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試練の時を迎えた「なでしこ」サッカー

五輪予選では、ほぼ出場が絶望的と伝えられた「なでしこ」たち。

すまん。実はこの予選はまだ1試合も見てなかった。なので、どういう戦い方だったかというのを知らないんだ。それで何か言えるのか、というのは、分からないけど、この結果は予期されていたものではないだろうか。


まだ残り試合があるから、一つでも多く勝つよう頑張って欲しい。


さて、昨年から、ヤバいかも、という予感は多くの人たちが持っていたのではないかな。けれど、重大な危機感は持ってなかったのでは。なでしこたちは、常に結果を出してきたので、本番になれば、きっと何とかしてくれるのではないか…それが悪夢へと変わってしまった。勝負の世界は、甘くなかった。


昨年、東アジアカップで韓国、北朝鮮に完敗した時、今回の迷走の序章となっていたように思う。それは、新たな出発が失敗で始まってしまった、ということだ。基本的に、なでしこに求められるのは、アジアでの負けは許されない、という厳しさだ。そうした危機意識のようなものが、足りてなかったように思える。

まるで、シーズン前のオープン戦だから、っぽい、ふわふわした感じ。ちょっと色々試している段階だから、調整だから、本番になればきっと…的な、甘い思考がなでしこ全体(監督、スタッフ含め)を支配していたのではないか。


で、11月の強化試合でもオランダに完敗。


さて、男子が優勝という形で予選通過を決めたのだが、あれが大きな参考になったことは間違いなかった。短期決戦での戦い方、という点において、だ。メンバー全員が戦う姿勢を持ち続けてないと、体力勝負になった時、勝てなくなる。決勝の韓国戦は、逆境からの逆転勝利で、走力と運動量において勝った日本が粘って勝ちをもぎとった。日本の女子は体力的に見て、海外勢に比べ条件面で厳しいことは予想できているのだから、短期決戦では疲労蓄積を回避しなければならないことは明白だった。


なでしこに話を戻そう。
本来なら、今年に入って強化試合をいくつかこなして、昨年の「負けの形」を修正しておかなければならなかったはずだ。誰が出ても、見劣りすることなく戦えるチームでなければ、短期決戦を勝ち抜くことは難しいはず。


だが、なでしこの強化試合は、今年どことやったか思い出せない。

1月か2月に対戦が組まれていたか?
どこで実戦の感覚を取り戻したのだろうか?


今大会では、恐らく、昨年から続く「悪い体質」が無修正のまま来てしまって、打開策が全く見えないままで試合に入ってしまったのではないか。そこには、きっと何とかしてくれるだろう、という依存があったものと思う。選手たちが自力で打開することを求めるのは、酷ではないかな。


想像だが、これまでの実績という点で主要な「なでしこ」メンバーの戦い方、というイメージがあったものと思う。代表例で言えば、澤さん、だ。そういうスタイル、ということ。その過去の実績に対する、新たに加わった選手たちが抱いていた「イメージ」に、何となく「合わせなければならない」というような、まるで「お客さん」的な遠慮のようなものがあったのではないかな。


チームに合わせなければならない、というような、まるで「学校の試験」みたいに、自分が及第点を取れればいいんだ、というような発想ということ。チームに合わせる、って、どういうことだと思う?


本当は、そんな形なんて、これだというものは存在してなんかいなかったんだよ。何となく抱いていたイメージというのは、幻想であって、それに合わせることが一番重要なことなんかじゃないはずなんだ。大事なのは、勝つこと、だ。自分が評価されること、などではないんだ。


何故、ショートパスを多用するスタイルが多かったか?
それは、キック力の弱さが主な理由だろう。体格的に不利で、正確なキックに難があるメンバーなら、どうしたってショートパスをつなぐしかないわけで。しかし、それは、自分の所で奪われないようにすれば合格点だ、的な発想とは違うんだ。パスを正確につなぐことが目的なんじゃない。ゴールを奪うことだ。


そういう意識が乏しくなってしまっては、攻撃の形になんて繋がらない。そして、どうしていいのか分からないまま、試合に突入してしまったんだ。


個々の能力を、まず全部発揮できること、これができてなければ、話にならない。
チームメートの個性を理解した上で、走るスピードの違いがあれば、お互いカバーする範囲が変わるかもしれないし、そういう「相手を見ている」ことを多くしないと、チームとして戦うことができなくなる。それは、個々の選手同士がまず理解する、ということだ。理解できる範囲が多くなればなるほど、はっきりとは見えてなくとも、スペースにボールを送ったら、うまく走り込んでいる、というような、形として繋がってゆくのでは。


そのズレが大きくなればなるほど、攻めの形が作れなくなってしまう。
自分ができること・やるべきことをきちんとやる、得意の攻める形のパターンをいくつか持っておく、困った時・迷った時の互いの約束事を徹底する、そういうことができてなかったんじゃなかろうか、と思うわけです(今大会の試合を見てないので、昨年基準ですが)。


基本戦術の徹底、ボールキープ、パスの受け方、そういう基礎的な部分で課題が多ければ、互いによく相談したり話をして、修正しなければならないはずなのだが、及第点を取ることに意識が向いてしまった「お客さん」状態の人になっていては、適合しなくちゃと思うだけになってしまったのではないだろうか。


個人が「チームのスタイル、枠からはみ出してはいけない」っぽい、合わせようの意識だけが残ってしまうと、能力発揮が乏しくなってゆくのではないかな。100%、いや120%発揮するつもりくらいで立ち向かわないと、勝負に勝つことは難しくなるんだ。


個人の良さをまず最大限に発揮することに集中しないと、ギリギリの局面で相手を上回ることは難しい。相手は強いんだから。個性の発揮、個人の良い部分が最大に発揮された時、互いの発揮できる部分が違うんだから、これを「組み合わせて」戦うってことのはずなんだ。


基本戦術というのは、米をとぐとか、メシがきちんと炊ける、みたいな話なんだな。これはまず全員が同じくできるようにしておくこと、のはず。この部分で、チーム内に考え方が徹底されてないと、「私は土鍋で炊くわ」とか「いやいや炊飯器がいい」とか「2合でしょ」「4合に決まってる」みたいに、考え方のズレが生じるってこと。基本部分は、全員が統一的ルールであるべき、ではないかと思うのですが。

個性の発揮とは、選手がカレーが得意な人もいれば、肉じゃがだの焼き魚だのが得意な人もいる、ということで、それぞれ違うんだ。その組み合わせ全体が「献立」ということになり、チームのスタイルということのはずなのだよ。今は、メシを炊く、という部分でつまずいてしまっている印象。献立以前の問題なのではないかな、と。


苦しみながらも結果を残してきたここ数年の実績は、一度忘れたものとして、再度挑戦するしかないと思います。どんな献立になるのかは、まだ分かりません。個々の特質の組み合わせですから、意外な料理が出てくるかもしれないんです。