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川内原発運転差止仮処分事件に見る裁判所の異状〜3

4)川内原発運転差止に関する鹿児島地裁の判断

まず、鹿児島地裁の出した決定要旨を新聞上で読んだ感想として、裁判官は合理と不合理の区別すら持ち合わせないのだな、ということだ。前田裁判長の出した答えは、ただの決めつけである。言ってみれば、根底から誤っていると言えよう。このような体質は、地裁に限ったものではなく、最高裁判事を筆頭として、そもそも単なる決めつけで木で鼻を括ったような「法律審としての当審の性格、事案の内容、訴訟の経緯等にかんがみ、右判断を左右するものではない」と有無を言わせず消し去れるわけだから、簡単なんだよ。
裁判官は、俺がルールだ、と宣言することなぞ、朝飯前なんだから。たった一言「これが正しい」「合理的である」と言い切ればよいだけだから、だ。


裁判所における判断とは一体何か?判断の基礎となるものは何か?
日本の裁判官は、それを全く欠いているにも関わらず、何らの罰を受けるわけでもなく非難されるわけでもなく、逆に権力に平伏せば立身出世の道が開ける、と。


また喩えで言ってみますか?
専門家「彼は血液型はABだ」
裁判官「「彼の血液型がABである」という専門家の意見は不合理とは言えない、何故なら俺がそう言うからだ」

こんな屁理屈が通用するんですよ、日本の司法というのは。何故裁判官が不合理と言えないと判断したか、ということの理由の説明も根拠の明示もないのに、俺がそう言うので不合理とは言えない=合理的と考えるので合法だ、という「こじつけ論」しかないのですから。

唯一ある根拠とは「専門家が言うので、正しい」の一点張り。原告、被告のいずれの主張を、どうして採用するに至ったか、ということの根拠や説明がないのである。


伊方原発最高裁判例において、『現在の科学技術水準に照らし、…右調査審議において用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が右の具体的審査基準に適合するとした…判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、被告行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、…原子炉設置許可処分は違法と解するべき』と判示されたからといって、原子炉運転を漫然と許容できることの根拠とはなり得ない。


92年の最高裁判決当時における判断は、国内における甚大な原発事故を一度も目にせず、経験したこともなく、重大事故の被害程度についての想像すらできなかった下で行われたものであって、最新の知見が反映されたものでは到底ありえない。原発事故が現実のものとなり、不可逆的かつ劇的変化を広範囲に与えた他、多大な国民に被害をもたらした上、事業者が賠償不可能なほどの経済損失を与えたことは明らかである。



以下に鹿児島地裁の決定が不当であることを、個別の論点について書く。



ア)基準地震動の基準値が不合理であること


実際に観測された加速度に基づき基準が策定されるべき。モデルは設置以前から存在してきたものであり、モデルの正確性や妥当性の証明は安全性の担保に十分であったとは言えない(ハズレが確実に存在してきたから)。

厳格な基準値を採用してはならない、とする理由が行政庁から立証されたことは明らかでない。立証が尽くされていない場合、不合理な点があることが事実上推認される(伊方原発最高裁判例)。基準値が200ガルでよいとする場合と、500ガルや1000ガルとする場合では、被害発生の可能性ないし損害程度が200ガル基準より後者が優れており、これを採用するわけである。ならば、2000ガルや4000ガル基準がもっと優れているのであれば、これらを採用しないという明白かつ具体的な理由が欠けている。


より耐性があって、安全性の高い基準が採用されるべきなのは言うまでもなく、その達成が困難であって実現不可能な水準だから基準として妥当でないとするなら、そもそも他に代替手段が存在する場合には経済合理性に欠け、これより優先すべき理由もなく、なおかつ放射性物質による甚大な被害がもたらされない手段を採用すべきなのは言うまでもない。


少なくとも、現実に観測された結果に基づく基準を適用することが不合理であるとする立論は存在せず、行政庁からの主張では立証が尽くされたものとは言えない。ひとたび重大事故が発生すれば、取り返しのつかない事態を招くことは明白であり、これを防げる可能性として、例えば事故による放射性物質漏洩となる確率が10%、1%、0.1%であるなら、0.1%を採用するのが当然なのであって、この選択に異論がないにも関わらず、仮に0.1%と0.05%の比較においては0.05%を採用できないとするなら、この理由について十分な立証がないことは許容されるものでない。


すなわち0.1%と0.05%の比較衡量において後者を採り得ることができないという具体的、合理的理由を立証できないならば、立証不尽につき不合理な点があるということが事実上推認されるのであるから、鹿児島地裁が指摘した不合理な点がないとする決定は誤りである。
2000ガルへの耐性を持つ原子力施設の方が、800ガルのそれと比して重大な事故災害を招来する可能性が小さいことが事実である時、「何故2000ガルを採用しないか」という点について立証できない限り、不合理な点の存在は払拭されることはない。



イ)放射性物質放出を「相当程度防げる」という判断の不合理


地裁決定では、つまるところ専門家の手によって、高度な手法のモデルによる計算結果を得たのだからこれが正しい、とするものである。そして、地震事故による漏洩は相当程度防げる、と述べたわけである。これは過去の事実から見て、その通りなのであって、日本で発生したM6以上の地震に対して、殆どの場合には原子力発電所は漏洩事故を起こすことがなかったのであるから、裁判官の認識の水準が不明ではあるものの「相当程度防げた」と言うことができよう。しかしながら、重大事故が発生したことも事実であって、原状回復困難な事態を招いたことは決して看過されるべきではない。


ここに、治療法A及び治療法Bがある。

治療法Aは退院までの期間が10日だが、1%以下の稀な確率で出血多量となる危険性がある。一方、治療法Bは退院まで30日かかってしまうが、出血を伴う手技を用いないので出血の危険性が皆無であるとする。
このような場合、患者にとって出血多量が極めて深刻な致死的事態をもたらすことが明らかであれば、治療法Aを選択することが優先されるべき特別の理由がない限り、治療法Bという代替手段を採ればよいだけであり、その選択権は患者にあるべきだ。

非常に確率が小さいが、致死的事態となる出血があることは、既に実証されているのであって、しかも直近に行われた治療法Aの結果が致死的出血だったのであるから、ここで治療法Aを再度実施することの利益が果たしてあるのかどうか、治療法Bの選択が否定されるのは何故なのか、合理的な立証を必要とするのは当然であろう。

考えられ得るのは、他の代替手段が存在しないとか、治療法Aの実施による不利益を上回る患者利益を期待せざるを得ないということであり、最終的な決定権は患者に委ねられるべきものである。


同様に、事故による放射性物質放出を防げる発電方法が存在しないわけではない。治療法Aの出血が発生する確率がいくらか、出血量は10ml以下が何%で100ml以上が何%で最大許容出血量は何mlが妥当か、などといった細部の技術的問題なのではなく、治療法選択の問題なのである。

伊方原発最高裁判決はそうした考え方を封じ込める為に生み出された「土俵」規範のようなものであって、司法の役割の放棄であり、行政権への盲目的服従に等しいものである。


裁判官たちに、この条文をよく読むようお願いする。

(再掲)


裁判事務心得 第四条  

一裁判官ノ裁判シタル言渡ヲ以テ将来ニ例行スル一般ノ定規トスルコトヲ得ス