怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

原発行政を正すことのできる司法を応援しよう(追記あり)

先日の大津地裁の仮処分決定に関して、もうちょっと追加しておきたい。


まず、大勢の国民が裁判所なり原子力規制委員会なりを、真剣に応援し、これを支持する覚悟をもってすれば、必ずしも全部が全部権力サイドのご意向に従うわけではないかもしれない、ということを、ほんの僅かな希望なのかもしれませんが、心の何処かに持っている方がよいと思います。


その為には、原発推進派や電力会社に対抗できるよう、主張したり、諦めず声を上げ続けることだと思います。そしてなにより、「我々は常に見ているぞ」という、多数の国民の存在を示すことが重要かと思います。


原子力規制委員会の人たちだって、日本に原発事故が起こって欲しいとか再度悲劇が訪れてもいい、などと考えている人たちは、一人もいないと思いますよ。だから、全否定をする存在ではないんだ、と心の片隅に思っていてほしいな、と。

たとえ、原発が全て停止したとしても、これを何十年か何百年か分かりませんけれども、世紀単位のオーダーで管理し続けて、どうにか処理をしていかねばならないことは既に確実なのです。福島原発の事故処理だけの話ではありません。核の管理は、ずーっと続くということです。この作業を全て管理監督することだけでさえ、多大な労力を伴うし作業員の安全確保は必須ですから、規制庁の役割はいつも求められます。


処理の見通しが立つまでは、延々と冷却を継続しなければならないわけですから、これは簡単なことではないのですよ。
規制庁は、そうした管理体制をきちんとできるようにやってもらいたいと思いますし、場合によっては、廃炉作業の面で各民間企業なり業者なりを先導しまとめる役割が必要になるかもしれません。



一方、裁判所についてですけれども、15年には川内原発に関して残念な結果となってしまったこともありました。けれども、兎に角、怯えず、諦めず、言い続けて行くしかないのではないかと思います。応援の声が大きくなればなるほど、矢面に立つ判事たちを勇気付けることができると思います。


拙ブログ記事を再度、読んでほしいです。

2015年4月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/1734b8fc948cf410eabfd64ef62d9a04

(一部再掲)

原子力発電所の有するこうした深刻な危険性に鑑みれば、本来国が使用を中止し、少なくとも、国民の生命財産を保護し健全な社会生活を営む為に、他の取り得る代替手段が全く存在せず、その使用がやむを得ないという特段の事情がある場合を除いては、行政が使用を控えさせるべき義務を負うと考えられる。

行政がこのような義務を履行しないという重大な危険の存在を認めた場合には、裁判所は、法律上の強制的な権限行使が許容されるばかりでなく、行政に義務履行を促すべく措置を採ることを実施すべきであり、原子力発電所事故がもたらす結果の重大さと事故予防の重要性の観点から、裁判所には率先して危険を除去し事故を防止すべき責務があるものと考えるべきである。

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偉そうなことばかり言って、すみません。

けれどもね、私は、悔恨の中で死んでいった吉田所長をはじめ、死地での過酷な作業に従事して、命を落とされた人々の魂に報いる為にも、また現在も作業を続ける人たちの為にも、安易に「原発は安全だ、これまで通り稼働できる」などとは、言えないのですよ。他の原発施設に人員を割くより、まずは事故処理を優先し、全国の作業分散化を計画的にやってゆくべきだと思います。


これは、魂の救済をかけた、日本に生まれた人間としての戦いなのですよ。



追記:18時頃

本日付の記事で、昨年末の福井地裁での再稼働を容認した決定に関して、裁判官にまつわる記事があったようだ。

http://lite-ra.com/2016/03/post-2066_2.html

(一部引用)


問題は林裁判長の経歴だ。1997年に任官した林裁判長は最初の赴任地が東京地裁で、2年後に最高裁判所事務総局民事局に異動。その後も宮崎地裁勤務以外、東京・大阪・福岡と都市圏の高裁と地裁の裁判官を歴任している。(中略)

この最高裁事務総局というのは、裁判所の管理、運営、人事を仕切る部署で、将来は最高裁判官を狙えるようなエリートが集まるところだという。林裁判長は人事権を握る事務総局から目をかけられ、将来を約束された最高裁長官さえ狙えるようなエリートだったのだ。
 いや、林裁判長だけではない。昨年12月、林裁判長と一緒に高浜原発再稼働を認めた左右陪席の2人の裁判官、中村修輔裁判官と山口敦士裁判官もまた最高裁判所事務局での勤務経験があるエリート裁判官だった。
 中村裁判官は一度も遠隔地赴任がなく、東京、横浜、大阪で過ごし、事務総務局総務局付で国会対策などを担当したエリート。
 また山口裁判官も大阪高裁や出向で外務省の花形ポジションである国連日本代表部2等書記官の肩書きを持っていたという。

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拙ブログでも、林潤裁判長、中村・山口裁判官について、批判記事を書いた。

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5c7a0f104368dc6b7abb6a3d250109c7



『220ページを超える膨大な量ですが、要点を平たく言うなら、「示された基準に合格しているんだから、文句言うな、合格は合格だ」ということです。しかし、福井地裁の林潤裁判長、山口裁判官、中村裁判官の判決には、重大な欠陥があります。このような人たちが、本当に重大な安全上の問題を判断できるものなのか、大いに疑問があります。根底から、安全思想と言いますか、事故防止の対策を考える上での常識の欠落があると思います。』

と重大欠陥について指摘した。
本音部分については、後段の方に、

『ヒューマンエラーが発生することを前提に設計できない、というのは、これがまさしく福島原発を崩壊に導いた最大要因だということが、まだ裁判官にすら理解されてないのだよ。こんな連中に、司法審査を任せるという日本の裁判所というのは、どうなっているのだ?
個人的感想を許してもらえるなら、はっきり言って、判決で出した理由は、頭がおかしいとしか思えない。どうして、こんな低レベルなヤツラに委ねなければならないんだ!』

と書いた。
道理で、結論ありき的な、分量だけ多くて無駄な作文を連ねただけの220ページを超える大作(笑)だったわけだ。論点をぼかしつつの、彼らにとっての再稼働させる為「お得意の”作業”」をこなしたに過ぎない。エリート気取りのお仕事、ということだな。