は、数十兆円に上っていたはずで、その一部を日本に肩代わりさせようということで、演出されたものであろう。谷垣財務相時代の「巨額為替介入」と同じようなものだ、ということ。


90年代末の金融機関破綻は、喩えて言うと、病気の塞栓症みたいなものだ。
しかも、その塞栓の原因は「意図的な」血管結紮に匹敵するようなもので、ワザと血流が途絶えさせられた、というわけである。


90年代に終わったかに見えた不良債権問題を再びほじくり返したのは、竹中だった。不良債権の分類基準を変更して、引当額を積み増しさせるとか、繰延税金資産などを巡って会計上の数字を問題にする、というような帳簿の問題を持ち出してきたわけだ。
02〜03年の不良債権処理問題というのは、同じく演出によって作られたものだった、ということである。十分奪い取ることができなかったグリード連中は、金融庁と会計事務所を制圧して、再び金融機関に襲いかかってきた、ということだ。


りそな、新生銀行あおぞら銀行というのは、こうして産み落とされた、ということである。


瀕死でもまだ死んでなかった病人に「お前は既に死んでいる」と勝手にレッテルを張り、資金を引き揚げさせて無理矢理破綻処理させられたわけだから、それは死体の山が築かれようというものだ。


竹中はかつて言った。
官製不況だ!」

竹中らがやったことは、まさに「政策デフレ」だったわけだ。


金融庁トップの人間というのも、当然にその筋から生じた人間であったろう。ゴミとかいう人間は、役回りを演じてくれたし便利な人材だったのだろう。公認会計事務所の分割・変遷みたいなものは、偶然に生じたわけではないのだよ。


生き延びた企業群の中には、手持ち資金枯渇で淘汰された企業を知っている人間がおり、そうすると豊富に現金を持っていようとも「使おう」という気になどなれない、というのも頷ける。

そうやって無理矢理倒されていった会社を知っているから、だ。カネを何処からも回してもらえず、潰された姿を見てきたからだ。だからこそ、カネを使わない。それが借入需要を減退させ、デフレを後押しすることになってきたわけである。



こんな目に遭ってきたのに、未だに「TPPを推進しよう」と言って日本を差し出すことに同意しているのだ。

日本の企業は、戦うのを恐れている。
これほどの屈辱を味わっておきながら、どうして戦おうとしないんだ。


第二次大戦で敗戦し、金融戦争でも敗戦させられたんだぞ。
電機・半導体戦争でも敗戦させられたんだぞ。


そして、また屈辱を受け入れて「敗戦を望む」というのがTPPなんだぞ。


どこまで愚かな国なのか。