怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

検察審査会議は、これを公開しない。

日本は真の意味において、狂気の国である。
知るべきことが不当に邪魔されて、知ることができなくなっているのである。これに加担しているのは、大手マスコミなのだ。本来追及すべき立場にあるマスコミが権力サイドと結託して、あらゆる出鱈目を許してきたのである。


特定秘密保護法案が内閣の命運を賭けるほどの緊急性・必要性があるのかと言えば、それは違うだろう。この法が制定されずとも、国民は何ら困らない。もっと急ぐべきことはあるのに、どういうわけだか、この法の成立を必死でやっているわけだ。


どうしてそうなるか、というと、安倍政権誕生を支えたものがそういうものであったのなら、手下の安倍総理としては逆らえず、何が何でも言うことを聞いて成立させねばならない、ということになるわけだな。ほら、映画やドラマなんかでも、よく悪事を働く連中の支配関係というのがあるでしょう?
「こいつをさっさと始末しろ、さもないとお前はどうなるか分かってるな?」
みたいな。


下っ端は、親分の言いつけには逆らえないわけ。
守れないと、消されるから。なので、必死でやり遂げようとするわけだ。映画なんかであれば、ヒーローがそういうのを撃退したりするけど、現実社会は違う。


自分の権力基盤を支える部分に関係しているのであれば、何が何でもやらねばならない、という行動に出るのは当然だし、よく分かる反応でしょう?
だから、これほどまでに強行突破にこだわるわけだ。


本題に入ろう。

これまでの日本において、いくらでも特定のことを隠してきたんだよ。その顕著な例が検察審査会法だ。


26条の条文が、タイトルにある通りである。
そうすると、官僚どもはこれをいくらでも拡大解釈するし、こじつけだろうと情報を隠す盾として、都合良く利用するのである。


法務省刑事局長も、最高裁事務総局刑事局長も、いずれもこの26条を根拠として、検察審査会のあらゆる情報の開示を拒否できたのである。東京第五検察審査会事務局長なんて、「検察審査会議」ではないだろう?だが、この人物の開示を拒めるし、参考人招致もさせないのだ。
審査会の生年月日のうち、生まれ年の開示もできないし何月生まれかも開示できないと拒否できてしまうのだよ。それを改めさせる方法は、日本には存在していない、ということだ。誰にも覆せない。こんな国があるか?まさしく狂気。民主国家ではないんじゃないか、としか思えないわけだ。


さて、今後、更にこうした開示拒否の「法の盾」らしきものを与えよう、というのが特定秘密保護法案なのだよ。これがどんな未来をもたらすか?
東京第五検察審査会の出鱈目が何故守り通せたかといえば、何でもかんでも「秘密にできる」という捏造の特権のお陰だった、ということ。

それと同じことが、何度でも繰り返されることになるだろう。