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続・原子力規制委員会に関する池田信夫の無知

4)「憲法第39条で禁じている法の遡及適用」は不当

基本的に不遡及原則がある、というのは当たり前の話だ。しかし、行政が事後的に基準変更を行うことが絶対禁止行為とされているかどうか、というのは別問題である。昔にある構築物を建設したことをもって、現在になって「建設してはならない」として、事後的に刑罰を与えるとなれば、それは憲法違反だということにはなるが、原発基準はそうではない。

建築基準を例示して、最新の耐震基準に満たない建築物は有無を言わせず取り壊しさせるようなもの、みたいなことを言ってるが、誤認を与えるものである。いくつか反論を書いておく。


建築基準法の適用となるのは、一般個人の家屋も全て含まれる。よって、建築物を全部申請し直させて、基準不適合を理由として取り壊しなどを実施するとなれば、社会的影響の範囲は非常に大きいと言わざるを得ない。しかし、現実の法の運用はそうなっていない。何故かと言えば、影響が広範囲に及ぶから、であろう。ただ、新規建築物件については、新たな基準を適用しているのであるから、法改正や新基準適用自体は問題ない。


新基準を適用した結果、従前の許認可を認めない場合というのもある。
例えば、運転免許の更新だ。特に高齢者なんかであれば、昭和35年の立法時点での条件というのは、現在と違うということになる。当時になかった条件を課せられるのはおかしい、という理屈は出ないわけではないかもしれないが、昔に有効だったから、ということで免許更新を許してしまうと重大な事故を発生させたり、本来守られるべき「他人の利益」が侵害される事態を生ずるならば、事前に規制することも止むを得ないと考えるべきである。しかも臨時適性検査対象者は、圧倒的に少数派であるから、影響範囲は限定的であるはずだ。

免許取得時には存在していなかった適性検査実施条件を、現在に適用されるのはおかしいという理屈は、誰の法益も侵害しないか法益侵害の程度が軽微に収まるであろうことが推測されるなら、不遡及原則を優先してもいいかもしれない。


他には、自動車の排ガス規制がある。
一般人の有する車両については、新基準以下の車両の車検を全て認めないといった運用にはなっていない。しかし、事業者の場合であると、別の規制によって車検更新を認めないとする運用もあるわけである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E3%81%8B%E3%82%89%E6%8E%92%E5%87%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%AA%92%E7%B4%A0%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%89%A9%E5%8F%8A%E3%81%B3%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%8A%B6%E7%89%A9%E8%B3%AA%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%AE%9A%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%B7%8F%E9%87%8F%E3%81%AE%E5%89%8A%E6%B8%9B%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%8E%AA%E7%BD%AE%E6%B3%95

こうした車種規制ばかりではなく、走行自体を規制する運行規制もあるわけであり、事業者への規制は全国民への規制と異なり、実施可能性や影響範囲が限定されることなどから、行われているものと考える。全ての国民所有の車両について網羅的に新基準以外の申請を認めない、といった運用とは違うのである。

これらを不遡及原則に反するので違憲だ、というのは、かなり疑問である。


更に、建築基準法の耐震基準が古い場合に、最も危険性が高いのは当該建築物の所有者なり居住者であることが多いはずであろう。地震による建物倒壊などが発生しても、法益侵害は自分になるであろうことが推測されるわけだ。勿論、近隣住民に迷惑をかけたり、被害を与えることがあるかもしれない。が、実際の被害状況においてそうした事例が稀とか少ないなら、旧基準の建築物を全部撤去させるデメリットと残した場合の地震被害により他人に与える被害とを比較検討することになるわけであり、全部を取り壊すには及ばないとする判断があっても不思議ではないだろう。

賃貸マンションなどや中古物件売買などもあるわけだが、耐震基準に不安のある人は事前にそうした旧基準物件を回避できる余地があるのだ。重要事項説明書などにおいても、説明を求めることができるのである。故に、旧基準でもいいよ、という人のみがそれを選択しているのであって、それは地震被害による自己の法益侵害よりも低価格等のメリット享受を優先した結果である。つまりは、自己決定の機会があることと、その決定を行うにあたっての基準の適合度について判断できるだけの情報開示なり提供が行われているのである。


原子炉が果たして、そういう自己決定可能なものとなっているか?
判断に必要な情報開示が行われているか?


そうなっていない。
なので、事業者に対しての規制というのが行われるわけである。規制される事業者数は、非常に少ない。9社しかないのだから。


また、損害賠償のことを考えてみよう。
原発の技術水準が昔の古いままであると、行政の不作為が違法とされる可能性が高いだろう。薬物規制についての考え方にも似ていて、現在の知見があるにも関わらず、危険性のある薬物を認可当時のままの規制水準で放置した場合には、行政の不作為を問われることになるであろう。普通に考えると、危険性のあるものについては、最新の知見に基づいて製薬会社への規制水準を更新すべき、ということだ。これを不遡及原則に反するので違憲だと言い張ると?
モデルガンの規制についても、殺傷能力の高いものについては、基準変更となり所持規制が行われたわけである。昔には存在しなかった規制基準によって、購入当時は問題にされなかったモデルガンが違法とされるわけだ。これも、規制しないことによる犯罪被害の拡大と、規制することによる愛好家の不利益との比較ということになるわけだ。これが違憲だとする意見は出会ったことがない。


原発事故によって法益侵害は広範に及ぶことは確実であり、最新の知見を反映しないことによる不法行為責任は当然事業者に問われるべきである。最新基準にしていたけれども事故を防げなかった、という場合、過失は存在しないかもしれないが被害は与えていることに変わりはないわけだが。設置許可時点での技術水準適用で事業者が得る利益と、最新技術・知見反映でないことによる被害拡大の不利益では、比較にならないだろう。圧倒的に事故被害の方が大きい。そこに新基準適用で蒙る事業者の不利益を優先させる理由など、存在していない。


池田がいくら違憲だと言ってみても、その言い分を保護すべき理由は全く思いつかない。彼はただ発言してみただけだろう。法の遡及、不遡及というのは、全部の法律に共通する絶対則なんかじゃないのだよ。限定的な人たちの法益を保護するよりも、圧倒的大多数の法益保護が優先されることは、世の中には存在している、ということだ。

憲法違反だって?
だったら、そう提訴してみろ。最高裁まで行けば、答えてくれることだろう。