怒りのブログ別館

【いい国作ろう!「怒りのブログ」】のバックアップです

水災害と政策優先度のこと

関東、東北などの広範囲で洪水、浸水等の水災害が発生してしまったようです。
被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。


こうした災害発生時には、いわゆる「犯人探し」といったようなことが行われるように思えます。
そのことは、原因究明で役立つものであればまだいいのですが、そうではなく別の目的や意図があってのことのように見えたりもします。


似ている傾向としては、事が起こってから文句を言うとか、「○○に責任がある」的な追及をする、ということです。そういう大事なことであったなら、どうしてもっと以前から指摘しておかなかったのか、と普通の人ならば思いませんか?


対策にはコストがかかります。
優先すべき順序があるものであり、効果の高いものから行われるべきであるということだと思います。だからといって、全部を防げるわけでもありませんし、費用の割に効果が乏しいものもあるでしょう。


それらは、実施と検証を繰り返す以外にはないように思えます。

そういう点からすると、防衛関連費用は、効果が乏しいにも関わらず、多額の費用を浪費しているとしか思われません。アパッチが何の役に立っているのか、と。MLRSが誰を救っているのか、と。無駄の象徴なんですよ。



話が逸れましたが、水害対策についての過去記事を挙げておきたいと思います。例の八ッ場ダム問題に関する記事です。


09年9月>http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/ffe8a1c52c6d99da7f1e6334de137fb2

(再掲)


ここで一つ、かなり厳しい質問をしてみたいと思います。
これから40年以内に集中豪雨による水災害が起こって、この流域に洪水が発生し、3人が死亡したとしよう。だが、ダムがあれば氾濫しなかったかもしれない。
この時に、「ダムに1千億円かかるよりも、3人死亡で済んだから、安上がりだった」と言えますか?
そういう覚悟で「ダムは無駄だから要らない」と言うべきだ、ということなんですよ。

仮に40年後に水災害が発生し、その被害額が3000億円になってしまうとして、これがダムがあれば防げるのであれば、現時点での1000億円投入は「無駄にはならない」かもしれない、ということを言っているんですよ。そういう将来時点での損失額をカバーできるかどうか、ということについて考える必要がありますよ、ということです。建設コストや維持管理に係るコストが発生するとしても、これから事業継続をした場合に必要となる金額が、将来時点で発生する水災害の被害・復旧コストよりも小さいのであれば、ダムの存在価値が「無駄になる」ということにはならないでしょう、ということを言っているのですよ。

更に言えば、将来時点で死亡する人の命の値段と、ダムのコストとの比較をせよ、ということを求められるわけですよ。
それが、本当にできていますか?
立ち退きを命じられる村々の人々は、多くがそういう苦渋の決断を迫られてきたのではありませんか?
下流域の人々が洪水で死んだらどうするんだ、責任を取れるのか」ってね。
この時に、将来時点の失われる人命の重さを考えれば、ダム建設に反対するのは容易ではないわけなんですよ。ダムが無駄なんだ、2000億円の方が大事なんだ、という人々は、命の重さよりも「たった今、現在のお金の方を大事にしたい」と言っているのと同じなのだ、という自覚を持つことが必要ですよ。
このことの意味が、本当に判っていますか?


例えば平成16年に起こった新潟の水害は甚大な被害をもたらしました。数百億円、数千億円規模での被害額でした。それにもまして、尊い人命が失われました。中越地震災害も大きいものでしたが、水害だって決して甘いものではありませんでした。こうした被害を、ダムの存在がどの程度縮小できるのか、どのくらい防げるのか、ということは不確実な部分が多いので、正確に「金額に置き換える」というのが困難なのですよ。それでも、優先順位を定めて、できるだけ費用を圧縮できるように事業をスリム化せねばならない、ということなのです。

その為には、例えば単位時間当たり降水量の推定や条件設定による違い、流域・地域の耐性というか水増量に対する許容限度(?、正しくは何と言うか知りません)、下流域の経済規模や推定される損失額(水害を受けた場合に先端工場など地域産業にダメージが大きければ、防災対策の優先順位は上がる)、みたいなものを専門的に比較検討しない限りは、判定できるはずがないのです。他の水害対策では耐えられないのか、といったことも、一般人などに判るはずがないのです。

近年では、俗に「ゲリラ豪雨」と呼ばれる集中豪雨が問題にされますが、時間降水量が200mmで耐えられる治水対策なのか、それとも500mmに耐えられるようになっていなければマズい地域なのか、もっと許容限界を大きく取る為に24時間降水量を700mmくらいを想定すべきなのか等々、条件によって対策も優先順位も異なるでしょう、ということを言っているのです(数字は全くの適当です)。

こういう数字の検討や比較が、本当に出来ているのでしょうか?
これを理解して、「ムダなダム」と言っているのか、ということなんですよ。

=========


勿論、全部を防げるというものではないでしょう。
けれど、死亡者が発生したり、広範な被害が出てから、「〜が悪かったんだ」といくら言ってみたところで時間は戻せないのです。大きな被害が出る以前から、考えてみるべきことなのではないか、ということです。


そして、事前に注意を促していたにも関わらず、適切な対処が取られなかったという場合には、事前に注意をしていた人からすると痛恨事となるでしょうから、文句の一つも言いたくなるかもしれないですよね。単なる犯人探しに終わらぬように、とは思います。