怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

デフレと無能経済「ナントカ」

アカ上げて、アカ下げないで、青下げる!!

とかいう、宴会ゲームみたいになってきましたが、「消費税上げ」て「法人税下げ」るの、まさしく『三木谷路線』とでも言うべき「新興・新自由主義者」勢力の影響を大いに受けた結果なのかもしれない。


ま、なんだな。
カス自民が3党合意で「何が何でも増税だ」を財務省の振り付けで実現してきたわけで、今更ここで翻すわけにもいかない、という事情があるだろう。


本当に注意すべきは、「後戻り」であり、ようやくデフレ脱却の兆しが表れてきた時になって、その流れを断ち切るが如き経済失政である。安倍政権は持たない、ということになる。


長年定着してきてしまったデフレ体質は、そう簡単には抜け出せないぞ。
効果が出てきたなら、それを「定着」させる為に維持しないとならない。需要減で再びGDPデフレーター低下になれば、プラス圏からマイナス圏へ逆戻りとなりかねない、ということは覚悟しておくべきだろう。

企業にいくら金を持たせても、これまで「良いことなど起こってこなかった」というのが、98年〜現在までの姿である。


それから、これね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-9156.html



賃金要因の話だが、前に「吉川本」関連の記事でも書いた。
http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/72ddfdab9c1296d95ef576487defe9bf


参考過去記事:


05年11月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e9ad82833300f7065952a5e90d19cb97

07年1月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/79579c186c289b0dff2c31699f53bf2a

08年12月
14日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e179ca8769b762aab3e0e6408f4354b6
15日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/98c6469927dd600664891e14bf5e5a7d
24日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/939ce58b9dab0ad38fd85ee348766e6c


要するに、当方の主張など、ほぼ無意味だったのだよ。
専門家たちの中に、同じ考えが浸透したりしなかったから、だ。当時には主流派は全然違っていたのだからな。


経済学への興味など持ったことなんかなかったが、ブログを書き始めて段々と知るようになったわけだ。大体1年くらい書いた時期のが05年の記事である。デフレに関する論争のようなものは、98年くらいから行われていたであろうから、そうすると、既に7〜8年は経過していたわけである。


その時点で見た、当方のようなド素人が持つ感想や意見というものについて、他の何百人か数千人規模で存在するであろう、経済学徒とか「経済ナントカ」みたいな肩書きの人間たちとか、実務家(投資、金融等々)たちといった多くの人たちは、どうして素人程度のことさえ考えることができなかったのであろうか?


勿論、誰一人として存在しなかったわけではないだろうが、世間での「主流な意見」としては全く存在してなかったも同然だった。


「りふれは」たちの多くも、量的緩和なんか無駄だ・金融緩和をやれ、みたいな、定型的なお題目だけを言い続けていた連中だったろう。「インタゲしろ」とだけ言うが、それで現実の経済は何がどうなるか、実務上はどう「政策」として実行・行動すべきなのか、ということを、殆ど誰も言ってなかった。

例えば最低賃金引き上げなんかも、飯田泰之に代表される近代経済学信奉者たちは、ほぼ全否定と言ってよいだろう。それは「上限金利」問題でも同じ発想だからだ。金利や賃金というのは、需給によって決まるものであり、政策的にどうこうしようというものではない、という非常に「強固な信念」を有し、その経済学理論に基づいた政策以外を徹底糾弾し攻撃する、というのが、彼らの典型的な思考及び態度だからである。だから、労働政策・雇用政策や最低賃金引き上げ、という論点は、ヤツらの頭の中では基本的に無関係なものであり、それらの話をするのは「金融政策を知らないバカども」というのが彼らの信条だった。


つまりは、池田信夫であろうと、日銀擁護派たちだろうと、日銀徹底攻撃の「りふれは」たちだろうと、大して違いなどないということ。一見すると、日銀の政策変更を促していた「りふれは」というのは、経済学的な理屈に基づいて正しい意見を言うのかと思いきや、実際はそうでもない。池田信夫と同じ穴の狢である、ということだ。

上限金利問題、TPP関連の自由貿易問題、最低賃金問題、雇用問題、デフレ問題、というのは、実は同一線上にあって、要するに経済学の理屈をどう適用し判断し実際の現象面を考えるか、ということなのである。それが「まともにできる」経済学界など、日本には殆ど存在しておらず、可能性のある人たちは僅かにいるかもしれないが、そういう「まともな人」というのは決して世間の主流派にはなれない、ということなんだろう。


現在の日銀のバランスシート、及び当預残高水準については、これをきちんと評価しない(いいのか、悪いのか、足りてないのか、多すぎなのか、はたまた効果として無効なのか、実際上政策効果がどういう部分にどのような機序で発揮されているか、etc)のが、本当に不思議だ。

日銀をあれほど罵倒し批判してきた連中が、今の日銀の政策について検証をしようともしない、その姿勢には本当に驚くわけだよ。まともな経済学的論説など、ほぼ見かけたことがない。


ド素人でさえ1年か2年程度で辿りつけそうな話なのに、何年も何年も愚かなことが継続されるだけなのである。その無能さが、本当に謎であり、現時点においてでさえ、現実の数字を拾って、事前予測とどう違うか、それとも予想に合致しているのか、検討されたものが出されてこない、ということがその無能さを実証しているだろう。


例えば、拙ブログでは「金融機関の国債保有」と競合して日銀が買え、ということを書いてきたわけである。それは、現実の数字として国債保有残高減少となっているなら、整合的であろう、という推測ができるわけである。事前の理屈と、政策実行後の現象面とが、「同じようになっている」のなら、政策提言は無意味ではなかったかもしれない、と考える。

しかし、事前の説明と違っているなら、それはどうしてなのか、何故違うのか、或いは「違う」という評価そのものが観察期間の違いなどによるもので「まだ”違う”とは言えない」ものなのかもしれないし、そういうことを考えるのが学問なんじゃないのか?


一体全体、何のために経済学者とやらが存在するんだよ。


本当に、心の底から、そう思うわ。


役立たずの無能ばかり揃っているから、こんな日本だった、ということなのであろうな、と。