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【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

川内原発運転差止仮処分事件に見る裁判所の異状〜2

2)原子力行政に関わる専門家たちの意見は信頼に足るか?


信頼できるという水準には、到底ない。
理由は、前の記事でも述べた柏崎刈羽原発事故のことが、まずある。
事前想定を超える地震動は現実に観測され、しかも一度や二度ではない。東日本大震災においても、女川、福島第一及び第二、広野等でも設計前想定値を超えていた。自然には起こり得ない水準、と謳っていたのに、全然違ったということだ。


更に、福島原発事故の時のことを思い出すがよい。
5重の防御だから大丈夫だ、と宣言していたのは専門家たちだった。原子力・安全保安院も、東電も、大学教授も、1号機の水素爆発が起こった後ですら「メルトダウンはしてない」「格納容器は壊れてない」と言い張っていたではないか。
最初から嘘つきという連中なのに、これをどう信頼せよ、と?
爆発した1号機を水棺にするべく水を入れてますが、どういうわけだか水で満たされません、って、穴が開いているからに他ならないにも関わらず「格納容器は健全だ、レベル4程度に過ぎない」と言い張っていたような連中なんだぞ。


こんな愚かな連中の言い草を、どうやって信じよと?
これが専門家集団の正体なんだろうよ。


もしも真の専門家であれば、科学的・専門技術的見地から正しい判断・対策・実行方法等を指示説明でき、それを実現できていたことだろう。
柏崎刈羽だけでなく、もんじゅも壊れることがなかっただろうし、福島第一のような惨状を招くこともなかったろう。


そして、事故後の「最新の科学的・専門技術的知見」に基づいて専門家たちが1号機に投入した観測ロボットは、回収すらできない、と。2台とも「ミイラ盗りがミイラ」状態になった、と。核燃料がどこにどのように存在するかの説明すら、誰にもできない、と。
汚染水が建屋の外へと「漏れ漏れ詐欺」みたいに、漏れてゆくのも、建屋のコンクリートは健全でどこにも穴がないけど、何故か漏れるわけですね?(笑)


例えば地下1階、地上3階建の住居があって、地下に雨水が流れ込んだら、コンクリートで囲われているからどこにも漏れがないので水があふれるんだわ。水の流れ込んだ経路を完全シールすれば、水を注入し続けると建物全体が水で一杯になるんですよ。だってコンクリートですから。ましてや、漏洩の危険性を考慮して気密性が最も求められるであろう核施設が、コンクリートのどこに出口があるのか全くの不明で冷却水が漏れていつまで経っても一杯にならない、ということは、どういうことですか?
専門家の知見が正しかったことを十分に証明している、ということですかね?
地震では壊れてないって言い張り、格納容器も建屋も大丈夫だと言っていたが、現実には全部メルトスルーで貫通してしまったということですか?


どこが、原発専門家の意見は正しい、って根拠になるというのか。



3)原子力以外の専門家が存在する場合の裁判例ではどうなのか?


原発裁判だけは別な法的理屈が出されるというのは、どういうことなのだろうかと疑問に思えるわけだ。それは行政権力への服従ということか?

日本の狂気に満ちた裁判所が出す答えというのは、一貫性もなければ原理原則もなく、ただ単に「言いたい結論」を言う為に出鱈目の屁理屈を出してくるのである。それを誰からも咎められず、覆されないから、だ。法曹として末代の恥、とも批判されないから、何を書いても平気なのだよ、多くの裁判官たちというのは。


柏崎刈羽原発訴訟の上告について、09年4月に最高裁が不受理の決定には、次のように書かれていたそうだ。


本件申立ての理由によれば,本件は,民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する(なお,原審の口頭弁論終結後の平成19年7月16日,本件原子炉の近傍海域の地下を震源とする新潟県中越沖地震が発生したところ,この点は,法律審としての当審の性格,本件事案の内容,本件訴訟の経緯等にかんがみ,上記の判断を左右するものではない。)。

