怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

災害から5年、何年経っても愚かなエリートたち

日本という国の狂気、これは筆舌に尽くし難い。

愚か者を政治の上層部から排除できない、という、まさに「システム」なのだ。かつて国会事故調が指摘した、「日本文化の慣習」なのである。


5年経っても、溶融した燃料の状況を確認する手段すら、開発されてはいない。処理方法を誰も考えられず、実行することすら不可能なのだ。それでいて、再稼働だけはどんどんやって行こう、という政治姿勢だけは堅持されているのである。満足に解決もできないくせに、また懲りずに同じことを繰り返すのである。学習できない連中ばかり、だ。


昨日、NHKの再現ドラマが放送されていた。
当時の、現場で作業に当たってくれた人々の苦闘を忘れてはいけない、と思う。その意味では、悪くはないのかもしれないが、記憶の書き換えが行われてしまうかもしれない、ということに注意が必要である。


12日の1号機水素爆発以降、報道発表が非常に気になっていた。なので、テレビを注視していた。初期の頃、1号機を「水棺にする」というような官邸側の見解が示されていた。爆発したのは、あくまで建屋だけなので、圧力容器や格納容器は健全性が保たれているから大丈夫だ、海水で満杯にすれば大丈夫だ、というような話だった。


しかし、14日、3号機がまたも爆発。
当日、当方はたまたま家にずっといた。休暇だったからだ。国内放送は延々と同じACの広告映像ばかりが流れ、時折官房長官会見とか、保安院か東電会見で新たな情報が報じられる程度だった。

なので、しばらくCNNを観てた。
すると、遠距離からカメラがズームアップすると、3号機が吹き飛ぶ様子が映し出された。


外人のキャスターはオウと短く叫び声を上げてた。
すぐさま、国内報道を確認したが、遅々として報道されず、「水素爆発」とも言われてなかった。ネットでも大差なかった。数時間後、黒煙が上がっただったか、大きな振動を感知だったか、寝言みたいな表現で広報されただけだった。

海外メディアを含め、日本政府の情報開示に「疑念」が生じたのは当然だった。隠蔽しているようだ、と。
その後、2号機の危機が夜から明け方にかけて報じられていたが、どうなるのはか全く不明だった。が、東電発表で、早朝(6時頃だったか?)に地下に爆発音と大きな振動があった、と報じられた。どうやら、サプレッションプールのどこかに穴が開いたのではないか、という見解だったはずだ。

これにより、圧上昇で格納容器破壊が心配されていた2号機が、線量上昇はあったものの建屋ごと吹き飛ぶという事態は免れたようだった。しかし、15日午後には、運転していなかったはずの4号機が建屋から出火と報じられ、仕事中だった私は、このままでは本当にダメか、と思った。

神仏に人生最大級の祈りを捧げた。
あの時の、見えない遠くの人々のことが胸に突き刺さって、その苦しい痛みは一生忘れない。


3月15日>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/5f9954d2b1cd8dc023a3e9ea0d1d8612


死を覚悟して、注水作業をしてくれた人々がいなければ、日本は本当に終わっていた。
国会事故調の報告書を読めば、それは誰しもが同じ思いを抱くに違いない。


2012年7月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/e86e7ca57d08ea20637c249807fcc20a


先日、大津地裁の仮処分決定が出されたが、司法が立ち向かう勇気を持ちはじめてくれているように思う。これを支えるのは、多くの国民の「声援」なんだ。誰でもいい、裁判所はどう判断したか、その後上級審はどうしてるか、不当人事などはないのか、いつも注意を払っていてほしいと思う。そうすることが、声を上げ続けることが、勇気ある裁判官たちを守ることになるのだから。



事故から約半年後、当時の原因調査の中間報告が出されていて、それを基に初期対応の問題を記事に書いた。


2011年10月

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/3ecfb64c88554a0258aa06000ad5692b

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/87e660e99bd74ed29357431c4b98f558



日本は、異常な国である。

当初から東電の報告にはおかしな点があることなど、拙ブログの素人から見たって分かるのに、原発事業者も研究者も規制庁も「誰も異議を唱えない」という、まさしく「規制の虜」状態を延々と継続しようというのだから。


人災、そうとしか言いようがない。
決死で作業してくれた人々には申し訳ないが、失敗ということである。そして、今も、原発を稼働してもよいという事業者など、日本のどこにも存在してない。


旧態依然、事故前と、何一つ変わってなどいない。
むしろ、敗北からさえ、何も学べないということで、悪化しているとさえ言える。向上の跡を見せたのは、裁判所だけである。

いや、ひょっとすると、原子力規制委員会もまた、ほんの僅かながらでも、踵で残して、昔の規制庁よりは前進しているかもしれない。が、政治面からの圧力に抗し切れるものではないので、永久に「審査合格を先延ばし」するわけにもいかなかった。規制委員会に全ての責任を押し付けてくる政治に対し、そもそも「国として、政治家が責任を負うべき」と大声で言いたいであろう気持ちは、推察できる。


原発行政は、福島の原発事故を受けてでさえ、やっぱり、以前と同じく「無責任」かつ「馴れ合い」なのだ。これこそが、「日本という病気」なのだよ。そのことに無自覚な政権自体が、深刻な病気なのだ。



http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/890a749238252e2b35c0b925191eb655

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ee22e764404fc71f1d74b9ae32d511c1

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/8b9e1c9851272fc1ebab6ccd2b9decd1

http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a174e64635cba29ebe49fa92c9724bac


今の政治体制を続ける連中、それは、経済・産業界にも官僚にもマスコミにも大勢いるんだ。歯車を回し続ける、協力者として、だ。彼らに対抗できる勢力を結集しない限り、多数派がいつまで経っても勝てるようにはならない。大勢の国民が望んでいるのは、原発をやめること、だ。