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日本は、こうした連中によって支配されるという体制が構築されているのだ。


さて、東京高裁や最高裁の判事どもは、専門家によって担われている原発行政は「多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づいて」おり、「不断の進歩発展する科学技術水準に即応」しているんだ、と言ったんだよ。
だから、専門家の意見は正しい=原発行政は間違ってない、正しいんだ!!
とな。


専門家が出す結論というのが常に正しいなら、委員会、審議会とか専門部会等の専門家集団による検討を経た結果は、いつも正しく合理的であって、それに沿った行政ならば何らの違法性もないはずだ。
しかし、医療裁判ではどうだ?
薬事行政は?
過去に、専門家の出した結論に対して、それは違うと裁判所が意見をひっくり返してきたではないのか?常に審議会等の専門家の意見と行政が正しい、なんて言ってこなかったろう?


その具体例を挙げよう。
エイズ騒動があったでしょう?
あの時の裁判例があったので、それを見ることとしよう。
当時厚生省の課長だった人物が刑事責任を追及された裁判だった。
最高裁判決は有罪だった。


http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/923/035923_hanrei.pdf


内容をかいつまんで言えば、専門家集団たる薬事審議会等の医薬品承認に係る専門的見地からの意見に従って行政を行っていた厚生省課長は、それでは足りず注意義務を果たしてないから有罪だ、って断罪されたんだよ。

どこに専門家が出した意見だから、これに従うのが行政として当然だ、そこからの逸脱の有無だけ見ればよい、なんてことを言っているのか?
そんなことは、全く書かれていない。
海外文献などで書かれているなら、それを注意しておくべきだし、危険性を知ったなら即座に取り得る対応をすべきで、その義務を果たしていないから刑事責任は有責なんだ、ってことだぞ?


せっかくなので、上記判決文を一部改変して、原発行政と東京高裁の如き恥知らず裁判官に当てはめてみました。それを以下に示します。



原子力発電所は,当時広範に使用されていたところ,同所には核燃料等汚染物質が相当量存在しており,科学的には未解明の部分があったとしても,これを使用した場合,事故や作業等により被爆する者が現に出現し,かつ,いったん過酷事故が起こると,有効な対処方法がなく,多数の者が高度のがい然性をもって居住不能に至ること自体はほぼ必然的なものとして予測されたこと,当時は原子力発電所の危険性についての認識が関係者に必ずしも共有されていたとはいえず,かつ,国や電力会社がこれを使用する場合,これが安全なのかどうか見分けることも不可能であって,国や電力会社において福島第一原発事故の結果を回避することは期待できなかったこと,原子力発電所は,国によって承認が与えられていたものであるところ,その危険性にかんがみれば,本来その使用が中止され,又は,少なくとも,生存上やむを得ない場合以外は,使用が控えられるべきものであるにもかかわらず,裁判所が明確な方針を示さなければ,引き続き,安易な,あるいはこれに乗じた使用が行われるおそれがあり,それまでの経緯に照らしても,その取扱いを電力会社等にゆだねれば,そのおそれが現実化する具体的な危険が存在していたことなどが認められる。


このような状況の下では,原子力発電所による被害発生を防止するため,運転許可の差止命令など,裁判所が付与された強制的な権限を行使することが許容される前提となるべき重大な危険の存在が認められ,原子力行政上,その防止のために必要かつ十分な措置を採るべき具体的義務が生じたといえるのみならず,刑事法上も,原子力発電所の設置,使用や安全確保に係る原子力行政を担当する者には,社会生活上,原子力発電所による危害発生の防止の業務に従事する者としての注意義務が生じたものというべきである。


そして,事故防止措置の中には,必ずしも法律上の強制監督措置だけではなく,任意の措置を促すことで防止の目的を達成することが合理的に期待できるときは,これを行政指導というかどうかはともかく,そのような措置も含まれるというべきであり,本件においては,経済産業大臣が監督権限を有する電力会社等に対する措置であることからすれば,そのような措置も防止措置として合理性を有するものと認められる。


被告人は,原発事故との関連が問題となった本件原子力発電所が,被告人が課長の所管に係る発電所であることから,経済産業省における同発電所に係る事故対策に関して中心的な立場にあったものであり,経済産業大臣を補佐して,核物質による被害の防止という原子力行政を一体的に遂行すべき立場にあったのであるから,被告人には,必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促すことを含め,原子力行政上必要かつ十分な対応を図るべき義務があったことも明らかであり,かつ,原判断指摘のような措置を採ることを不可能又は困難とするような重大な法律上又は事実上の支障も認められないのであって,本件被害者の死亡について専ら被告人の責任に帰すべきものでないことはもとよりとしても,被告人においてその責任を免れるものではない。



この改変文の要点を書き出せば、次のようなことである。


ア)国や電力会社は原発の危険性が見分けられない
(=だから柏崎刈羽は壊れ、福島第一は崩壊した。危険を見分けられていたなら設置許可しないか安全対策を施せるから)


イ)使用中止又は、生存上やむを得ない場合以外は使用が控えられるべきもの


ウ)裁判所が明確な方針を示さなければ安易な使用が行われる
(本来国が方針を出すべき、過去の経緯から国と電力会社は旧態依然のまま使用する、現に大飯原発はそのように使用された)


エ)裁判所の強制的権限行使の許容となる重大な危険が存在


オ)事故防止の必要十分な措置をとるべく具体的義務があり、刑法上原発行政担当者には社会生活上の注意義務を生ずる
(前段具体的義務は本来行政が負うが、行政が間違っているならこれを是正すべく司法が義務を負うはずだ)


カ)注意義務を課せられる措置には強制監督措置以外に任意措置も含むのであり、事故防止措置として合理性を有する
(行政への強制措置をとれない(=認可取消判決を出せない)場合でも、裁判所には事故防止を促すべく任意措置の義務があった)


キ)裁判所には原発訴訟において必要十分な対応を図るべき義務があった、その措置(行政に対し判決や決定などを出すこと)を採ることを不可能又は困難とするような重大な法律上又は事実上の支障はなかった
(あったとすれば、裁判官の出世や権力へのこびへつらい、人事報復などが事実上の支障ということか)



『看過し難い過誤・欠落』がないと断言できるって?
ふざけるんじゃない。
過誤ないし欠落について、裁判所が意図的に看過した結果が、柏崎刈羽であり、福島原発だったんだろうよ。


拙ブログの考え方は次の通り。


最新の知見によれば、原子力発電所がひとたび重大事故を起こした場合には、有効な対処方法や手段が確立されておらず、事故処理方法についても全くの暗中模索であり、試行錯誤を繰り返しながらの作業であることは、福島第一原発の現況を見れば明白なのであって、事故のもたらす放射性物質の危険により原状回復が極めて困難なことや、地域住民ばかりではなく日本全体の社会生活に深刻な影響を与え、本来国民が享受すべき平穏な生活環境が著しく毀損されるという重大な結果をもたらし、原子力発電所の有するこうした深刻な危険性に鑑みれば、本来国が使用を中止し、少なくとも、国民の生命財産を保護し健全な社会生活を営む為に、他の取り得る代替手段が全く存在せず、その使用がやむを得ないという特段の事情がある場合を除いては、行政が使用を控えさせるべき義務を負うと考えられる。

行政がこのような義務を履行しないという重大な危険の存在を認めた場合には、裁判所は、法律上の強制的な権限行使が許容されるばかりでなく、行政に義務履行を促すべく措置を採ることを実施すべきであり、原子力発電所事故がもたらす結果の重大さと事故予防の重要性の観点から、裁判所には率先して危険を除去し事故を防止すべき責務があるものと考えるべきである。


裁判所が責任を果たしていると言えるか?
鹿児島地裁は、どうなのだ?